第9話 起きなさい勇者
「ユノくぅん……」
アリーシャは恐怖で腰が抜けてしまったのか、その場から動けないでいた。
縋るような声で見つめて涙を流すアリーシャを今すぐ抱きしめて安心させてやりたい衝動と妊娠させてやりたい衝動にかられる。
「アリーシャ早く、早く立つんだ! 逃げなきゃ――」
魔物は叫びに反応したのか、再び躍りかかってくる。人が話している最中に割って入るとはマナーのなっていない犬コロめ。
しかし所詮は獣、攻撃手段の引き出しはそう多くないようだ。
愚かな犬畜生めが、一度通用しなかった攻撃を二度も使うとは俺も舐められたものだな。何度やっても同じこと。その動きは完全に見切っている!
「あうっ――」
あっさりと捕まってしまった。
魔物の動きは確かに見えていた。今回は躱したついでに蹴りの一つでも腹に入れてやろうと色気をみせていたが、それも叶わなかった。
幼い体では脳の出した理想とする動きをなぞれなかった。脳と肉体のギャップがありすぎるのだ。マグネットコーティングをして反応速度の底上げをしておきたかった。
「グウゥゥッ!!」
勝ちが確定している状態でとどめを刺さずに威嚇をするのは、己の力を誇示したいからか。FPSなどで見かける屈伸煽りみたいなものだと考える頭の血管が切れそうなほどあったまるな。
依然として世界の動きはスローなままだった。このままスローモーションでゆっくりと喰われて死ぬのだろうか。肉を引きちぎられて骨を砕かれ。血をすするように舐められて内臓を引きずり出される……。それは……嫌だな。そういうのは趣味じゃない。アリーシャのプニ穴の肉をかき分け、聖水をすすり、子宮口にコツンする……そういうのが趣味だ。
俺の細い手足は、魔物が噛みついて首を一振りでもすれば簡単にもげてしまうだろう。人間が羽虫の足を掴んだときのように容易くもげるはずだ。眼前の魔物と俺とではそれだけの力差がある。せめて毒虫のように自衛手段でも備わっていれば状況は変わっていたかもしれないが、俺が刺せる毒針など愛棒ぐらいのもの。女性を悦ばせることはできても魔物を追い払うのには向いていない。案外魔物も俺の愛棒にハマるかもしれない……いやいや、童貞を魔物で捨てるのは勘弁願いたい。俺は童貞を捨てるのではなく捧げたいんだ。アリーシャ神殿を開門し宝物殿に捧げるのだと、俺が勝手に決めて一方的に誓っている。
「ぐぁっ……」
押し倒された拍子に怪我を負ったのか、体の節々が痛む。痛みの程度からして打撲と擦過傷だけではなさそうだ。掴みかかられた肩部分は特に痛むので骨が折れているのだろう。
泣き叫びたい気分だが声を出す力も残っていない。子供とはこんなにも脆く弱いものだったのか。今になって思えば、母さんが子供に対して過保護になるのもうなずける。いいや、それだけではないな。六年間で毎日五回以上は種付けをしても二人しか生まれていないのだから、両親は子供ができにくい体質なのかもしれない。だから余計に大事にしてしまう。
念願かなって生まれてきた子供だったのだろうに、四百年物のビンテージ童貞を引いてしまうとは災難である。しまいにはこうしてあっさり死んでしまうのだ。両親には本当に悪いことをしていると思う。それでも、アリーシャの命と天秤にかければ、俺の命や罪悪感など羽ほどの重みもない。
ゆっくり魔物の口が開く。それを止めることもできず、ただ見るしかできないでいた。
牙の数多すぎる。サメかよ。
そういえば犬は舌を掴まれると行動不能に陥ると聞いたことがある。死ぬ前に真偽の程を確かめたいけれど、腕は両方とも動かないのでそれもできそうにない。
こんな巨体に殺す気で飛びつかれたのだ、肩の骨は折れるか砕けるかはずれるかしているのだろう。
だけど、その痛みも段々と感じなくなってきている。
「うっあ……」
ファンタジーな世界に生まれたわけだし、もっと楽しくて明るい人生を謳歌したかった。
本当は勇者を目指したり、魔王を倒したり、悪逆な貴族を折檻したり……とか、そんな正義のヒーローに憧れる子供みたいな夢も密かに抱いていたのだ。でも駄目だった。魔力などという不可解な力が存在し、魔物がそこらにいるような世界というのは本来こういう辛い人生を歩むものなのかもしれない。過保護に育てられていたせいか危機管理能力が低下していた。甘やかされたせいで死んだともとれるが、すべて自己責任であると自覚している。四百年分の記憶があるのだから言い訳はできないし、両親を責める気持ちなど微塵もないのが本心だ。
ああ、空手も柔道も一応は段持ちだし、そこそこやれる自信はあったのに。
使う間もなく負けてしまった。使えたとしても魔物相手じゃ焼け石に残尿だったかな。
魔物の横っ面へ華麗に上段回し蹴りを決めてやりたかった。
アリーシャに上四方固めをかけて一本取りたかった。
魔物の牙が迫り、喉に噛みつこうとしているのが見える。
次生まれ変わるなら、俺は花になりたい。風の強い日にここぞとばかりに花粉を撒いて、雌花を受粉させまくってやる。眩い太陽の光を浴びてすくすくと育ち、植物界の孕ませ王となるのさ。そう、そうだ、今まさに視界を覆うこの光の様な、眩しい陽を浴びて――
「ユノくんッ!!」
かろうじて稼働可能な範囲で首を動かし声のした方を見ると、アリーシャの体から目が眩む様な強い光が放たれていた。徐々に光はアリーシャを中心に収束していき、体を包みこむような柔らかな光を纏う。
魔物もその光に驚き、食いつこうとしていた俺から跳ねのき――勢いついでに抑えていた俺の腕を折っていく。ふざけんな、死ね。
「なんで……どうしてユノくんをこんなにしたの――」
アリーシャの目が座っている。いつも笑っているので気づかなかったが意外とジト目が似合うかもしれない。おっぱいを突っついたあとにジト目で無言のまま睨まれたい。
そんなアリーシャが確かな足取りで、踏みしめるように一歩ずつこちらへ歩み寄ってくる。奇妙な話だが、まるで体を動かしなれていないような、普段のふわふわとしたアリーシャを見てきた俺には違和感を覚える動きだった。
先程までの怯えてへたり込んでしまっていたアリーシャではない。何かにとりつかれてしまったのか。
神々しくも眩いのに、どこか深い闇を感じさせる。たとえるなら光を放つ闇属性、紅白の
「悪い子にはお仕置きしなきゃね……」
首をかしげて見下ろすようにアリーシャが言い放つと、魔物は耳と尻尾を下げて完全に怯え切ったポーズをとる。
アリーシャの瞳には暗い炎が揺れているように見えるが、それは俺の錯覚だろうか。べこべこにへこんだ金属バットがよく似合う風体をしていらっしゃる。
「お尻ぺんぺんだよね……悪い子にはッ!」
締まらないキメ台詞が最高にシコい。
悪さをしたら親にやられてるんだろう。
大人になっても悪さをするなら親に代わってお尻パンパンしてやろう。
「アリー……逃げろ……」
馬鹿な事を考えている場合ではない。
絞り出すような声がアリーシャに届いたかはわからない。赤く輝く髪がふわりと浮きあがったかと思えば、一瞬で魔物との距離を詰めていた。
俺のすぐそばで、振り上げた腕を無造作に払う横薙ぎの一閃。
「ギャキャンッ――」
それは頬への平手打ちだった。
アリーシャちゃんそこはお尻じゃないでしょ、と本当のお尻ペンペンを実技でもって教えてやりたい。やられるのは当然俺だ。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』
何度も俺の尻を叩かせて、上手くできれば褒めて褒めて褒めちぎる。そうすることでアリーシャは自発的に俺の尻を叩いてくれるようになるだろう。
教育でも性指導でも何事においても、アリーシャにはこの精神でもって教え導いていきたい。教育とは忍耐と根気だ。一朝一夕にいくものではない。地道な一歩が彼女と俺の幸せな未来を形にしていくのだ。
「キャインキャギャンッ――」
頬を打たれた魔物はというと、川原を転がるようにすっ飛んでいき、水切りの要領で水面をゆらしてはねていく。そのまま対岸までついてようやく止まると、魔物は足を震えさせながら這う這うの体で何とか立ち上がり、一度こちらをみてからそそくさと尻尾を丸めて林の中に逃げて行った。
前世で「ぶっ飛ばす」という言葉は何度か耳にしたが、本当にぶって飛ばされている奴はお前が初めてだよ。また初めてを奪われてしまったな。継ぎ合うことがあったら責任を取らせてやる。
次があればな。
「ユノくん!? ユノくん、ユノくんやだ! 死なないで! 死んじゃやだ!」
魔物が逃げていくのを確認してアリーシャも緊張が解けたのだろう。ぼろぼろと涙を流しながら俺の横でまたへたり込んでしまった。
さきほどと違うのは前傾姿勢でへたり込んでいることと、体から不思議な光が出ていることだ。
「あ……り――」
名前を呼ぼうとしたが舌が回らない。もう喋ることも満足にできないようだ。
緊張が解けたのは俺も一緒らしく、気が抜けた途端に意識が朦朧としてきた。
俺はここで死んでしまうんだろう。でもそれでいい。俺にはアリーシャを守ることはできなかったけれど、結果として命は奪われなかったんだ。アリーシャが死ななかったならそれでいい。魔物との勝負は、俺の勝ちだ。
最期ぐらいはかっこつけたいので口角をあげて笑ってみせるが、うまくできているかはわからない。
「やぁー……やだやだやだ、やだよ、おねがいだから死なないで……」
そいつは無理なお願いだ。今から世界中に散らばった龍の玉を七つ集めてこなきゃ叶えられないような無茶な話だぜ。ちなみに二つはここにあるから触って確認してごらん。
「なんでもします……なんでもするからなおってください!」
なんでも?
言ったな?
今日二度目だぞ?
言質取ったからな?
では治ったら毎朝口で起こしに来てくれ。勿論言葉ではなく口を使って起こすんだぞ。やり方はアリーシャに任せるから色々なアイディアを俺の股間に披露してみせなさい。確たる正解はないので、自分で正しいと思うやり方をみつけるんだぞ。
……なんて、そんな夢も夢で終わりそうだ。
血を流しすぎたとかそういう次元の話じゃない。生命を維持するための力体に残っていない。命の火の燃えカスでなんとか現世にしがみついている。
「あぁ……」
この意識が薄れていく感覚は、そう何度も味わいたいものじゃないなぁ。
「やだやだやだやだ! 目を閉じないで!」
かっこよく笑って逝きたかったけれど頬も動かせそうにないや。
「ユノくんッ!!」
その瞬間アリーシャの光が一層強く光ったように感じた。
とっくに閉じている瞼を貫くまばゆい光。これが俺の最期に見る光景か。はたまた、死後の世界の光りだろうか。
そうして完全に意識を手放した――――――はずだった。
手放したはずの意識が戻ってくる。
ぼやけていた視界もクリアになり体の感覚も戻ってくる。
「んー……あ、あれ? 喋れる……ぞ?」
「ユノくん!? ユノくん!!」
よからぬ方向に曲げられて肘関節が増えていた腕が治っている。
体の痛みもないので上半身だけ起き上がらせ、体を触って確認する。少し頭がくらくらして貧血のデバフがかかっている気もするが、そのほかは概ね良好。逆に言えば貧血程度の異常しか感じられない。
そうだ愛棒はどうかな。
「こいつ……動くぞ! すごい……5倍以上のエネルギーゲインがある!」
五倍はないけど愛棒も無事。
「ユノくん! ユノくん! ユノくん!」
暢気に『愛棒大地に勃つ!!』ごっこをしているところへアリーシャが抱きついてくる。
アリーシャの体から発せられていた柔い光は徐々に淡く柔らかくなり、ついには消えてしまった。
あの光はなんだったのだろうと考えると、すぐに答えは導き出される。
魔物を圧倒する力。傷を即時に癒す魔力。体から漏れ出ていた光……。
本で読んだ内容とだいたい同じである。
これはあれだな――
――この子、勇者だ
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