第26話 まどろむ世界にさようなら


春が来たら。


春が来たら言う、とヴィントは言った。

春とはいつだろう。

雪が止んだら?

暖かくなったら?

ふう、と軽く息を吐いてリリーは窓の外を見た。

積もっていたであろう雪がとさとさと音を立てて落ちるのが見えた。


「はぁ………」


少し離れた窓際でトルカがため息をつく。


「どうしたの?」

「二人とも…帰っちゃいました…」


二人とはオルフェと一緒に来た双子のことだろう。


「せっかく仲良くなれたのに…もう来ないって」


今日のところはこれで勘弁してやる、と、よろよろと…頑丈なラーニッシュはともかく高所から落下して相当痛かっただろう、エライユを離れるオルフェをリリーはにっこにこして見送った。

前回してやられた手前いい気味だ。

メイドたちは一晩!一晩泊まって行ってよお!などと誘い込んでおり…なんというか本当に剛健だ。

ばいばい、とわりとドライにオルフェと共に乗船する双子も見送った。


しょんぼりしてトルカが見つめる先は中庭だ。

三人で遊んだ時の事を思い出しているのだろう。

もう来ない…仲良く遊んでいたのに子供はなかなかにシビアだ。

どう慰めたものかと考えているとぽそりとトルカが呟いた。


「エミリオ……ラヴィエスカ……」


リリーは目を丸くしてトルカに尋ねる。


「二人の名前を聞いたの?」

「男の子の方がエミリオで、女の子の方がラヴィエスカです……」

「それは…脈ありだよ!」


リリーは力説する。

故郷のティースでは友達おろか名前で呼び合う仲の子はいなかった。


「もう来ないって、照れ隠しかも。どうでも良かったら名前なんて教えないよ」

「…そうかなあ?」


下がり眉のまま見上げてくるトルカにうん、と肯定する。

そっかあ!とはにかむトルカの手を取ってスケートしよ!とリリーは誘った。









「ぜ、ぜったいに…ぜったいに離さないで下さいよ……!」


リリーはヴィントの手をぎっちぎちに握りしめて言った。


「離したことはないだろう?」


涼しい顔で言うヴィント。


「最近人目を憚らずにいちゃつき始めたな」


トルカと一緒に作った雪のアイスクリームタワーを更に積み上げながらラーニッシュは言った。


「仲良しでいいじゃないですか?」

「お前らよく見とけ。あれがヴィント様のめちゃくちゃ機嫌が良い時の顔だ」


アイスクリームタワーにぺちぺちと模様をつけるトルカは首を傾げ、腕組みして見守るシスカは部下たちに講釈を垂れた。


「あらあ〜リリーったらそんなに足開いてダ・イ・タ・ン♡」


氷の上を優雅に滑るフラーが立つのにやっとなリリーを煽った。


「だって、だって、勝手に開いちゃ、どうするのこれええ!?」


スケートリンクの真ん中で一番運動の得意なメイドのナナリーが空中六回転ジャンプを決めた。

おおー!十点!十点!と外野から声援。


「あらあ〜わたくし手が滑って、」


アンがリリーの背中を軽くとんっと押した。

リリーはそのまま体勢を崩してヴィントの胸に突っ込む。


アンにも十点〜!とメイドたちが沸く。

ヴィントはリリーの両肩を支えて大丈夫か?と聞いた。

リリーはヴィントを見上げて涙目で言う。


「も、もう立てない…!」


そのままずるっとヴィントが尻餅をついたのでリリーは一緒になって倒れ込んだ。


「優勝はリリーだな」


腕を組んだラーニッシュが言って、わー!!と声援が上がる。

な、なんでぇ!?とリリーは叫んだ。

…何の勝負だ。




まさか何でも出来ちゃうリリーがスケートが苦手だなんてね、と言いながらフラーはくすくすと笑う。


「…もう。すぐ上達してみせるんだから」

「ヴィント様に手取り足取り教えてもらうからゆっくりでいいんじゃない?」

「足!関係ないでしょ!」


つんとするリリーにうそうそ、ごめんとアンがじゃれる。


「ご飯にね、揚げ物するんだけど食材何があったかな?」

「かぼちゃ…にんじん…たまねぎ…」


フラーが指折り数える。


「じゃ私海老と豚肉取ってくる」


そうリリーが言うと、アンは、


「私西棟の裏でふきのとう取ってくる!」


と言う。

えっ?もう生えてた?春なんだねえ、こんなに寒いのに、などと言い合って三人はそれぞれ別れた。


春は近い。

今日は晴天でだいぶ雪も溶けた。

それでもまだ残る雪が陽光を反射して彩度を上げる。

リリーは回廊から外の雪を眩しげに見つめた。


ぱたぱたと走る足音にリリーは後ろを振り向いた。

メイドのメルとライラが走ってくる。


「…リリーごめん。失敗しちゃった…」


小柄なメルは勢いを殺さずリリーにそのまま抱きついた。

ライラはリリーのそばにへたり込む。


「ごめんねえ。あたしたちこのままでいいから、ルイーネ呼んでくれる?」


へへへ、と力なくライラが笑いながら言った。


じわり、と床に血溜まりが広がる。

抱きついたはずのメルがずるずるとそのまま床に落ちる。

ぐったりと倒れたメルは目を閉じたまま、動かない。

心臓がぎゅっと掴まれたように苦しくなり指先から血の気が引く。

轟音で何かが崩れ、中庭までばらばらと石が飛んでくる。


大丈夫、大丈夫よ、とメルとライラの二人に回復魔法をかけるとよろける足を心の中で叱咤しながらルイーネを探しに走る。



── 私西棟の裏でふきのとう取ってくる



轟音で吹き飛んだのは西棟ではなかったか。

痛いほど暴れる心臓も、震えて命令を無視する体もかまっている余裕はない。


「アレク、ブラウ、リリー、ルイーネ、ナナリー、サーシャは俺と戦闘に出る。先発のライラとメルが吹っ飛んだんじゃあ正直俺たちじゃあ歯が立たねえだろうが…死ぬ気で行け。ジェーンはライラとメルの介護。立てるようになったらすぐ戦闘出せ。フラーはありったけ回復薬探して来い。いない奴は探さない」


シスカの指示にわっと泣き声を上げてフラーが顔を覆った。

急襲した魔獣は北の塔に一匹。ヴィントが向かったという。

もう一匹は遺跡の方に。ラーニッシュとトルカが向かったのだと。

アンの姿はない。二匹のうさぎも。


リリーは大きく息を吸って、吐いた。


そのまま翼を広げて広間から最速で飛び出した。

シスカの制止する声やメイドたちの呼び止めたのか行ってと言ったのか声も聞こえた気がする。

…ごめんなさい。

こんなこと、いけないのだろう。

すぐに応援に駆けつけて魔獣と対峙する必要があるのだろう。

それでも、リリーは西棟に向かった。







「あたしたち、きっと親友って言うのよね」


あっ、急にごめんね、気に障ったかしら、とアンは地面の土をがりがりと木の枝でほじくりながら言ったのは夏の終わりの事だった。

あれこれどうでもいい話ばかりしていた、夕暮れは涼しく過ごしやすい。

城の中に入るでもなく中庭で、手持ち無沙汰で、アンとフラーと三人で庭の小石を掘り返しながらとめどなく話していた時にアンがそう言ったのだ。


ううん、とリリーも落ち着かなく土をいじってぼきっと小枝を折った。


「そ、そんな事言われたのはじめて…うれしい」

「えー?あたしも!?」


へへ、やった、と土を掘り返しながらフラーも言った。

気恥ずかしくて、お互いの顔も見れずにひたすら土だけ掘っていた。

ずっと一緒にいようね、と約束した。

その日ずいぶんと大穴を中庭に開けてしまい、ラーニッシュに落とし穴でも作るのかと聞かれた。

目に涙を溜めながら大笑いした日が懐かしく、忘れられない。


約束したから。


瓦礫の山と化した西棟を見てさっと血の気が引く。

もはやどこが西棟の裏だったのか区別がつかない。

北の塔の方向で激しい爆音と雷鳴が聞こえる。

ヴィントが戦っているのだろう。


ピン、と後ろ髪を引かれるような感覚がして振り向く。

この、魔力…


「来てくれないかと思ったヨ」


まるで浮いているかと思わせるような軽やかな足取りで一切瓦礫を崩さずに歩いてくる。

ローブ姿の男。


「キミは、お父さんとお母さんが亡くなった後も、ティースに引き篭もっているかと思っていたヨ」


そう言うとリリーの前に立った。

その腕にはアンが抱かれている。

あちこち怪我をしているが、目立った外傷はなさそうだ。


「…一度、お会いしたわ。惑星ゼノンで」

「カメラ越しにね。よく気がついたネェ」


目を細めて笑う、魔術師の男からアンを受け取った。

そっと、壊れものを扱う様に優しく。


「頑張り屋さんのキミにヒントをあげよう。ユグナーの書を覚えているカナ?」


意外な問いかけに虚をつかれる。

冒険家ユグナーの書。

確か、遺跡の事がかかれていて─…


─ こんなもの!ふんっ!


ラーニッシュが宝箱に投げ入れたのだ。


「あの魔獣、本から…?」

「ユグナーの書は全部で三つ。ひとつは遺跡、ひとつは西棟。最後のひとつは北の塔、魔王の封印方法を書いておいたヨ」

「…本当に、魔王の封印が解けそうなの…?」


し、と唇の前に指を立てるクルカン。


「判断は早い方がいいヨ。彼らいつまで持つカナ?」


今この瞬間にもラーニッシュやトルカ、ヴィントが戦っている。

リリーはクルカンの顔をじっと見つめる。


「…アンを、助けてくれてありがとう」


リリーは踵を返す。

振り返らずに、返事も待たずに西棟跡から飛び立った。


「…ボクのせいだって、言わないんだね…」


ほんの小さな呟きと共にクルカンの姿は消えた。









リリーはアンを抱いて来た道を戻る。

回廊にシスカ達が出てきていた。


「アン!!」


一際大きなフラーの叫び声が聞こえる。

大丈夫だから、というリリーの頭に手が伸びた。

びくっと反射で身を固くする。


「悪かったなあ、アンを置いて行ったら、俺が王様に殴られちまう」


少し困り顔で、いつもよりずっと優しい声で。

リリーはぐっと歯を食いしばったままシスカに頭を撫でられた。

一言でも喋ろうなら大泣きしそうだ。

一生懸命息を整えてなんとか喋る。


「…みんな、作戦変更だよ。北の塔で探し物手伝ってほしいの」



事のあらましを皆に説明すると回復薬の瓶を煽ったライラが言う。


「まだやれるわ…!任せて!ここはあたしたちの家だもん。負けてらんないいやぁ何あれキモでっかい!」


後半のけ反って慌ててシスカの後ろに隠れた。


「ありゃあ……海馬か!?でけぇ……」


海馬。

海の生物である小さな生き物とは想像がかけ離れている。

とにかく巨大で、北の塔より背が高い。

塔のそばから離れず、魔王が封印されている雲を吸っている。


「ヴィント様…!」


海馬の魔獣より遥かに小さく、素早く飛び回る姿がある。

雷撃と共に轟音が上がるも、魔獣に効いている気配はない。

魔獣の動きは遅く、ゆっくりと体を捩った。


「うわっ……!」


ほんの少し動いただけで凄まじい衝撃波が生まれる。

守りが固いはずの北の塔を削り、風圧が離れた所にいるリリーたちの所まで届く。


「ヴィント様…!」


リリーはもう一度祈るように声を振り絞る。

衝撃波を避けるように旋回してヴィントの姿は見えなくなった。

あれでは消耗一方で勝負にならないだろう。


「リリー行こう」


フラーの言葉に冷静を取り戻す。

メイド達の意志の強い瞳の奥には焦りが見える。

ラーニッシュやトルカも戦っているのだ。

皆気掛かりだろう。


北の塔の中に入ると、魔法の得意なサーシャとライラが塔の内部に結界を貼る。

おそらくこれですぐに塔が吹き飛ぶということはないだろうが時間の問題だ。

未だ意識の戻らないメルとアンをアレクとブラウが上着を脱いでその上に簡素に寝かせ、全員で本を探しにかかる。


「ってか本、多!!これじゃどれが冒険書か分からないよ〜!」


脚立の上に上がり上段の本を調べていたフラーが頭をかかえた。

本棚から溢れ出して床にまで平積みされている本の中から一冊の本を見分けるのは非常に困難だ。


ずんと鈍い振動音が響き、断続的に轟音が塔内にこだまして皆気持ちが焦る。


その時ばんと大きめな音が鳴り結界を貼っているサーシャとライラが同時にうっとうめき声を上げた。

相当負担がかかったのだろう。


窓に叩きつけられた背中をリリーは一瞬見てしまった。


「……!」


声にならない悲鳴を上げ本を取り落とす。

どこか怪我をしたのだろうか、べったりと窓の外に鮮血が張り付く。

よろよろとドアに向かって歩く。


塔の外側にいるのは一人しかいない。


「リリー!ドア開けないで!結界が解けちゃう!」


はあはあと自分の呼吸音がうるさい。

リリーは必死に自分の腕で自分の腕を掴み、堪える。


「あけないよ…あけない……」


う、とうめき声を上げてメルが身じろいだ。


「な、ないぞうが……」

「メル!内臓がどうかしたの!?」


メルのそばに膝をついてリリーは問いかける。


「ないぞうが……ないぞう……」

「嘘でしょボケのタイミングが最悪…」


目も開かないまま横のアンがびしっと裏手で突っ込みを入れて起きた。


「アンー!メルー!!」


起きたあー!と歓喜しながら脚立の上で両手を上げたフラーはその手が本の山に突っ込み、なだれを起こしあええうそぉ!?と大量の本と共に降ってくる。

わーっ!!と全員本とフラーに当たって総倒れした。

ぼとっとアンの顔にも本が落ちて、


「寝起き、もうちょっとソフトにおねがぁい」


体もあちこち痛いし、と肩を落とすアン。


「本だ…」


アンに当たって今は胸に抱かれている本。

それだー!!と全員湧き上がる。

なんの話?とアンは首を傾げた。





ユグナーの冒険書。

中身はどうかと緊張の面持ちでリリーは本を開き、皆が覗き込む。

表紙を捲ると一枚の紙が挟まっていた。


「…何これ?」


─魔法学園ロマネスト留学推薦届

リリーベル・トワイユ殿


「わ、私の名前!?」

「推薦届けだぁ!?」


何故魔法学園の推薦届けが?

推薦届けの最下部には教授名…クルカン・アウラングとサインが入っている。


「クルカン…あいつ教師なんてやってんのか…?」


困惑するリリーと怪訝な顔をするシスカ。

横から本を覗き込んだフラーが不思議そうな顔をした。


「ねえこの本何も書いてないよ?」

「えっ?」


冒険書の中身は全部白紙の紙だが…


「違います。これは魔力の高い者にしか読めないようになってるんです。自分にはうっすらとしか見えませんが…」


魔力の高いブラウが言う。

ん、ほんとだ、なんかみみず文字、と横から覗き込んだメルも言う。


「こ、ここにきて古代語…!」


リリーは舌打ちをした。

解読には時間がかかる。

嘘でしょあのリリーが舌打ちなんて、と皆が震え上がると今度は地面から振動がごとごと響き渡った。


「何何何!?」

「あばば、地面は結界かけてないんだよお!?」


慌てるサーシャとライラの言葉に全員が焦る。

ごぱっと激しい音と共に床の石畳が吹っ飛んだ。


「ヤヤ!ケッカイカナァ?ハイレナカッタヨ!シタカラ、シツレイミナサマ!」


う、う、うさぎー!?

オンセン!?いやこっちタマゴだよ!とメイド達は地下からの来訪者に喜びの声を上げる。


「お前ら逃げたんじゃ無かったのかよ」


呆れたようなシスカの物言いにタマゴはぷんぷん怒る。


「ニゲテナイヨ!イヤニゲタケド…!ダイジナコト!シテタ!」


大事な事?

不思議そうにする皆にタマゴは高説を垂れた。


「ゴハンデショ!ミンナ!ヒルゴハン!ワスレテル!!ハラガ、ヘッテハ、イクサハデキヌ、ッテイウデショ!!」


はぁ、と呆けたような声を一様に上げる。

そういえば昼ごはんを食べ逃したんだった。

皆お腹が空いていた事を思い出した。


「ヴィントサマモ、モウイッタヨ!ミンナデ、ゴハンニシヨ!!」


言うなり開けた穴に引っ込んで穴の中からツイテキテー!と叫ぶタマゴ。

リリーは久方ぶりに安堵の方のため息を漏らした。






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