第8話 いっそ吊るして


王座に座ったラーニッシュを取り囲んだメイドたちが盛り上がっている声が聞こえる。

…誰も脱いでないよね?

リリーはそーっと部屋を覗き込み、誰も脱いではいないが温泉、という不穏な単語が聞こえてきたのでさっと退散しようとした。


「あっ!リリーこっちこっち!」


わらわらやってきたメイドたちになかば引き摺られてラーニッシュの側まで来た。


「リリーも温泉に行くんでしょ?」

「いいなあ〜」

「温泉って、負傷した騎士やらブショーやらニンジャやらが入るとたちまち傷が治り、女性は一万年若返り、サルが浸かったりシカが浸かったり、イヌネコキジタヌキキツネが踊り出すんでしょ?」


…何だか話が脚色されてる気がしたが、問題はそこではない。


「えーっと……私…温泉は………」


じりじりと逃げ出すつもりが左右からアンとフラーに腕を絡まれる。


「新しいお洋服も作ろうね!」

「えっ」

「ヒラヒラがいいかなあ?」

「ヒモヒモは?」

「スケスケは?」

「ちょっ」


スケスケはいやだ!

アンとフラーを振り払うと、


「メ、メイド服気に入ってるので!」


と言って逃げ出した。

待ってーと声が追ってくるのに慌てて咄嗟に窓から飛び出してしまう。

二階の窓から飛び出すのは多少行儀が悪いが焦ってそれどころではなくなってしまったリリーは翼を広げて飛び上がる。

逃げ出すほどでもなかったかもしれないが、このままでは温泉の旅が外堀から埋められてしまう──!


考えながら飛んでいると隣の棟の外壁にぶつかりそうになる。

が、勢いが殺せずひっと息を呑む。

幸い外壁の窓が開いていて、人ひとり通れる程の窓に合わせて翼を体に沿わせ塔の中に飛び込む。


「もうやだ私ー!」


半ばやけくそに叫び急停止したところでバランスを崩して落下する。

リリー!と呼ぶ声が聞こえて、その声がヴィントのものだった気がするのは幻聴であって欲しい。


「すみませんすみませんすみません…」


降ってきたリリーは抱き止められながら顔を覆って謝罪を繰り返した。


「…降ってくるのは構わないが…怪我はないか?」

「…いっそ吊るしてください…」


降ろされながら今は紐がないなと笑われた。そこはあって欲しかった。


「ところでここは…」


何もない広々とした空間、天井も高い。


「西の別棟の訓練所だ」


西の別棟……リリーははっとして叫んだ。


「出禁!」


西の別棟といえばヴィントとその部下たちが住んでいる場所で、メイドたちは一体何をやらかしたのやら出入りを禁じられている。


「君に言った訳ではないからな」


突然窓から闖入したあげくかばい立てされると申し訳なさが増してくる。


「あの…ここ…訓練所なんですよね?」


あぁ、と返事しつつ不思議そうなヴィントにリリーは言う。


「わ、私を…修行してくれませんか?」

「君を?魔法の?」

「いえ、剣の………私に、焼きを入れてください!」


ちょっとばかり元気の良すぎる言葉が出てきた。


「悩みがあるなら話を聞くが…」

「そうですよね…私みたいな基礎がなってない人の修行なんか…走り込みから行ってきます」


じゃあ、と今にも出て行きそうなリリーをヴィントは待ちなさい、と引き留める。


「腕立てふせからでしたか?」


至って真面目な顔をしたリリーにヴィントは頭を抱えた。









「リリーどこ行っちゃったんだろ」


悪い事言っちゃったなあ、嫌われちゃう…とアンとフラーは口々に言って肩を落として廊下を歩いた。

その時バタバタと足音が聞こえてアンとフラーは顔を見合わせた。


「そこのお二人、シスカ殿を見ませんでしたか?」


走ってきたのはヴィントの部下二人。

生真面目な性格で、ヴィントに次いで難攻不落の二人である。


「んーん、見てないよ?」


ね、とアンとフラーはすかさず部下二人と腕を絡めた。


「私たちも一緒に探してあげよっか?」

「あっ、いや、その、」

「本当に急いでおりまして…」


ヴィントであればそっけなく逃げられてしまうが、部下二人はメイドたちの扱いに手慣れておらず、いつもまごついてしまう。そこが可愛いとメイドたちには人気で、アンとフラーも例に漏れず絡むのに夢中だ。


「どうして?」

「構ってほしいなぁ」


腕に頭を預けてきゅるんと上目遣いをするアンとフラーに二人はその、今はちょっと、などと言いながら腕を抜け出そうと画策するも、加減が分からず振り払う事もできない。


「こらやめろ。お前ら王に言いつけるぞ」


後ろからシスカがやってきてアンとフラーのカチューシャの上から強引にがしがし撫でた。


「やーん!」

「もぉ!」


アンとフラーは髪を直すのに部下たちから手を離した。

シスカ殿!と部下ふたりは身なりを整えて直す。


「あのー…」


言いかけて何とも微妙な表情になりふたりは言い淀んだ。


「どうした?」

「それがですね…どうもヴィント様がリリー殿と稽古をつけるようで…」


止めた方が、と言いかけた部下に被せる形で


「馬鹿野郎早く言え、あの人はな、稽古なんて言ったって手加減なんて微塵も出来ねえ人なんだ。早く止めないと死んじまうぞ!」


とシスカは言いながらも体はもう訓練所に向けて走り出している。

部下ふたりも慌てて後を追う。

アンとフラーも顔を見合わせてから三人の後を追った。





「ヴィント様…王様相手じゃないんだから…手加減しないと死にますよ」


シスカの苦言にヴィントはむっとして


「分かっている。加減はしている」


と返す。

部下二人はシスカの脇から訓練所を覗き込んでぎょっとした。

リリーが模造刀を持ったままうつ伏せに倒れている。

どさくさに紛れて入り込んだアンとフラーは部下たちの後ろからにゅっと出ると


「気絶してる!」


と叫んで慌ててリリーの介抱に向かう。


「…加減」


ぼそっとシスカが呟くとヴィントはうっと目を逸らした。


「女の子を気絶させるなんてヴィント様えっちね…」

「どきどきしちゃう」


勝手に盛り上がるアンとフラーに


「お前らは出禁だ!入ってくんな!」


シスカが叫ぶと、あーん!と喚くアンとフラーを部下二人が追い出すのに訓練所から連れ出した。


「はい!頑張ります!」


勢いよく起き上がり復活したリリーは模造刀を持って立ち上がる。

足腰しっかりしており、なかなかにタフだ。


「もう少しやるか」


…何となくヴィントは嬉しそうである。


「程々にしてくださいよー」


シスカは腕を組んで鼻でため息をつき忠告するも、リリーとヴィントはもう訓練を開始しており聞いていない。

俺は邪魔か?…邪魔かーとひとり呟いてその場から離れた。




夜になり別棟までリリーを迎えに来たトルカを交え、ヴィントたちは食事をしていた。

食堂にはヴィント、リリー、シスカ、部下二人とトルカ、妙な沈黙を保っている。


目線の先は皆リリーである。

リリーは初めは大人しく食事をしていたものの、そのうちこっくりこっくりと船をこぎはじめ今にも寝そうだ。


椅子の肘置きや背もたれに体が当たってははっと覚醒するものの、食べる元気はもうなく体がまた揺れ始める。

このままでは食器に顔を突っ込みかねないので全員でそっと皿を遠ざけたりリリーの両手からナイフとフォークを抜き取った。


リリーはがくんと首を下げて完全に寝落ちた。

ぐーっといびきも聞こえる。


「…加減」


とシスカ。

ヴィントはばつが悪そうについ…と言った。

何がどうついなのか。


「ぼく、リリーちゃんおぶって帰ります」


と言うトルカにいや、とヴィントは言う。


「こちらで寝かせて朝返すから君は先に帰っていい」


はーい、と返事をするトルカ、ヴィントはリリーを抱き上げて食堂を後にした。

シスカと部下二人は身を寄せ合ってトルカに聞かれないように小声で喋った。


「寝かすったって…どこに?」

「空室は…西棟にはないですよね」

「………自室?」


ヴィントの下についてから女の影なんて感じた事もない、加えて自室に人をいれるなんてそもそもしない人だ。

これはつまり…?


「おかわりください!」


トルカの元気な声に三人はさっと解散した。

今はあまり深く考えない方が良さそうだ。



すっかり寝入ってしまったリリーをベッドの上に下ろすとヴィントはタオルケットをリリーの肩までかけた。

リリーは一度だけ寝返りを打ったが眠り込んで目を覚さない。

部屋を出て行こうとして最近の朝晩の冷え込みを思い出し、踵を返しリリーの上にもう一枚毛布をかけた。

また部屋から出て行こうとし…あまり暗くても不親切かと明りの小さな魔法ランプを用意してテーブルの上に置いた。


主が自室を行ったり来たりしているとはつゆ知らず、部下三人はトルカを帰したあと食堂に座っていた。


「…親鳥が雛鳥を拾ってきたに俺は賭けるぞ」


シスカはすっと指でテーブルの上に銀貨を置いた。

いや、それは、と狼狽する部下二人。


「外見の良し悪しは個人の好みがあるからさておき、あいつはちょっと色気がないな」


とシスカは続ける。

と、すっと部下一人が銀貨を差し出していやここは、


「色恋の方で」


どよめく二人に、


「自分は、見守りたいと思ったので!」


おー、と相槌を打ったところで主の足音が聞こえてきて三人は慌てて銀貨をしまった。


「さ、酒でも飲むか!酒!」


不自然にバタつきながら散っていった。






「……ナルフか、ロマネストか…」


部下からの調査書を手元にヴィントは考え込んだ。


「ナルフはともかく…ロマネストに行くなら片道一年はかかりますよ」


シスカは新しい酒瓶を開けて自分のグラスに注ぎながら言った。隣の部下二人はすでに酔いが回って寝入っている。


「だが避けては通れまい」

「いっそリリーのやつに船を動かさせたらどうです?」

「…いや、彼女は出ないだろうな」


目線は窓の外に向けたまま返事を返すヴィントを向かいからじっと見たシスカは酒瓶を持って回り込みヴィントの隣に座る。


「何だ?」

「まぁまぁ」


流れるような動作でヴィントのグラスにも酒を注ごうとする。待て、という静止にいやいや、と言うシスカの顔を見てヴィントは観念する。


「何も話す事は無いぞ」


ヴィントもシスカに注ぎ返した。


「神殿で何かあったと女たちが騒いでましたが」

「………………何も」


…何もという間だろうか今のは。

ヴィントはグラスの中身を一気に飲み干すと浅くため息をつき、シスカにグラスを突き出した。


「吐かせてみるか?」


にやっと笑ったヴィントのグラスに酒を注ぎ、シスカも自分のグラスをあおって空にする。


「そりゃいいっすね」


一気に飲むような度数の酒ではないが、どこまで続くか…

主と部下の一騎打ちで夜は更けていく。










「はー………」


シスカは壁に手をついてため息をついた。

若干飲みすぎた。

頭は鈍痛だし朝食は食べる気分になれないし、朝日が刺さる。

昨日は何を話したか…思い出そうにもおにぎりの事しか思い出せない。主を酔わせて聞き出した情報がおにぎりって。何だそれ。


その主といえば昨晩の酒を微塵も感じさせない涼しい顔をしていたが、食堂で夜を明かすはずが朝方間違えてリリーが寝ている自室に入り、慌てて出ていく所を目撃した。だいぶ効いている。


「お仕事忙しいんですか?」


不思議そうにしているリリーは朝起きてくるとごめんなさい迷惑かけてすぐ帰りますと慌てていたものの、朝食を食べていくよう勧められてちゃっかり食べている。

ヴィント様も何か忙しいみたいですね、と部下二人に話を振ったリリーに二人は曖昧に返事を返す。

忙しいというより今頃飲み過ぎが祟って部屋でのびているだけだろう。


「…お前は平和でいいよな」


シスカはパンに齧り付いていたリリーの横に座って言う。


「な、何か不穏な事が…?」

「不穏も何もある訳ないだろ、こんな田舎の惑星で…」


でも王様がよくやらかしてイエ何も…と言いかけてリリーはパンを口に詰めた。

その不穏も全然平和の域だ。


…上がるはずのない、魔獣についての情報。

今になってあちこちの星で上がるのは何か意図があるのか。

だがそんな事はメイド達には関係がない、関係のないようにするのがヴィント率いるシスカたちの仕事だ。



関係がない、そのはずだった。あのときまでは。






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