第2話 Approval

私の母の 御通夜 は岾の上の

菩提寺の僧侶によって湿やかに行われ


 一人また一人と


弔問の客が御屋敷を訪い始める頃には

私の漠然とした緊張は、否が応でも

高まって参りました。


何しろ遺族は、お祖母様と私の

たった二人だけ。しかも殆ど他人の様な

間柄だと言っても決して過言では

無かったのですから。


この 御屋敷の記憶 は、私の中に

確かにあるのです。只、お祖母様の貌も

母の貌も何やら茫として記憶の焦点を

結べずに、遺影の女性が私の 母 だと

謂われれば、それをそのまま信じるより

他に術は御座いません。



私は居心地の悪さを持て余し乍ら、

この一連の 葬祭の儀 が一刻も早く

終わってくれないかと、そんな事ばかり

只管に念じて居りました。




そんな気持ちを嘲笑うように

     線香の、噎せ返る匂いが。


屋敷の中を静かに往き過ぎては又、

 記憶の 奥底 へと。





御屋敷の門には葬儀の提灯が据えられ

周りを遍く囲う長い塀の上には、

長いながい『鯨幕』が。

 半ば夕闇に溶けて行く儚い鮮烈さを

晒し乍ら、岾から流れてくる夜風に

その裾を旗めかせて居りました。





俯き乍らも弔問客は皆、お祖母様の隣に

座る 私 を目にするや、何やら決して

 見てはならないもの を

見てしまった様な、驚きと共に酷く

不安そうな表情を造るのです。


喪服に身を包んだ人々は、後から

後から途絶える事がありません。


けれども、その表情は一様に青褪めて

祭壇の上の 棺 へと、敢えて視線を

遣る者は只の一人も居りませんでした。



 この、白木の棺の中には 母 が。

只、それは私にとって見知らぬ誰かの


   亡き骸。


線香の噎せ返るような匂いが御屋敷を、

この部屋をまるで 覆い隠す ように

揺蕩って居りました。



僧侶の読経が、高く低く響き渡る中。



私は何とも心細く不安な気持ちを只管

持て余していたので御座います。





弔問客の訪いも漸く終わり、菩提寺の

僧侶が岾のお寺へと戻って行くと、

お祖母様の御屋敷は再び静寂と闇とが

支配し始めました。



「燈明を絶やしては、なりません。」



お祖母様はそう仰って、棺の側の祭壇に

据えられた蝋燭に火を灯します。

 広い御屋敷の、昏い闇の中から何かが

息を潜めてじっと様子を伺っている。

 茫とした灯りのせいか、余計にそんな

幻想が私の心を蝕み始めて居りました。



「燈明が灯っていれば、決してソレが

訪う事はないでしょう。」



既に、お通夜は終わって居ります。

それにも関わらず一体 何 が此処を

訪うというのでしょうか?



「その 名 を口にする事は、決して

罷りなりません。言えば必ず取られる。

 勿論、私の目の黒いうちには、決して

そうはさせません。

 貴女を此処に呼んだのは、あの娘が

亡くなったからではないのです。」




お祖母様から語られる、その 譚 は

俄に信じられるものでは御座いません。


然し乍ら、それは有無を言わせず私に

伸し掛かり、今まで父の許で暮らした

日々を容赦なく覆すには充分でした。



きっと私は 父 からも捨てられたに

違いありません。



父が、どうして母と離縁したのか。

どうして母は幼い私を父に託して、この

お祖母様の御屋敷へと、たった一人で

戻って行ったのか。


そして父は何故、あれほど迄に転居を

繰り返したのか。



それは、母の葬儀に一人で出された時に

既に悟った事でもありました。


 私はきっと、もう二度と父に会う事は

叶わない。このまま此処でお祖母様と

たった二人で暮らして行くのです。



「貴女には、決してあの娘のような事に

ならぬ様に、今のうちから確りと誨えて

行かねばならないでしょう。」



 この櫻岾の入り口に、何故私たちが

住まわねばならないのか。


私たちが代々『岾塞』とも『陌護』とも

呼ばれて来た、その謂れと顛末を。




一体、お祖母様が 何 を仰ったのか。



私に理解する事など、到底出来る事では

無かったので御座います。





   少なくとも、当時の私には。










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