御祖母様の家

小野塚 

第1話 Hereditary

お祖母様の住む御屋敷は、山の昏い

切通きりどおしへと至る、その入口に在りました。


山の端が御屋敷のすぐ側まで迫り、

昼でも尚、仄暗い 闇 が、っと息を

詰めてうずくまっているような。

そんな昏い山の入口に、お祖母様は

一人で暮らしていたので御座います。



まるで古い武家屋敷の様な、歪な洋館。

私には少し怖い場所でした。




私のお祖父様は所謂、入り婿でした。

一代で事業を興すなど商いの才覚には

恵まれた人だった様で御座います。

 私が生まれる前にはもう既に鬼籍の

人となっておりましたが、それでも

屋敷には執事と車夫、それに小間遣いが

数人いた事を、朧気ながらに憶えて

居ります。




お祖母様には、子が三人おりました。



長男は家を継ぐ身では御座いましたが、

妻との間に漸く出来た子を生まれる前に

亡くし、結局は妻とも離縁。程なく

自らも病にたおれ、ふた月と患わずに

他界して終いました。

 次男は早くに家を出て、見ず知らずの

土地で妻を娶りましたが、たまさか海外へ

出掛けた先の列車の事故で、夫婦揃って

亡くなって終ったのです。



私の母は、お祖母様の

    唯一の 娘 で御座いました。


母は、兄達とは歳の離れた未子のせいか

何不自由なく育てられ、長じて一人の

男と結婚する運びとなりました。

 女学校を出て、何某かの縁故で入った

堅い職場で出会った 前途有望な男。

それが私の父親で御座います。


きっと、職場の上司辺りが持って来た

縁談だったのでしょう。

 お祖母様は特に反対はしなかったと

聞いております。ただ、反対しないのと

同時に賛成もしてはいなかったのだと、

今となってはそう思うのです。



母は、父の転勤に伴い日本各地を

転々とし、その間に私が生まれました。


しかしながら、私が学校に上がった

頃でしょうか。両親は離婚して

母は、お祖母様が住むあの御屋敷へと

一人戻って行ったので御座います。


一方で、父はまるで 何か から

逃げるかの様に。住まう場所を転々と

しながらも、今まで以上に仕事に

没頭して行きました。

 私は一人、置き去りにされた様な

物憂い気持ちで、日々を過ごす他には

何のすべも無かったのです。





それから十年ほど経った頃でしょうか。


母の訃報が、私を再びあの御屋敷へと

呼び寄せたので御座います。




全く悲しくないとは言わないまでも

酷く寂寥とした気持ちで、私は父に

請われるがまま只諾々と葬儀への参列を

了承したのを覚えております。


どういう事情かは知りませんが、父は

母の葬儀に出る事を頑なに拒み、結局



 私一人が葬儀に出席する運びと

          なったのです。




この國も遂に 戦争 の波に呑まれる。

その直前の、やけに白々しい空気が

其処彼処におりのようにわだかまり、漠然とした

不安と恐怖が、人の心の奥底にくらい陰を

落としておりました。

            ただ


お祖母様の御屋敷だけは、ずっと前から

時間が止まってしまっているような。

不思議とそんな感じを受けたのです。





私がおとなったのは丁度、櫻の頃。



お祖母様の御屋敷の塀傳へいづたいいに春爛漫の

薄紅色の櫻の花が狂った様に咲き乱れ、

束の間の栄華を誇っておりました。



 薄暗い岾の入り口にある

     武家屋敷の様な古い洋館。



既に鯨幕が屋敷を長く囲う塀を覆い

その上を櫻の花弁が舞い散る様はまるで

幽玄の世界に迷い込んでしまった様な

不思議と穏やかな、それとは相反する

激しい 何か が。

 私の中で靜かにおこり始めるのを確かに

感じていたので御座います。





お祖母様はもう既に喪服に身を包み、

静かに私を迎えて下さいました。


自分より先に娘が亡くなったのです。

悲しみは如何許いかばかりでありましょう。


ですが、私は何と声を掛ければ良いのか

分からずに、空で覚えた不祝儀の文言を

努めて淡々と、お傳えする事しか

出来ませんでした。




屋敷の中は閑散として、まだ日のある

時間だというのに薄暗く、お弔いの

線香の せ返る匂い が、静かに

漂っておりました。


以前居た使用人たちは既に誰も居らず、

この広い御屋敷中で、私の 母 は

お祖母様とたった二人だけで暮らして

いたのでしょう。



母のは知らされてはおりません。


只々あまりに早い身罷みまかりを、まるで

全くの他人事の様に、驚きと哀悼をもっ

聞いていおりました。

 どの道、仮に母が生きていたとして、

二度と会う事は叶わなかったと、何故か

そんな風に思うのです。



          鐘の音が。



これから 通夜 が始まる事を暗に

示唆する様な、岾のお寺の鐘の音が。



不穏な余韻を引いて


     夕闇に響いておりました。







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