シャムに残された時間
まだ空には雲が広がっているが風の向きからするともうこちらには雨雲は来ないようだ。いつ天気が急変するか分からないので今日はこのまま先程の場所で野営をすることにした。
「三重の虹は多分もう二度と見られないよ。貴重なものが見られて良かった」
良かったと語っている割にシャムの顔は嬉しそうではない。シャムは無言のまま先程の場所に戻った。
夜になり辺りは真っ暗となる。マリーと出会ったばかりの時のような、そこまで暗闇ではない。日が落ちるのがだんだん遅くなり夜も比較的明るいなと感じるようになってきた。
最近シャムは焚き火の始末をマリー任せている。はじめの頃は燃え移ったら大変だから近寄らないように言っていたが今では火をしっかり消すところまで全てマリーがやっている。
シャムはじっと自分の左手を見つめていた。時折指を動かし拳を作ったり手を広げたりしている。それをマリーはじっと見つめていた。
「少しずつね、動きが悪くなってきてる」
シャムは静かに語る。
「僕の計算では多分もって冬までなんだ」
意味がわからなかったのかマリーはシャムの顔じっと見つめた。
「マリーが気づいていたのかどうかは知らないけど。僕は明らかに普通の人間じゃなかっただろ。一度も眠らないし食べ物を食べたことがない。人間の住んでいるところをあえて避けて旅をしている」
語りながら長袖のシャツを少し捲った。マリーの前で服を脱いだことはない。長い布をマリーに貸したのも初めてで、そもそも布を取ったことがなかった。
捲ったシャツの下から現れたのは複雑な継ぎ目のあるあちこちヒビの入った腕。継ぎ目があるなど、それは人間の手ではない。
「人間とほぼ同じ見た目をして人間と同じように動く。戦争によって技術が上がったことで生み出された最後の人形シリーズ、マネキンだよ」
マネキンの誕生は戦況とともに人々の生活を大きく変えた。敵の中にいつの間にか潜り込み信頼関係を築いたところで罠にはめ部隊を壊滅させる。圧倒的な戦闘能力を誇り熟練の兵士でも歯が立たないほどの実力を持っていたマネキン人形。一時的には敵の戦力を奪うには有効となった。しかし大きな問題も起きた。
「敵がそれだけ混乱したのだから作り出した側も混乱するに決まってる。自分を利用しようとしてるんじゃないか、こいつは人間じゃないんじゃないかと疑って経済だけじゃなく社会まで崩壊した」
あまりにも精巧に作られすぎた。すばらしいと考えるのは人形師だけとなり多くの者は人にそっくりな偽物の存在を受け入れなくなってきていた。長引く戦争に人々の心が疲弊していたことも影響していた。
最初に精巧なマネキンを作り出し称賛されたライカは断罪され、投獄された先で自ら命を絶ったという。
「マリオネットは人間の命令がないと動かない。だから放っておけばいずれは朽ちる。だけどマネキンは違う。僕らは自分たちで自分の体を直すし、人間の言うことを聞かないこともある。だから放っておくことができなかった」
シャムは焚き火を見つめていた。その瞳にはパチパチと燃えて揺れる炎が映っている。そこには何の感情も表情も見られない。
「マネキンたちには内密にある対策が取れた。絶対に自分で体を直せないよう作り替えられたんだ。手足全ての関節を寸分の狂いなく同時に、歯車を動かさなければいけないという絶対に自分では直せない、放っておけばいずれ壊れる仕組みを」
マネキンがお互いを修復しないよう個別の任務が与えられ集団行動をしないよう管理された。マネキン一体作るのには時間がかかり構造も複雑だ。数は制限され、戦争に行くと見せかけて捕獲されたものも多かった。
「国が荒れたのも戦争に負けたのもすべてマネキンのせいにされてね。捕獲されたマネキンはすべて破壊されたあと焼却処分されたよ」
その言葉にマリーは焚き火に土をかけた。それを見ていたシャムは小さく笑う。
「別に平気だよ、今までだって何十回と焚き火してきたじゃないか。マリーに任せたのは火が怖いからじゃない、腕がうまく動かせなくなってきたからだ」
聞こえているのかいないのか、マリーは山盛りになる程の土をかけて完全に火を消した。シャムは捲っていた袖を元に戻す。
「僕は察しが良かったおかげで難を逃れた。他のマネキン達にも伝えたけど、人間が自分たちを粗末にするはずがないって誰も信じなかった。人形のくせに矜持だけは高かったからね、本当に愚かだ」
シャムは仰向けに寝転んだ。ここは木が生い茂っているので空を見ることができず、虫の鳴き声が響くだけだ。マネキンは念入りに焼かれ、残っているマネキンはおそらくシャム一人。
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