第3話 時、満ちる

 真人が画面の向こうで起こった事件のことを話そうが話すまいが、翌日の夕方には日本中にその衝撃が走り、さらにその翌日には世界中に飛び火し、その二日後にはネットミーム化した。

 インスタグラムでは顔が裂けるエフェクトが流行り、BGMにはニュース映像で流れた女の悲鳴が使われた。

「こんにちは。葉蒲はかば署の者ですが、真人さんはご在宅でしょうか?」

「石川」という木製の表札の下。音声だけが通じる年代物の黒いインターホン。そのマイクに向かって話す男は、人生のつまらなさを身体全体で表現しているかのようだ。

「真人が何か?」

 インターホンのマイクから口を離し、男は舌打ちをした。なぜ質問に答えず、また質問で返すのか。毎度の反応に思わず出た舌打ちだったが、生憎その舌打ちはインターホンに出た真人の母親の耳にも届いていた。

「まだアルバイトから帰りませんよ。十時過ぎると思いますけどね。あなた、本当に警察の方?」

 僅かに怒気を孕んだ言葉に、男は盛大に溜息を吐いた。

「では、玄関先で構いませんので、簡単にお話させて貰いましょうか。そうすれば身分証も」

 怠そうに話す男の言葉が終わる前に、玄関の扉が開いた。

「お姉様、いや、お母様?」

「変なお世辞は不要です」

「参ったな。いや、本当に。ああ、私はこういう者で」

「『こういう者』なんて本当に言うんですね。で、私は真人の母親ですが、あの子が何か? 何にせよ、何かの間違いかと思いますけど」

「申し訳ない。ちゃんと名乗らせてもらいます。葉蒲署の捜査一課、折尾三次おりおさんじと申します」

 折尾は折尾なりに姿勢を正して頭を下げた。それに対して真人の母親は何も反応しない。ただじっと自身の質問に答えられるのを待っている。折尾もそれを感じて話の本題を進めた。

「お母様も今世間を騒がしている『口裂き女』はご存知でしょう?」

 母親の表情が歪んだ。当然の反応だが、直後に恐れが顔に出る。

「あの事件に真人が関係しているっていうんですか?」

 折尾はその母親の反応を、刑事としての経験上ごく当たり前のものだと感じたが、それ以前にひとつ気になることがあり、それを確かめることにした。

「あの被害者とはネット上での知り合いだったようでして。それより、『葉蒲署』と聞いてすぐに警察署だとお分かりになったようですが」

 折尾が今来ている石川真人の自宅は東京都三鷹市。葉蒲署は四国、高松にある警察署だ。真人の母親もそれを指摘され、寒気に襲われた。妙な偶然に恐怖したのだ。

「私の実家がある場所ですから」

「ああ、なるほど。そうでしたか」

 一方で折尾は単なる偶然と判断していた。だが、参考までに質問を重ねた。

「差し支えなければ、お母様のお名前をお教え願いますか? ご結婚で苗字が変わっていらしたら旧姓も」

「亜紀です。旧姓は三神みかみ

「ああ! どこかで見たことある美人さんだと。いや、失礼。高松では有名でしたからね。一方的にコマーシャルだとかポスターだとかで拝見していただけですが」

「あのっ」

「失礼。今は関係のない話、でしたね」

 折尾はそう言って話を切り上げたが、妙なざわつきが胸の奥に生まれていた。

「真人が知り合いだったとして、何か疑われるようなことがあるんでしょうか?」

「いえいえ、そうではないんです。何か知っている可能性が高いので、お話を伺いたいだけでして」

 折尾は亜紀を安心させるように努めて明るく説明したが、亜紀は親指の爪を噛み、明らかに心配そうな表情をしている。

「名刺をお渡ししておきます。真人さんが帰られたら連絡をください」

 折尾がそう言ってその場を去ろうとすると、その背中に亜紀が「待ってください」と声を掛けた。

「葉蒲署からこちらに来たということは、あの事件って」

「ええ。葉蒲署管内で起きました」

 答えながら折尾はざわつきにしたがって亜紀に対しての最後の質問をしてみた。

勝田かつた絵里奈えりな。被害者女性の名前です。ご記憶には?」

 亜紀は下唇を噛んでやや考えたが、首を横に振った。

「いいえ」

御手洗みたらい絵里奈、だとどうです?」

 その名前を聞いた亜紀は、目を見開いた。

「なんで? なんであの女と真人が?」

 折尾はその質問に答えることはできなかった。それに答えられるのは真人だけだ。

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