第34話 友達

 シオン=ポリトス=ゼルフォビラ様――セルガ様を父に持つ、ゼルフォビラ家の次女十二歳。


 彼女は名声を欲しいままにするゼルフォビラ家のお嬢様?

 望めば全てが手に入る?

 いいえ、シオン様にそのようなお力は一切ありません。


 それどころか、とても冷遇されており、セルガ様からは存在無き者として扱われていました。

 セルガ様には事情があり、そうせざるを得ないのです。


 ですが、他の家族方は行う必要はなかった。それなのに……。

 

 家族方からの冷遇は使用人の意識にも及ぼします。

 そのため、伯爵令嬢でありながら、シオン様は使用人からも見下されていました。

 

 何故、そのような目に遭わなければならないのか? 

 それを問われると、言葉を窮してしまいます。


 私はメイド。ゼルフォビラ家に仕える者です。

 ですので、あるじおとしめる言葉を形作ることは許されません。


 

――が、褒め言葉という包装で、冷遇される理由の一端を語ることはできます。


 シオン様は非常に優秀な方です。

 九歳までは満足に文字の読み書き計算はできませんでしたが、僅か三年足らずで中等部クラスの勉学を行えるようになりました。


 ですが、これでは足らないのです。

 ここは大貴族ゼルフォビラのお屋敷。

 この程度、できて当然。


 長兄・次兄・三男・長姉 の皆様は、十二歳の頃には高等部クラス・大学クラスの勉学を修めていました。


 双子の兄妹であられる四男アズール様と三女ライラ様に至っては、九歳で高等部クラスの勉学をなさっています。

 さらにアズール様は群を抜いており、数学においては大学クラスの勉学へ取り掛かっているそうです。


 いくらシオン様が他の貴族方よりも優秀であっても、このような御兄弟の中であっては霞んでしまうのです。

 

 これらに加え、穏やかで控えめなお人柄が、この生き馬の目を抜く競争激しい貴族社会に合わないという理由もあります。


 ご自身に自信がなく、答えをわかっていても口に出せない。遠慮深いため、わからないことを問うこともできない。

 

 シオン様のお優しい心では、激しい競争に晒される貴族社会では通じないのです。



 ですから、シオン様はご家族から見下されていた。

 特にセルガ様の伴侶であらせられるダリア様から。

 ダリア様にとって――ここから先は、御家族の内情に関わること。メイドである私に語ることは許されません。


 それでも、小さく開いた扉から瞳だけを出し、ダリア様を見つめて言葉を零れ落とします。

 ダリア様も……心根では冷たく当たりたくなかったのでしょう。しかし、心に染み込む感情が、脳髄に宿る理性を駆逐してしまったのだと思います。


 私もまた、恐怖の力を借りた理性で真の感情を抑え込んでいた蓋を、愛と憎しみという激情によって消し去ってしまった経験があるので、ダリア様のお気持ちへ心を寄せることができてしまうのです。


 できてしまう――できなければ、良かったのに……。




――とある日の昼下がり。


 シオン様は勉学の遅れを気に病み、それをダリア様に責められ、自室の机を前にして溜め息を漏らしていました。

 味方不在という環境。しかも、敵は御家族。逃げ場所はありません。


 だからこそ伝えたい!

 セルガ様はあなたのことを愛していると!!


 それはあなたの護衛に私がついていることが証明なのです。

 私はとある悪意からあなたを守るために、お付きメイドの名を借りた護衛としてお傍にいる。

 ですが、それを伝えるのは『おそらく』ルール違反。


 おそらく……手探りなまま、私とセルガ様は歩く。

 のちに訪れる、大厄災に備え……。



 心に見えない傷を刻み続けられ、日に日に弱っていくシオン様を金色の瞳に宿す。

 とてもお優しく、ドワーフである私に対しても差別意識を見せたりしない。

 見目も大変美しく、絵本で語られる気品溢れる貴族の令嬢――いえ、幼い少女たちが憧れに抱くお姫様そのもの。


 私のとって、シオン様は憧れを具現化した存在と言っても過言ではありません。


 ですが、現実はとても不遇な御方。

 家族がいるのにいない。

 使用人からは見下され、屋敷に居場所はない。



 私はそのようなお方に真実を語ることを許されない。心を楽にさせてあげられない。

 ならば、可能な限りシオン様を支えたい。

 そう感じて、献身的に努めます。

 たとえこれが、護衛の本文を超えていたとしても……。



――シオン様のお付きメイドとなって、三か月ほど経ったでしょうか。

 ある日のこと、自室でシオン様がこう私に仰ってくださいました。


「あ、あの、私と友達になってくれない、かな?」


 このお言葉が耳に届いた時、心の熱が一気に吹き上がる感覚を覚えました――――ですが! それはメイドとして、なによりセルガ様から仰せつかった役目から大きく逸脱しています。

 だから、断ろうとした。


 シオン様は全身を小刻みに震わせて、私の顔をまっすぐ見ることができずに、赤紫の絨毯をじっと見つめています。

 右手は僅かに上がり、震え、止まる。


 それがこちらへ手を差し伸ばそうとして、怖くて動かせない動作だとわかりました。


 これは、シオン様が振り絞った勇気。他者から見れば何気ないことであっても、彼女にとっては恐ろしく困難なこと。


 シオン様は自分の胸に宿る僅かな勇気を振り絞り、私に思いを伝えたのです。

 こんな、罪にまみれた下賤な存在のために、純真な勇気をお渡してくれたのです。

 

 だからこそ、断るべき!

 真っ新まっさらな彼女の心を、私の血で汚してはならない!


 そうだというのに――私はシオン様の手を握らずにはいられなかった。震える手を包み込まずにはいられなかった。


 私はこの日から、シオン様の友達になった……これが正しい選択だったのかはわかりませんが、シオン様と友達になったことで、のちにセルガ様を裏切ることになるのです。

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