第33話 我が主

――ある日の早朝・日の出前


 お屋敷のメイド一同が広い玄関エントランス前に集合し、メイド長が訓示を述べ終えます。

 そして、最後に私について言及するのですが……。


「~~と、あるじにお仕えするメイドの心を忘れずに。最後に、あなたたちに伝えておくことがあります。ルーレンがお屋敷に訪れて、およそ二か月。あなたたちは彼女を見習いなさい!」



 一斉にメイド方の視線が私に集まります。その視線は皮膚に針を突き立てる妬みの目線。

 さらに、その痛みを倍増する言葉をメイド長が続けます。


「まだまだ見習いであり、さらにドワーフでありながら、見事なまでに仕事をこなします。あなたたちは人間としての誇りがないのですか? 己の恥を知るならば、役目に真摯に向かいなさい!」


 痛い……皆さんからの突き刺すような視線が痛い。

 メイド長もまたドワーフに対する差別意識はありますが、仕事に対する評価は公平であるため、私の仕事を正当に評価してくれます。


 ですが、それが私に対する嫉妬となって跳ね返ってくるのです。 

 私を利用して、皆さんに発破をかけているのでしょうが、できればやめてくださいとお願いしたい。



 メイド長の朝の挨拶が終わり、各々仕事へ向かいます。

 と、そこに、一人のメイドが遅れてやってきました。

「しまった! また遅刻――あっ!?」


 足を絡めて、転がり、飾り花瓶の棚にぶつかり、落として割ってしまいました。

「ああああ、勝手に壊れた!!」

「勝手ではないでしょう!!」


 メイド長の怒りの声がエントランスに木霊します。

 ですが、お休みになっている主方あるじがたを起こしてはならないと、メイド長は急ぎ声を静めて、遅刻してきたメイドに説教を始めました。


「毎度毎度、遅刻してきてこの子は。シニャ、いい加減にしなさい」


 シニャと呼ばれた、猫顔でピンクの飴玉の包装紙のようなツインテールを持つ十四歳の少女。

 彼女は遅刻の常習犯で仕事はいまいち。皆さんからはダメイド呼ばわりされています。


 ですが、この子がいるおかげで、私に対する嫉妬心が弱まっているという部分もあったりします。

 皆さん、『ああ、いくら注意されようとシニャよりはマシだしね』といった感じで……。



 そのシニャさんはメイド長相手にちょっぴり間延びする声で、あれこれと言い訳を始めました。

「違うんですってぇ、メイド長。朝起きたんですよ。でも、気がついたら布団の中にいたんですぅ」

「それは二度寝してるからでしょう」

「だって~、同室の子が起こしてくれないし~」


「以前の私ならば、同室の子も連帯責任と責めましたが、あなたが何をやっても起きないから、それに付き合うと自分まで遅刻するという証言を幾重も聞いて、同室の子を責めるのはお門違いと悟りましたよ」


「証言って……まるで私、犯罪者みたいな扱いで嫌な感じ」


「犯罪者の方がまだましです。朝から花瓶を割って仕事を増やすなんて、メイドとしてあるまじき行為」

「ですから~、これ勝手に落ちて」

「あなたがぶつかったから落ちたんでしょう」



 この当然の指摘に、シニャさんは隙間のない矢衾やぶすまのごとく捲し立てました。

「いやいやいや、ぶつかったくらいで落ちる置き方してる方がおかしいですよ。こういうのって事故みたいなもんで――あ~、あ~、わかりましたよ! 私が悪いんですよね。そうですよ、私が悪いんですよ。さぁ殺せ、いっそ殺せ~」


 そう言って、真っ赤な絨毯に転がりのたうち回り始めました。

 私の隣に立つマギーさんは彼女の姿を見て、呆れ声を漏らします。

「嘘だろ、こいつ。言い訳を始めたかと思ったら、三秒で開き直りやがったぞ。なぁ、ルーレン」

「ええ、ある意味、才能ですよね……」



 メイド長も呆れを通り越して、無言で頭を抱えています。

 このままでは埒が明きませんので、お二人に声を掛けました。

「あの、メイド長。後片付けは私とシニャさんで行っておきますので、皆さんはお仕事に。このままだと滞りますから」

「……ええ、そうね、お願い。はぁ~、では皆さん。各々、役目を。シニャみたいにならぬよう気を付けて」


 ということで、メイド長を含むマギーさん以下メイドさん方は仕事へ向かい、私とシニャさんは残って割れた花瓶のお片づけを行います。

 私が箒を手にして、シニャさんがちりとり。



 私は箒で欠片を集めながら話しかけます。

「毎日のように何か壊してますけど、お給料大丈夫なんですか?」

「奥方であるダリア様だけに見つかると弁償の可能性も出てくるけど、あとでセルガ様にごめんなさいすれば許してくれて、弁償する必要がなくなるから大丈夫」

「それって、ダリア様に対する不敬じゃ……」


「チ、密告チクってるわけじゃないもん。セルガ様に謝りに行ってるだけだし~。そのおかげで、絵を破ったり花瓶を壊したりしても大丈夫。あ、でも、備品関係を壊すと、メイド長が給料から天引きするんだよね、ひどいよね~」


「いや~、少々ならそうですねと同意してもいいですけど、シニャさんの場合、数が……」

「ひどい。ルーレンが私をいじめる」


「……お片づけ、お一人でします?」

「うっそ! ルーレン、超優しい! 好き好き!」

「調子のいい……」


「ま、ルーレンにはいろいろお世話になってるから、いつか恩返ししてあげるよ。それどころか、恩が上回るくらいの貸しを作らせてあげる」

「期待せずに待ってます。でも、いいんですか? 私とシニャさんは敵対関係ですよ」

「まあ、そうなんだけどねえ。普段は別に普通でいいんじゃないかなぁ。ギスギスするのもしんどいし」



 現状に置ける、屋敷内の立ち位置を説明します。

 セルガ様は介入不可。

 私とマギーさんはセルガ様の駒。マギーさんはそれを知らない。

 シニャさんとは敵対関係です。


 どういった事情で? というのは、私の権限では開示できません。



 後片づけを終えて、シニャさんと別れます。

 廊下の奥に消えたシニャさんの近くで何かが割れる音と、メイド長の悲鳴が聞こえたような気もしますが、気のせいでしょう。


 私は朝食の準備をしている調理室に向かいます。

 扉の近くに来ると、パンの焼ける匂いにバターの香りが鼻腔をくすぐり、お腹の虫がきゅ~っと一鳴きしました。

 誰も聞いていませんでしたが、ちょっと恥ずかしいです。



 調理室の中へ。

 何人もの料理人の方々が私をチラ見して、フンッと鼻息を鳴らしました。

 私は皆さんからよく思われていません。

 中には、下賤なドワーフが調理室に訪れるなんて不衛生だという方もいらっしゃいます。

 ですが、その声を諫める方がいるのです――その方は料理長です。



 白いコック服に身を包む、ちょっぴりぽっちゃり狸のおなかな料理長が声を掛けてきました。

「おう、ルーレンか」

「はい、生ゴミを引き取りに来ました」

「屋敷の外に続く扉の前に置いてあるから、ゴミ捨て場まで持って行ってくれ。朝食の分だけなんで、そんなに量はないが気を付けてな」

「はい」


 私は調理場の端を歩き、外へ続く奥の扉へ近づきます。

 そして、そこにあった生ゴミの詰まった青色の木製バケツを持ち上げました。

 本来であれば、これらは調理室の方々のお仕事です。



 ですが、私がセルガ様のお屋敷に雇用されてからというもの、あらゆる汚な仕事が私の担当になってしまいました。

 それは私がドワーフだからでしょう。

 人間がやりたがらない仕事は全部、私の仕事なんです。



 私は木製のバケツを手にして、外へ出て行きます。

 そこで料理長が声を掛けてきました。

「右回りだぞ」

「はい、左回りだとお屋敷の方々の憩いの場である中庭を通ってしまいますからね」


「わかっているならいい。他の連中は楽しようと主方あるじがたの目を盗んで通ろうとしやがるからな。マギーに至っては主方あるじがたの目があっても通るからな」


「そ、それは大問題ですね」

「あいつは仕事はできるんだけなぁ……そういった部分は見習うなよ」

「はい」

「ルーレン、お前は本当に素直で出来が良い。ドワーフなのがもったいないくらいだ」

「ありがとうございます」



 料理長は他の料理人方に向かって、こう伝えます。

「お前らもルーレンを見習えよ。こんなに出来の良い奴はそうはいないからな。人間としての矜持があるなら、負けぬように精進しろよ」


 このように伝えられた料理人方は『あはは』と笑顔で答えながらも、私に対して鋭い視線を見せました。

 料理長もメイド長も、仕事について公平な見方のできる方なんですが、私を使って発破をかける傾向があります。

 そのおかげで、他の皆様からは良く思われていません。



 ゴミ捨てを終えて、一時間ほど屋敷内の掃除を行います。

 この後も、お付きメイド以外のメイドさんたちは引き続き、屋敷内の掃除や整備を行います。 


 では、手の空いたお付きメイドたちが何をするのかというと……両手と両足を丁寧に洗いあげて、不浄にまみれた衣服を脱ぎ、衣服を新しいものに替え、担当する主方あるじがたの各部屋へ、朝食を運ぶ役目をにないます。



 お付きメイドであるマギーさんは、アズール様に朝食を運ぶ役目があるということです。

 そして…………私もある御方のお付きメイドであるため、朝食を私室へ運ぶ役目があります。


 私室の前で、朝食の載ったワゴンを止めて、扉をノック。

 返事は小さく、耳を澄ましていないと届きません。


 ですが、私は猫族のドワーフ。尖った耳は小さな音を聞き逃しません。

 重厚な扉であってもお声はしっかり耳に届き、扉を開けて、一礼。

 ワゴンを押して、朝食を運び入れます。


 そして、改めて頭を下げました。


「朝食のご用意を致します」


 頭を上げます。


 私の黄金の瞳を魅了するは、私と同じ年齢である十二歳の少女。

 多様なフリルときめ細やかな刺繍が施された青いドレスを纏う、線が細く、そして儚さを漂わせるという、まさに深窓の令嬢。


 ピンと芯の通る青み掛かった黒の直毛に、青が溶け込む黒の瞳。瞳は丸みを帯びていて、とても愛くるしい。

 初めてお会いしたときは美しさに充てられて、同性でありながらも、不規則に鼓動を打ち鳴らす胸の高鳴りと、熱帯びる頬の暖かさを心に覚えたものです。


 このお方が、私がお付きメイドとして仕える伯爵令嬢。

 のちに、セルガ様を裏切り、真のあるじとして仰ぐお方。



 その方はゼルフォビラ家の次女であらせられる――シオン=ポリトス=ゼルフォビラ様。

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