第30話 それを愛と呼ぶなんて、私は絶対認めない!!

 セルガ伯爵はツツクラ様へ選択を迫ります。

 それはどちらを選んでも、行きつく先は同じもの……。


「君を生かしていても悲しみが生まれるだけだ。私の手によってあやめられるが良いか? それとも、正式な裁判ののちに、縛り首になる方が良いか? どちらを選ぶ?」


「ふ、ふざけるんじゃないよ! 私は死ぬもんか。ああ、死ぬもんか! この胸に焦がれる思いに身を預け、心も体も焼き焦がして生きてきたんだい! 何もない私じゃ、お前の心の片隅にすらいられない。だから、普通じゃない私でお前の心宿り続けるために生き続けた! そうだってのに! お前は私の全てを否定した!! だから、この絶望から生きて、生き抜いて、お前の心に宿ってやる。宿ることで、お前を蹂躙してやる! これが、これが、これが、私の――」



 ツツクラ様は息を吸うも吐くも滅茶苦茶にして捲し立てています。

 いつだったでしょうか、ツツクラ様はこう仰っていました。


 恐怖では人の心は支配できないと。

 彼女にとって、セルガ伯爵は恐怖の象徴だった。

 だから、彼から遠くにある場所に逃げた。


 でも、彼を思う心を忘れられず、彼が興味を抱くであろう情報を集めていた。

 いつか、愛する彼の瞳に、自分の姿が映るように。


 逃げたいのに、見てもらいたい矛盾。


 そのために彼女は人の道を踏み外した。

 奴隷を売り、尊厳を踏みにじり、狂気に身を投じ、それによって貴族や富豪たちの弱みを手にして、いつか訪れる再開の場で、セルガ伯爵の記憶に残る存在になるつもりだった。


 全て、彼を愛するあまりにおこなった非道……。


 恐怖である対象に、愛されたいと思うがための悪逆。


 愛が、老婆ツツクラを狂わせ……愛?

 これが愛?


 カタカタと、私の心から音が聞こえてきます。

 それは恐怖で蓋を封じたはずの感情。

 詰まっているのは悲しみ・憎しみ・怒り・絶望……そして、愛。


 お父さんとお母さんから頂いた愛。

 とても暖かく、時にくすぐったく、ちょっぴり照れちゃうもの。

 そんな大切な思いを封じていた。


 だって、お父さんやお母さんやエイラちゃんのように、惨たらしい死に方をしたくなかったから。

 愛に身を任せれば、蓋は開き、同時に悲しみや憎しみや怒りや絶望が飛び出してきます。

 そうなれば、理性を失い、破滅する。

 


 だから、恐怖によって蓋を締めていた。きつくきつく締めていたはず。

 それなのに――――愛?


 何ですか、愛って? 愛によって恐怖を忘れ、狂気に染まった?

 なんですか、それ? なんですか、それ?


 私たちは、老婆の愛の犠牲になったと言うんですか?

 そのために大勢が痛みにさいなまれ、死んでいったと言うんですか?


 お父さんは燃やされ、お母さんは内臓を引きずり出されて、エイラちゃんはバラバラにされて、ティンバーさんは首の骨を折られた。

 全ては、たった一人の女性の狂った愛のために?


 これが愛? 愛? 愛?

 私の蓋の中に眠るものと同じ、愛?



――同じはずがない!!



 お父さんがくれた愛は痛くなかった! お母さんがくれた愛は悲しくなかった!

 ただ、微睡まどろみのような暖かさに包まれ、穏やかだった。

 そんな愛が――――あんな、独りよがりな狂気と同じはずがない!!



 蓋が、蓋が外れる。きつくきつく締めていたはずの蓋がカタカタと、ガタガタと音を立てて外れる。

 奥底に眠っていた愛が、恐怖で縛り付けていた蓋を、蓋を、蓋を!



 ああ、両手に愛が伝わります。ギシギシと大斧のを締め上げて、の先にまで伝わります。

 悲しみと憎しみと怒りと絶望が愛と交わり、殺意が全身にほとばしります。



「うあぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!」


 私は咆哮しました。獣のように吠えました。

 大斧を大きく振り回す。憎むべき老婆を消し去るために!


「みんなを、かえせぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 斧は振り抜かれ、老婆は臓腑の雨となって散らばる――――はずでした。

 ですが、斧は老婆の赤き瞳の前で止まり、彼女の虹彩にやいばの光を反射させて、瞳孔に刃先を映すのみ。


 止めたのは、一本の長剣。


 の向こう側には、セルガ伯爵の姿。


「その感情に飲まれ、命を奪えば、君の大切な人々を穢すことになる」

「…………あ……」


 私は掠れるような声を漏らし、斧を地面に落として、その場にへたり込みました。

 瞳から涙が溢れ、頬を伝い、ぽたりぽたりと落ちて、太ももを濡らしていきます。

 小さく頭を動かし、私の前に立つ男性の姿をぼやける視界にとらえます。


 彼はただ、私を見つめる。

 彼は私のことなんて全く知らない。それなのに、私の心の全てを知っている。

 なんという方でしょうか。

 

――敵わない

 

 それは武力や知識というわけではありません。生命いのちの有り様として、まったくもって敵わないと感じました。

  

 伯爵は剣を再び鞘に戻して、こう語ります。

「もはや、剣を振るう必要もなくなったな。君の思いが、ツツクラの心を斬った」

「え?」


 老婆へ顔を向けます。

「あああああ、はあああああ、ああああ」


 彼女は口をだらしなく開けて、だらだらと涎を流していました。

「あの、一体どうされたんですか?」


「君の心の悲鳴に耐えられなかったのだろう。正気を失ったようだ。さすがは猫族のドワーフ。役目を遠い過去に捨て去っていても、力を失っていなかったか」

「力?」


「それに、籠められたのは君だけの思いではないからな。ツツクラの犠牲になった者たちの悲鳴が、君の声に宿り、心を斬ったのだろう」

「みんなの……」



 私は岩の地面にへたり込んだまま顔だけを上げて、奇妙な笑いを漏らしながら涎を垂れ流し続ける老婆を見つめます。

(こんなに弱弱しいなんて……私は、この人の何が怖かったんだろう?)


 たしかに恐怖していたはず。その恐怖に心を縛り付けられていたはず。そうだというのに、その恐怖が思い出せない。

 呆然としている私へ、セルガ伯爵が手を伸ばしました。


「さぁ、手を。冷たい地面に座り続けるのは体に毒だ」

「え、えっと……ありがとうございます」


 相手は敵であっても伯爵様。畏れ多いと思いましたが、何故か最初に抱いた彼に対する恐怖心は霧散していて、僅かな戸惑いはありましたが手を借りて立ち上がりました。


 伯爵はディケードさんの遺体に顔を向けます。

「できるならば、友人であった彼の願いを聞き、君を見逃してやりたいが……」

「……いえ、その必要はありません。事情はどうあれ、私もまた罪人です。だから、全てを受け入れます」



 たとえ、子どもであっても、死罪は免れないでしょう。

 でも、いいんです。それだけの行いはしてきたので。

 それに、みんなの辛い思いを、老婆ツツクラにぶつけることができましたし。


 だから、もう、私は満足なんです。


 セルガ伯爵は無言のまま私に近づきます。

 彼は私の知る貴族とは違う御方。

 拷問なんてしないでしょう。きっと、楽に逝かせてくれる。

 私は目を瞑ります。

 

 そして、その時を待ちました。


 大きな気配が前に立ち……それは唐突に無くなります。

 いえ、気配はあります。

 なんというか、遮られていたはずの空間が急に開けたような?


 私は薄目を開いて、状況を確認することにしました。

 すると、瞳には信じられない光景が宿ります。



 なんと、セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵が膝をつき、私にこうべを垂れていたのです!

 そして、こう訴えかけてきました。


「猫族のドワーフよ、力を貸して欲しい。過ちを正すために助力を求めたい。この愚かな男を助けてくれ」

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