第29話 邂逅

 セルガ伯爵はツツクラ様へ顔を向けて語り掛けます。


「ツツクラ、二十五年ぶりか?」

「さぁ、どうだろうね? 三十年は経っているかもしれないね」

「あの頃はまだ、互いに若かったな」

「わたしゃ、その頃にはすでに五十近くだったがな」


「たしかに、あの頃とは姿は変わらぬが、白髪が増えたようだ」

「ふ、相変わらずの軽口を……お前にも白髪ができたんだね」

「ああ、短くも長い時を経ているからな」

「そうだね……」



 ツツクラ様は狂おしそうに自身の胸をグッと掴みます。ですが、軽く頭を左右に振り、いだいた思いを捨て去るかのようにして、伯爵を睨みつけました。

「お前の目的は何だい!? 私の持つ、この閻魔帳か?」

 そう言って、岩の地面に落としていた紫の箱を拾い上げました。



 ですが、伯爵は小さく首を横に振ります。

「そのようなものに興味はない」

「興味がない! 嘘をつけ! この中には、貴族富豪の醜聞や弱みが反吐を出るほど刻まれてある。中央で権力争いに投じているお前から見れば、喉から手が出るほど欲しい情報だろ!!」


「その程度の情報ならば、いつでも手に入る」


「う、嘘だね!! これは私が数十年の年月をかけて集めた情報だよ!! この情報はお前が欲しがってるものだ。私の周辺を探っていたのはこれ欲しさだろ!!」


「君とっては、数十年の努力の結晶であろうが、私からすれば数日で手にすることのできるもの。だから、興味などない」


「黙らっしゃい! 虚勢は恥だよ! 大勢の貴族や富豪の醜聞。情報。その多くがお前と敵対している連中の情報。絶対に欲しいはずだ。欲しいはずだ! だから私は、この情報を集めることに人生を注ぎ込んだ!!」



 ツツクラ様は叫び、紫の箱をぎゅっと抱え込みます。

 一方、私はというと、先程の会話に奇妙な吐き気を覚えます。

(伯爵が欲しがる情報? それをツツクラ様は集めていた? なぜ?)


 ツツクラ様の姿を見ます。

 彼女はセルガ伯爵に怯え、体を震わせています。ですが、口元は僅かににやけ、頬は紅潮し、深紅の瞳には恍惚な色が浮かんでいます。


 これは激高による興奮のため――――――違う!


 彼女は怯えに身を包みながらも……セルガ伯爵を想っている。

 ツツクラ様は、セルガ伯爵に、愛を覚えている。



 だから、彼の興味の惹く情報を集めていた。

 二人には身分差があり、それ以上に貴族と犯罪者。


 決して届くことのない愛。


 だけど、その一端でも渡すことができればと思い、ツツクラ様はセルガ伯爵が求めるものを集めていた。



 彼女は紫の箱から片手を放して、震える指先を伯爵に伸ばし、すぐに降ろして、再び紫の箱を両手で抱いた。


 そこにあるのは、恐怖と崇高。

 セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵に恐怖を抱きつつも、止め処なく溢れる愛に溺れ、触れることの許されぬ存在に恋慕を抱く。


 信仰にも似た歪んだ愛――それが、ツツクラ様がセルガ伯爵に抱く感情。


 だけど、それをたった今、全て否定された。

 一人の男性の興味を惹くために、生涯をかけて集めた情報が無価値だと否定された。

 


 彼女は抱きかかえていた紫の箱を落とし、空白となった両手で顔を包む。

 そして、喉奥から振り絞るしゃがれた声を漏らす。


「だとしたら、なぜ、私を探った……お前の目的はなんだ!! まさかと思うが、ただの意趣返しじゃないだろうねぇえぇえええ」


 二人の間には、何か遺恨のようなものがあるようです。

 それを晴らすために伯爵が訪れたのではないかと勘繰り、それに幻滅と怒りを覚えている。

 

「お前が、もし、そんなちっぽけな理由で私を殺しに来たなら、私は、私は、私は! お前を許さない! こんな小さな男のために生きてきたなんて、私は――」

「意趣返し? ああ、あの事か」

「何をとぼけたことを。お前が大事にしてた奴隷の女を売っぱらちまった話は覚えているだろう!」

「たしかに、あの時は怒りを覚えたものだ。だがツツクラ、あれは……フフ」



 不意に、伯爵は笑いました。その笑いはとても乾いていて、諦めの混じるという不可思議なもの。

 ツツクラ様もこの笑いの意味がわからずに戸惑っているご様子。

 伯爵は軽い笑いのあと、こう言葉を返しました。


「あれは嵌められたのだよ」

「嵌められた?」

「私も君も、彼女にな……」

「何を言っているんだい?」


「当時の私は彼女に夢中だった。だが、彼女はそれだけでは満足していなかったのだ。より一層、私を虜にしようと、彼女はある芝居を打った」

「芝居?」

「それは君の嫉妬心を煽り、自身を奴隷として売らせることだ」

「な!? セルガ、お前は何を言っているんだい?」



 セルガ伯爵は両手を前に出して、自身の手のひらを見つめます。

「若い頃の私は非常に傲慢で、私に手に入らないものはないと思っていた。実際に望んだものは、いとも容易たやすく掴んできたからな。彼女もそうだった。だが、容易たやすく手に入れたものは、手放すのも容易たやすい。そういった人間の心理を、彼女は良く理解していた……」


 と、ここまでの言葉で、ツツクラ様はその女性の意図を理解したようです。

「ま、まさか、わざとお前の手から離れ、手に入りにくい場所に身を置くことで、お前の興味を強く引きつけようとしたってのかい!?」


「その通りだ。君の手によって彼女を失い、私は必死に探した。彼女の行方を。そして、見つけ出した時には、後にも先にも感じたことのない感動に心を打ち震わせたものだ。まんまと彼女の策略にはまり、虜にされてしまった」



「馬鹿を言え! そんなむちゃくちゃな話あるかい!? あの女は奴隷として売られたんだぞ! そうなればどうなるかわかっているだろう。穴という穴は犯され、命も犯される。お前がいつ見つけ出したかは知らないが、その時はまともな姿じゃなかったはずだ!!」


「見つけ出すのに丸一年はかかった。だが、彼女は全くの無傷だった」

「だから、馬鹿を言うんじゃない! 奴隷として売られて無傷だなんて――!」

「彼女は普通じゃない。これらは全て、彼女の計画……いや、遊戯にしか過ぎない」

「な、なにを言って……?」



 中身が良く見通せない会話。それに疑問符を纏うツツクラ様。ですが、伯爵は答えを返さず、会話を打ち切りました。

「ともかく、私はまんまと嵌められた。君という存在は、とある物語のちょっとした引き立て役程度にしかすぎない」

「ひ、引き立て役?」

「傲慢な当時の私のツケがいまだに続く。それどころか、世界の行く末にすら関わってこようとは」



 伯爵は遥か遠くを見つめ、腰から剣を抜きます。

 そして、ツツクラ様に選択肢を与えました。

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