第28話 短き友との語らい

――――砦最上階の一室


 

「遅い!」

 開口一番、ツツクラ様からお叱りを戴きます。

 謝罪をお渡しするも、彼女はそれに一切気を留めずに、私から紫の箱を奪い取り、壁の一部を探っています。

 数秒後、ガコッという音と共に、近くの本棚が横にずれました。


 ズレた先には、穴の開いた壁。続くは螺旋階段。


「ツツクラ様、これは?」

「非常用の脱出口さ。こいつは地下まで直結してて、その先にある迷路を抜ければ、町の外ってわけさ」

「……どうして最上階に? 地下に続くなら、一階もしくは地下の方が?」

「もし、敵がどこか抜け道がないかと探索するなら、地下や一階からだろ。まさか、最上階に地下まで続く階段があるとは思いもしないだろうしな」


「まぁ、そうかもしれませんが……」

「なんか含みがあるもの言いだね。ともかく、これは私の趣味ってことで納得しな。それじゃ、お前とディケードには護衛でついてきてもらう」



――螺旋階段を下りる。

 ぐるぐると何度も回り、地下奥深くへと降りていく。

 体がとろけてぐにゃぐにゃになるくらい回ったところで、地に降り立った。

 そこは何の舗装もされていない、苔むした岩肌。

 

 先にあるのは、複数の洞窟。

 ディケードさんが松明を掲げ、ツツクラ様は小脇に紫の箱を抱えて、洞窟の前で指先をぐるぐる回しぶつぶつと呟く。


「さて、久しぶりに来たからねぇ。間違わないように、と」


 ツツクラ様が歩き出し、そのあとに私たちが続く。

 洞窟は何度も分岐しますが、足は止まることなく分岐の先を進んでいく。


 ピチャンピチャンと地下水が雫となって落ちる音と、私たちの足音が響き渡る。

 松明の揺らぎが三つの大きな影を浮かび上げて、苔むした岩肌に黒い影の絵画を描く。


 黙々と歩き、10分。

 先に光が見えてきました。光は洞窟内部まで届き、松明が無くとも周囲の様子はわかります。

 光を見て、ツツクラ様はほっと溜息を漏らしました。


 逃げ切れた。そう思ったのでしょう。

 ですが――



「久しぶりだな、ツツクラ」


 洞窟内に広がる明瞭且つ透明な声音こわね

 光の先から、腰に長剣を携えた背の高い中年男性が姿を現す。


「脱出路は全て押さえてある。そして、君なら再起を念頭に、別領地に続くこの道を選ぶだろうと思っていた」



 この声に怯え、ツツクラ様は紫の箱を岩の地面に落としました。

「セルガ=カース=ゼルフォビラ……」




――――ここは秘密の脱出路だった道。


 その出口から姿を現した、世界一の剣士にして大貴族・セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵。


 彼は短くも艶やかで流れるような真っ黒な髪を揺らし、切れ長で漆黒の瞳をこちらへ向ける。

 そこには感情と呼べるものを纏わず、代わりに人ならずモノの雰囲気を纏う。


 ただそこにいるだけで、私たちの肌にピリピリとした痛みを伝える気配。


 ディケードさんと同じく黒の服を身に纏っていますが、伯爵は騎士服ではなく貴族服を纏っています。腰には長剣。

 服には貴族らしい絢爛さは一切ありませんが、交わる金の刺繍が厳かで落ち着きある彼をより一層印象付けさせる。


 私は多少の目利きができるので、使用されている素材が恐ろしいものであることがわかります。

 素材は強力な強度を誇るアダマンチウムを糸に加工して紡ぎ上げた一品。あれならば、少々の斬撃程度ではやいばは通りません。

 彼が着る服は貴族服をよそおった、戦闘服と言っても過言ではないでしょう。


 剣もまた同じで、華美な装飾はなく、実用性に特化したもの。

 ですが、剣に使用されている素材もまた衣服と同様に超一流のもの。

 隕鉄に魔力が宿るミスリル鉱石に、邪気を払うオリハルコンを溶かし込み合成したもの。ガードの中心には、身体機能を高める翠玉すいぎょくの魔石。



 大貴族セルガ=カース=ゼルフォビラとは高潔なる一族にして超一流戦士。

 私がラムラムの町で見てきた欲望にまみれた醜い貴族とは全くの別物。


 この世の全てを屈服させる恐怖――いえ、これは恐怖なんていう陳腐な気配ではありません。

 こうべを垂れることが当然と感じさせる絶対支配。

 絶対強者。頂に立つ存在。



 そのような人知を超えた存在を前に、私は悟りました。

(ああ、私はこの人に殺されるんだろうな……)


 敵わない。敵うわけがない。

 あらがうこともできないでしょう。

 ツツクラ様は私とディケードさんがいれば時間稼ぎくらいにはなると言っていましたが、そのようなことできるはずもありません。



 セルガ伯爵はツツクラ様から視線を外して、ディケードさんに話しかけます。

「ウィスタリア卿、久しぶりだな」

「それは捨てた名だ」

「全てを捨てて、この町に流れ着いたと?」

「私のような愚物にはちょうど良い町だ」


「ふふ、全てを捨てるなら、私の下に来て頂きたかった」

「ほう、何をやらせるつもりだった?」

「中央の連中を小突き回してもらおうかと」

「あはは、あのような伏魔殿と比較すれば、このラムラムが楽園に見えるぞ」


「でしょうな……久方ひさかたぶりの友との語らい。だが、長きは無粋。三つで」

「一つで十分だろうに。年を重ね、甘くなったか?」

「見識を積み、泰然を学んだ。ただ、それだけだ」



 伯爵が剣を抜き、それに応じてディケードさんも剣を抜きました。

 静寂が辺りを包みます。


 私は二人の語らいを前にして、息をすることすら不敬に感じ、ひたすら沈黙に身を浸します。

 ツツクラ様もまた何も語らず、二人を……いえ、セルガ様を濡れた赤い瞳に納めて見つめています。



 天井から雫が一滴振り落ちて、岩盤の上で弾けました。

 それと同時に二人は動きます。


 一つ――ディケードさんのやいばが振り下ろされ、それをセルガ伯爵が弾きました。


 二つ――セルガ伯爵のやいばが振り下ろされ、それをディケードさんが弾きました。


 三つ――二つの剣が同時に振り下ろされ、やいばは左肩から右腹部を走り抜けます。


 そして――ディケードさんが片膝をついて、僅かに天井を仰ぎ、肩から腹にかけて噴き出す血を全身で受け止めました。


 私は彼の名を呼びます。

「ディケードさん!!」



「ぐぅ……恐ろしいな、セルガ。この私がまるで相手にならぬとは」

「十五の頃に君に負けて以来、ようやくやいばを返すことができた」

「フフ、執念深い奴め」

「努力家と言って欲しい」


「ふん、天才め。努力などするな。もっと胡坐をかけ…………セルガ……」

「なんだ?」


「ルーレンを……そこな娘を見逃してはくれぬか?」

「……それはできかねる」

「フフ、お前にしては曖昧な言い回しだな…………なるほど、そういうことか……おまえが……北部を探って……その……もく、てき、は……」



 力を失ったディケードさんの手から剣が滑り落ちて、岩の地面に当たる金属音が空しく響きます。

 伯爵は剣の血を払い、鞘に納めて、ツツクラ様へ顔を向けました。

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