第2話 人間はドワーフよりも怖い

 私の金色の瞳に映るは、鷲の紋章を刻んだ杖を持つ、短髪のグレイヘアの老婆。

 彼女は老人とは思えぬ凛とした声を持ち、杖をついていても腰は曲がることなく、背筋はピンと張っています。


 皺は深く刻まれていますが、そこに弱弱しい印象は全くなく、むしろ深く刻まれた皺が、彼女が歩んできた道程を重厚なものとして表していました。


 彼女は力強くも深く淀んだ赤色の瞳を、履き物を下ろした戦士へ向けます。



「お前は何をやってんだい?」

「え、いや、その……」

「そこにいるドワーフは誰ものだい?」

「え? それは……」

「しゃんと答えな。あれは私の物だろ」

「あ、はい。その通りです!」

「でだ、お前は私の持ち物に何をするつもりだったんだい?」

「えっと……べ、べ、別に何も」



 戦士は声を震わせて、慌てて履き物を着ようとしますが……。


「手癖は悪く、私に向かって嘘まで――そんなやつはいらないね」

「――へ? ぎゃっ!?」


 突如、戦士がもんどり打って地面に転がりました。

 彼は自分の股間を押さえて、嗚咽のような悲鳴を上げます。


「おおおおひがあぁぁ! いてぇえ、いてぇええ、俺のち〇ぽがぁぁあぁ!」


 戦士が押さえた股間の部分に、ナイフが突き刺さってます。

 視線を老婆に戻すと、彼女は気怠そうに左の手のひらをフリフリと振っていました。

 どうやら、ナイフを投げたのは老婆のようです。


(うそ、全く見えなかった)


 私はドワーフ。それも猫族のドワーフ。十歳とはいえ、身体機能はもちろん、動体視力も普通の人間より優れています。

 それなのに、老婆の動きが全く見えなかった。

 つまり、この人は、普通ではない人間……。



 彼女は私の怯えた視線を気にする様子もなく、戦士たちの纏め役であろう無精ひげの男に近づき、彼の顔を覗き見るように、じっと赤の瞳で睨みつけています。

「まったく、人手が足りないからと言って、お前たちみたいなバカに任せた私が馬鹿だったよ。これなら、私の手勢だけで探せばよかったねぇ」

「そ、そのすみません。思った以上にドワーフが手強くて――」


「ああ、いいんだよ。悪いのは私だ。これは私の判断ミスだから気にしなくていい」

「そ、そうですか――ほっ」

「だけどね……」

「え? ――がっ!?」



 老婆は鷲の紋章を刻んだ杖の先端で、無精ひげの男の頭を叩き潰しました。

 その一撃で、男の頭は大きく陥没し、左目は飛び出して、掠れるような声を漏らします。


「あぴ、はふ、へう」

「いいかい、よくお聞き! 全て私の物なんだよ! ドワーフもお前たちも! お前たちが着る衣服に、血に肉も! お前たちの恋人に友人に妻も子供、ぜん~ぶ!! 私の物なんだよ!! そうだってのに、私の物をこんなにしちまってぇえ!!」


 老婆は激高して、男の頭を何度も叩きます。

 男が地面に倒れても叩くのを止めず、頭が原型を失い、頭蓋から脳が飛び出してもやめません。


 男の頭蓋が粉々になって、顔のお肉と脳みそが土とごちゃまぜのミンチになったところで、老婆は小さく息をつき、殴るのを止めました。



「はぁ……自分の判断ミスが腹立たしいよ。残ったのはガキ一人かい」

 老婆は私へ顔を向けます。

 赤い瞳に姿を捕らわれた私は思わず、小さな悲鳴を上げてしまいました。

「ひっ」


 赤の瞳に映る私の姿。その中に潜む、真っ暗な闇。

 どこまでも深く、底のないこの闇こそが、老婆の本当の瞳の色。


 それは、無精ひげの男から抱いた恐怖とは比べ物になりません。

 もはや恐怖することすら許されない、絶対的な闇。

(こ、こんな人がいるなんて……この人……化け物……)



 じっとこちらを見ている老婆。その老婆に、黒い騎士服を纏う長身の中年剣士が話しかけました。

「ツツクラ様、荷台の準備ができました」

「そうかい。じゃあ、このガキの服をいて乗せておきな」

「はい」

「まったく、本命は親の方だったんだがねぇ」


 老婆は短い指示を剣士に与え、愚痴を交えつつ、豪華な駕籠馬車へと向かい姿を消しました。



 この後、私は衣服を剥ぎ取られて、荷台の上に載せてある巨大な檻へと放り込まれます。

 檻は襤褸切れに覆われて、景色はとても見えずらかった。

 ですが、布の切れ間から、父と母の遺体が見えました。


 私は両親を弔うことも、最期の言葉さえも手向たむけることができなかった。


 父から貰ったお人形も母から縫ってもらった服も失い、両親との繋がりを示すものは一切手元に置くこともできずに、悲しみさえも置いて、一糸纏わぬ姿で檻に放り込まれて、どこだかわからない場所へ連れて行かれる。


 あるのは、心の奥深くに刻まれた恐怖だけ……。


 私は冷たい木の荷台にお尻を置いて、足を抱え込み、私を見つめた老婆の姿を忘れられずに身体を震わせます――――父はこう言っていた。



 ドワーフは人間よりも強い。だが、人間はドワーフよりも怖い――と。

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