奴隷だったドワーフの少女が伯爵家のメイドになるまで

雪野湯

第1話 全てを失ったあの夜

「あっ」



 それは本当に小さく短い言葉でした。

 もし、この時、この言葉を漏らさなければ奴隷として売られ、死よりも恐ろしい仕打ちを受けていたでしょう。

 でも、そうはならなかった。


 代わりに手にしたのは、伯爵家のメイドという立場。

 それは幸福に満たされた、不幸な結末。



――――


 今から百年ほど前、ドワーフ族は人間族に破れ、国家と領地を失い、奴隷に堕ちました。

 多くが人間の奴隷にされる中で、人間族の影響力が少ない地域に逃れるドワーフたちもいた。

 私たち家族もその中にいたのです。


 少数部族が集まる地域……特に人間族を良く思っていない種族が集まる地域で、行商に精を出して旅をする。

 私は生まれた時から家というものを持たずに、ずっと旅をしていた。

 それは行商のため? いえ、人間の狩人たちから逃れるためです……。



 人間の中には奴隷狩りと称してドワーフを狩り、捕え、売買を行う者たちがいます。

 狩人たちは、人間族の影響力が及ばぬ地域にまで深く入り込み、執拗に追ってくる。

 私たちは彼らから逃れ、僅かな糧を得るために目立たぬように商売を行う。


 目立たぬように? それは無理な話。

 だって私たち家族は、ドワーフの中でも貴重な一族――猫族のドワーフ。


 遥か昔、どこか別の世界からやってきた猫の一族と交わったドワーフ。横に尖った耳が特徴的なドワーフ。

 貴重種である私たちを求め、狩人たちは追い続け、やがて追いつく。



 だけど、それは無意味。

 私たちは普通のドワーフじゃない。猫族のドワーフ。

 普通のドワーフ族でも、身体能力は人間族より遥かに上。

 戦争のように策をろうせない場であれば、私たちは人間に負けたりしない。


 そして、猫族のドワーフは普通のドワーフ族の能力を上回る。

 当時十歳だった私でも、人間の戦士を倒せるほどの力を持っていました。


 だから、追いついた狩人たちは父と母の前に倒れていった。

 追手は執拗で大変な日々だけど、父と母と一緒にいるだけで楽しかった。


 私は父が得意とする斧術ふじゅつを学ぶ。

 父は私の頭を撫でて、「この子は私に似たのだろう。まだ幼いのに見事な斧捌おのさばき。戦士を名乗っても遜色ない。天才だ!」なんて褒めてくれます。


 母の手伝いのために、帳簿に広がる数字とにらめっこします。

 母は私をぎゅっと抱いて、「この子は私に似たのね、記憶力が良く、数字にも強い。天才よ!」と褒めてくれます。

 

 ちょっぴり親バカが過ぎるんじゃないかと思うけど、それでも大好きなお父さんとお母さん。

 旅は大変だけど、こんな暖かな日々が明日も変わらずに、ずっと続いていくものだと思っていました。


 あの夜が来るまでは……。



――――――

「お父さん! お父さん!」

 私は父を呼ぶ。暗闇に浮かぶ血塗れで何も語ることない父に向って、ひたすらお父さんと叫び続ける。


「ルーレン、逃げなさい!!」


 母が私の名を呼び、逃げろと言う。

 私の黄金の瞳には、頭から血を流して、腹部から内臓が垂れ下がった母の姿が映る。


 幼い私の目から見ても、母はもう助からないことはわかっていた。

 だけど、私は逃げなかった。

 そこには母を置いて逃げられないという思いがありました。


 でも、それ以上に――恐怖が私の足から力を奪い、すくんでしまっていたのです。



 私は尖った耳を両手で押さえ、涙に満たされてぼやける世界を現実だと受け入れられずに、くせっ毛で長く真っ黒な髪をひたすら振り乱す。


 そこに何かが投げ入れられました。

 それは横たわる父の身体に当たり、ぬるりとした液体で濡らす。

 次には真っ赤な炎が吹き上がり、私の褐色の肌をチリチリと焼く。



 父が炎に包まれる中でも、母は私に逃げろと訴え続ける。

 だけど、その声は野太くしゃがれた声によって遮られた。


「やかましいドワーフだな!」

「ぎゃぁあ!!」


 無精ひげを生やした大柄の男が、母の腹部から零れ落ちていた内臓を引っ張り、地面に引き摺り倒した。

 あまりの痛みに、母は声にならぬ声を産む。それでも……私に逃げろと訴えます。


「ひが、あああああ、ひぎぃぃぃぃ! る、るーれん、にぎゃああてえええ!!」


 もう、母は助からない。だから、逃げないと……逃げないと、父と母の犠牲が無駄になる。

 そうだというのに――足が全く動きません。


 ひざは激しく震え、腰から下が存在しないかのように力が入らない。

 ただ、生暖かいものが太ももを伝わる感触だけは、はっきりと感じられました。



 無精ひげを生やした男はさげすむような目を私へ見せて、大粒の唾を飛ばし笑う。


「ぎゃははは、可愛いねぇ。いつ見ても、ガキが怯える姿はたまんねぇぜ! なぁ、お前ら!」

 男は後ろに控えた十人を超える戦士たちへ声を掛け、さらに言葉を続ける。


「いや~、手強いって聞いてたが、自分のガキを守ってあっさり死にやがった。バカなおっさんだぜ」

 そう言って、男は父を侮辱して、私を見た。

 そして、嫌らしく笑う。


「げへへへ、いいかクソガキ。お前の親父はな、てめぇのせいで死んだんだ。てめぇみたいな足手纏いを庇ったせいで、傷を負って満足に戦えずに死んだんだ。てめぇは親殺しってこった。ぎゃはははは!!」



 この男の言うとおりでした。

 戦士たちは距離を置きつつ、執拗に私を狙い、父と母はそれを懸命に庇い、そして傷を負い……父は倒れた。

 男は私を見て、大声で笑い続ける。

 その声を母が力を振り絞り、かき消そうとします。


「違う! る、ルーレン! こんな男、うぐ、が、こんな男の言うことを真に受けては――」

「うるせいよババア!」

「ぎゃっ」


 男は母の後頭部を踏みつけて、顔を地面に押し込んでいく。

「何が真に受けるなだぁ? こいつが足手纏いだったのは事実だろ! それどころか、いまだに逃げずにぼーっと突っ立たまま。命を賭してまで、お母ちゃまが逃げろ逃げろと言ってんのになぁ。まったく親不孝なガキだぜぇ、ぎゃはははは!!」


「ちがばぁう。あにゃたちのせい……」

「あん? なに言ってんだ、ババア? 聞こえねえよ! のんきに土食ってねぇではっきり喋れよ。おら!」


 男は足に力を籠めて、母の顔を地面に深く深く押し込んでいく。

「がは、ぐぼぼぼ……ぽお」

「ぽお? なに、鳥の鳴き声の真似? ぎゃはは、旦那が隣で燃えてるってのに、ドワーフってのは、ほんとに抜けた連中だぜ!!」

「……」


「おい、聞いてんのか、ババア?」

「…………」

「チッ、マジかよ。ドワーフってのはぁ、糞虫みたいに丈夫なんだろ? 内臓ぶちまけたくらいで死ぬのかよ。はぁ、つまんね」


 男は、母の後頭部から足を外した。

 だけど母は、地面に顔を埋めたまま。

 起き上がる気配がありません。



「おかあさん?」

 小さく母を呼ぶ。だけど返事はありません。


「おかあさん? お母さん! お母さん!!」

 激しく呼んでも、何も答えてくれない。

 もう一度母を呼ぼうと大きく息を吸った。


 すると、男が腰に差していた剣を引き抜いて、母の背中を刺し始めた。

「馬鹿親に似て、うるさいガキだな。ほら、この通り死んでんだよ。ほらほらほら」

 何度も何度も母の背中を刺す。

 そのたびに母の背中から血が滲み出て、私の金色の瞳を赤く染めていく。

 私は母を呼ぶ代わりに、そんな悲しいことを止めさせようとしました。


「やめて、もうやめて――」

「あん?」

「ひっ!」


 男に凄まれただけで、私は言葉を失った。

 その姿を見て、男はあざけり笑う。

「ケケケケ、情けねぇガキだぜ。こんな間抜けな娘のために犠牲になったかと思うと、ドワーフとはいえ二人に同情するわ。ま、親が間抜けだから、子も間抜けなんだろうけどな。ケケケケ」



 男は母を踏みつけて笑う。

 だけど私は、心も体も、言葉さえも恐怖に支配されて何もできない。

 ただただ、間抜けを晒して立ち続けるだけ……。



 そんな中、一人の太った戦士が男に近づき、何やら話しかけます。

「おい、生け捕りの予定だったのにいいのかよ?」

っちまったもんはしょうがねぇだろ。ま、ガキがいれば十分だろ。なにせ、猫族のドワーフのガキだ。きっと高く売れるぜ」


「あははは、そうだな。でだ、しょうがないついでによ……味見しても構わねぇか?」

「味見? おいおい、マジかよ。まだクソガキだぜ」

「ばっか言え。だからいいんだよ。な、構わねぇだろ?」


「あ~、口だけにしろよ」

「ケツくらいいいだろ!」

「駄目だっつ~の」

「チッ、しゃーねぇな。わかったよ」



 太った戦士は無精ひげの男の肩をポンと叩いて、私に近づいてくる。

 戦士は何故かベルトを緩めて、舌先で唇をねぶりながら私を見つめている。

 当時の私にはそういった知識がなく、このあと何が起こるのか全くわかっていませんでした。

 それでも、肌が粟立つような嫌悪感が全身を包みます。


 私は後ずさりをしようとしましたが、力を失っていた足は言うことを聞いてくれず、後ろに倒れ込んでしまう。

 戦士は下着を下ろして、下半身を露出する。


 そして、大きく肥大したアソコを私に見せつけるようにして笑う。

「いいねぇ~いいねぇ~、その何をされるのかわからないって感じがよ~。な~に、大したことはしねぇさ。ちょっと顎が疲れるだけだからな」


 戦士は太い親指を私の口の中にねじ込み、無理矢理口を開けさせます。

「あが? がががが」

「へへへ、それじゃあ――」



――おやおや、あんたたち、一体何をやってんだい?――


 不意に聞こえた老婆の声。

 目の前にいた太った戦士。そして、無精ひげの男に他の戦士たちも、一斉に体を声に向けました。

 私もまた、声の主を金色の瞳で追う。


 そこにいたのは、老婆と背の高い中年の剣士。

 老婆は男たちを一瞥すると、深く淀んだ赤色の瞳を光らせ、凍えるような笑みを生み、とても圧のある声を出しました。


「わたしゃ、猫族のドワーフを生け捕りにしろとめいじていたはずだが……誰か、説明してくれるかい?」

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