第41話
スタジアムから大歓声と電子ドラムのビートが響いてくる。マツリはそのリズムに乗っているかのように、痛みなどまるで感じていないかのように悠々と歩みを進め、疫神まで数歩のところまで迫った。
「く……来るな……」
「止まるなら、苦しませはしないわ」
疫神はカタカタと動かしていた8本の脚をゆっくりと止めていく。それを見てマツリも歩みを止める。
「本当だな……?」
「無駄に痛めつけるのはこりごりなの。相手がお前でもね」
マツリは右手に炎を宿し、そこから刃物を出現させた。ナガサよりも細身で長い刀身を持ち、鍔の無い短めの直刀といった佇まいだ。疫神は脚を畳んで頭を低くする。
「ひと思いにやってくれ」
「ええ」
直刀を片手で持ち、疫神に近寄る。大きく振りかぶる事はせず、もったいぶる事もしない。最低限の動きで直刀を突き出して疫神の頭を貫いた。直後に白い炎が疫神の全身を包み、紫の煙が上がる。そして糸がほどけるように全身が崩れ、灰も残さず消滅した。
ステージから手拍子と合いの手が聞こえてくる。空は今にも朝日がこぼれ出しそうだ。マツリはわなわなと肩を震わせている。
「本当に卑怯……疫神って……!」
「褒め言葉と受け取っておこう」
マツリは振り返って空を見上げる。よく目を凝らすと空から細い糸が地上にまで降りてきていて、それに地上を這う糸が絡みついた。その先端が再び蜘蛛の形になる。今までの事は上空の糸からマツリの意識を逸らし、それに飛びつくためのブラフに過ぎなかったのだ。
「勝負は預けるよナマハゲ。近いうちにまた糸を降ろす。そしたらまたやろうじゃないか」
「本体はまだまだ元気ってワケ?」
「当然だ! 私の体はまだ半分近くを幽界に残してある。糸の姿でな。忌々しい神にだって見つかる事は無い。ゆっくりと休ませて貰うから君も休むといい。今回の事は面白い経験として持ち帰らせてもらうよ!」
蜘蛛が浮き上がっていく。不快な笑い声と共に。糸はどんどん空に消えていった。
「それでは、また会おう!」
「お前に次なんか無いのよ」
マツリの全身を炎が包む。直刀を投げ捨てて駆け出し、驚くべき跳躍力によって空から伸びる糸に飛びついた。その糸をしっかりと握りこみ、落下の勢いを乗せて力いっぱい引っ張った。
「ハイシター!」
空へと消えていくはずの糸が、逆にみるみる飛び出してきた。蜘蛛は地面に落ちて狼狽する。
「そんなバカな……」
「お前みたいな奴に! 救いの糸なんか降りるかよ!」
マツリはさらに力を込めて糸を引き抜く。おびただしい量の糸が空から降り注ぎ、落ちたそばからマツリの炎によって燃え尽きていった。あたりに濃い色の煙が立ち込める。それを食い止めようと蜘蛛が糸を飛ばすが、それさえも燃え盛るマツリには届かなかった。
この糸は幽界に潜む疫神そのものだ。このまま引き摺り出され続け、燃やされ続ければ、すなわち死。彼の存在は消えてしまう。かといって糸の変身を解いて元の姿に戻れば神々たちに見つかってしまう。体の半分以上が削がれた状態でだ。どちらを選ぶべきか。その迷いが命取りだった。
「オォーオオォ!」
「やめろ! やめろやめろ! やめろ!」
さらに糸を引き、ついに糸の終点が引き抜かれた。疫神は同じ言葉を連呼し続け、燃え残った糸を必死に集めて新たな体を構築する。立ち込める紫の煙の中から姿を表したそれは人の形をしていた。小柄でやや肉付きのいい女だ。
「マツリちゃん、もうやめよう?」
聞き慣れた声がする。いつでもマツリのそばにあった声だ。
「もう十分じゃない。マツリちゃんに危ないことして欲しくないし……そんな格好も似合わないよ」
その女は少しずつ後ずさっていく。いつもそんな風に心配させていたのかもしれない。
「だからもう、ね? いいでしょ?」
「タマキはね」
マツリの纏う炎が一段と強まった。地面が割れんばかりに踏み込み、火の玉となって疫神に襲いかかる。
「アタシから離れて行ったりしない!」
疫神は人の形など取っている場合ではない。すぐさま8本の蜘蛛の足を繰り出し、そこへ張り巡らせた糸でマツリを食い止めようとする。しかし糸が出ない。いや、出てはいた。マツリの炎がすぐさま燃やし尽くしてしまったのだ。ほとんど不可視の振り下ろした左の拳が疫神の頭を地面に叩きつける。糸で形を作っただけの中空の体はその衝撃で高々と跳ね上がり、上下の感覚さえ無くなった。マツリは垂直に跳躍してトドメを刺しに向かう。疫神の視界は霞み、もはや彼女の介錯を待つばかり。
かにおもえた。だが最後の最後、文字通り期待の光が彼の目に届いた。朝日だ。ついに夜明けを迎えたのだ。
「やった……やったぞ! 時間切れだ!」
疫神の体はほどけていく。しかし糸になれば、ただの糸になれば、活動は出来なくとも命は繋がる。そうして夜になればまた適当なナモミを持つ人間に取り憑き、糸を育て、何日でも何年でもかけて体を作り上げればいい。もはや疫神は顕界に降りたのだ。
そしてナマハゲもまた朝日の下では活動できない。少なくともあのナマハゲはそうだ。こうなってしまってはナモミツキを祓うどころかナモミを消すことさえできない。そんなナマハゲが疫神を祓うことなど到底不可能なのだ。
「私はやった! またしても障害を乗り越えた! これで私を阻むものなど何もない! この顕界を、神なき世界を! 私の物に――」
疫神は涙を流さない。しかしこの時ばかりはからっぽの目の奥が熱くなる感覚があった。徐々に体がほどけていく。視界もさらに霞み、希望の朝日だけが見えるものの全てだった。
しかし、その光が赤く染まっていく。視界の外から赤いものが入ってくる。ひどくゆっくりとした動きに見えた。
「なんで……」
霞む視界の中に現れたのは真っ赤な仮面だ。朝日が縁を照らし出し、より一層真っ赤に輝くナマハゲの仮面だ。疫神にはそれだけがはっきりと見えていた。
「なんでだよォ! 時間切れだろォ! 守れよルールをォ!」
「ガッチメガス!」
右の拳が直撃。その衝撃と生み出す熱が、疫神の体を完膚なきまでに滅却した。糸の一本さえ残らず、吹き出した煙さえも燃え尽きた。
マツリはバランスを崩しながらも片手と片膝をついて着地。その衝撃も、拳に残る感触も、全てをマツリ自身が直接感じていた。息を整えてゆっくりと立ち上がり、仮面を外す。視界の端に新鮮な光が差し込み、目を細めてそちらを見た。
人々が長く守り続けた森と、天高く伸びるビル群。そして半逆光のアカツキスタジアムからは喝采が聞こえてくる。東京の新しい一日がはじまった。
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