第40話


 ステージにジュンが登場し、人気の火付け役となったデビュー曲が景気良く流れ始めると、スタジアムは今までのストレスを発散するように熱狂した。今この瞬間、風に舞う糸を見ているのは3人だけだ。


「柴灯さん、あらかじめ言っておきます。頼れるのはナマハゲ様しかいらっしゃいません。パーントゥ様は既に時間外です。かなり無理もしていただきました。私はなんの装備も持っていません」

「わかりました、ナマハゲさんもかなりしんどそうでしたが」

「道具を使わない術ならいくつか使えます。宮古は……」

「ぶん殴るか」

「万が一の時は頼む」

「頼むんかい」


 そうして話しながらも3人はそれらしき糸の動向を目で追い続ける。パーントゥの残した泥の中に落ちると、そこに残されていた糸を集め始めた。泥の中でうごめくように形作られていく。


「ナマハゲさん、行きますよ!」マツリが手を叩いたが手応えがない。「ちょっと、ナマハゲさん! 時間もないし、あと一踏ん張り!」

「どうしたんです」

「ナマハゲさんの反応が無くて……それに気配も」

「気配? ずっとしてるじゃないですか。以前よりも強いくらいですよ」

「あれぇ? どこから?」

「お前」

「アタシ?」


 マツリは自分自身の体を見渡した。どうもナマハゲがいるような実感がしない。それにマツリからナマハゲの気配がしているということは既に憑いているということだ。それさえも実感がない。


『次に何かあったら、おらになるつもりで力込めてみれ』


 そういえば、と思い出す。ナマハゲになったつもりでとはどういうことか、力はどこに込めるのか、よくわからないままナマハゲを強くイメージしてみた。


 とにかく怖い。顔が怖くて体つきが怖くて声が怖い。初めて会った時は早く消えてくれと祈るほどだった。すぐ怒鳴るのも怖い。何かあるとすぐにシャキっとしろ! みたいなことを言う。でもそれはマツリのため、人間のためにそうしてくれていたようにも思う。そう、怖さで覆い尽くされているが、それを剥いで行けば多くの優しさを持っていたように感じる。時々冗談も言ったりして、意外と人間に近いのかもしれない。


 そんなことをつらつらと考えていると、胸の奥の方に力が集まっているのが分かった。それは冬山のように獰猛で苛烈でありながら、大地のように力強く、炎のように眩しいものだった。


「そういうことですか……」


 マツリがぽつりとつぶやく。エントランスの先では疫神の糸が長い足を持つ蜘蛛のような形になって動き出していた。大きさは人間の腰ほどまでもある。灘儀と宮古が身構えて攻撃に備えた。


「柴灯さん! いけますか!」

「ええ」


 そう言いながらもマツリはナマハゲに変わらない。しかし疫神の方も襲いかかってくることはなかった。よろよろとした足取りでエントランスから離れ、スロープへと逃走していく。


「肝が冷えましたが……どうにか凌いだ……」

「逃がすワケねべした」

「はい?」

「灘儀さん、宮古さん、手を叩いてくれますか? 3回、お願いしますって感じで」

「なんだそれは」

「ナマハゲさんを降ろす時に毎回やってたんで、多分クセになってるんですよ」


 灘儀と宮古が目を見合わせる。言っている意味がよく分からなかったが、ひとまず言われるがままやってみることにした。行きますよと声をかけ、手を一度叩いた時だった。


「マツリちゃーん!」


 大音量の音楽と歓声の中で確かに聞こえたタマキの声。灘儀たちのすぐ後ろまで来ていた。蜘蛛を睨みつけていたマツリが首を回す。二度目の柏手。マツリの頬が緩み、逆にタマキの方はこわばった。

 そして三度目。マツリの体が真っ赤な炎に包まれ、タマキの目が眩む。その目が開かれた時には駐車場で見た時と同じような姿に変わっていた。だが、僅かに違う。体は逞しいもののやや細身で、長髪には癖がない。そして何より、身につけた仮面が赤熱している。赤いのだ。


「柴灯さん、それは……ナマハゲ様ではない!」

「アタシはアタシですよ」


 マツリはさらりと答えて灘儀に道を譲るようにとジェスチャーをし、タマキの目の前へ歩いて行った。仮面の顎に手をかけてさも当然のようにそれを外して素顔を見せた。変身がとけることはない。


「タマキ。これさ、ナマハゲに貰ったんだ」


 仮面と装束を見せるように体を揺らす。困ったような顔で笑ってみせた。


「だから行かないと」


 タマキはその姿を目に焼き付ける。そして小さくため息をついて、マツリと同じように困ったような笑顔をみせる。


「やーっと見つけたのに。大事にしなよ」

「うん、すぐ帰るから。今度こそ動かないでよね」

「わかったってば」


 手を払うようにして早く行くように促した。マツリは仮面を軽く掲げて外を向き、それから仮面を被って、スロープをよたよたと逃げる疫神の元へと歩いていく。


「いい顔してたと思いませんか?」タマキが隣にいた灘儀に話しかけた。

「え? ……そうですね。とても」


 2人は遠ざかっていくマツリの背中を見ていた。その姿は暁の空の下でゆらめくように輝いている。


「マツリちゃん、正しい事をしたかったみたいなんです。でもいつからかそれがバカらしくなっちゃってたみたいで」

「分かる気がします」

「アハハ、酔っ払ってたときに言ってた事だからどこまで本気だったか分からなかったんですけど、今あの顔を見たら、本気だったんだなって」

「柴灯さんは本当に、神鬼の来訪神にふさわしい、正しい心を持っていらっしゃると思いますよ」


 タマキの目が潤み、空の僅かな赤味が反射した。スタジアムではジュンの曲が終わって歓声が上がったところだ。


「よーしみんな! それじゃあ次は、新曲だー!」


 観客席が揺れる。一曲目で心をつかまれた人がよほど多かったのか、立ち上がって歓声をあげている者も少なくない。


「いやー今日は大変だったよね。もっともーっと楽しくなるはずだったのに、急に大雨が降ったり、雷が落ちたりして。それで楽しい事が無くなっちゃって、いつの間にか怖い夜が来てさ、光なんかどこにもないじゃんって思えちゃったりね」


 ついさっきまで大騒ぎしていた観客はジュンのMCを静かに聞いていた。


「でもほら! 見て!」


 ジュンがまっすぐに腕を伸ばして真上を指差し、全方位を見渡す。観客はそれにつられた。スタジアムの上空には夜明け間近の空があった。


「そこにあるから! それに……」ジュンが自分の胸を親指で指した。「みんなのここにも! その光を見失わないで! ……っていう曲をやります。ピッタリの時間だね、やっぱり私って持ってるわ!」


 客席から歓声と笑い声が響いた。観客の顔はどれも弾けて輝いている。ジュンはそのひとつひとつを確認するようにもう一度見渡して、満面の笑顔を咲かせた。


「それじゃあいくよ! 『RISE ARISE』!」

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