第32話
警察が仮設の本部としているロッカールームは混乱を極めていた。爆発の説明を求めている記者たちへの対応もそうだが、彼らにはそんな事に構っている暇などまるで無かった。
「隊長! 待ってください!」
「人手が足りていないんだ、私も出なければ」
鹿又は本部を離れようとする彼を止めようとする部下の意見を却下し、部屋の外へと向かう。
《大森隊! 応援求めます!》
《梅屋隊、付近にレッドなし! 行けます!》
「どうしますか!」
「人員を正面と東へ集中させろ。南の灘儀くんには梅屋隊をつけ、西は宮古くんに任せる。いいな?」
《もう居る》
《灘儀です、了解しました》
鹿又はバイザーで各所の状況を確認する。彼のバイザーが真っ赤に染まるほどのナモミツキが突然出現したことでこのような指示を求める声が絶え間なく届いていた。スタジアムのパニックは収まるどころか急激に悪化し、各所で観客と警察、あるいは観客同士でも諍いが発生。暴力沙汰にも発展し、速やかな鎮圧が求められている状況だ。そして検知システムによれば、その原因となっているのは全てがナモミツキによるものだった。
《本部! 武器使用の許可を求めます!》
「各隊ビーンバッグ弾までの使用を許可。残り少ないが追加の護符も届ける。ガスは使うな」
《とてもスタジアム内に押し止められません!》
「一時的に外へ出しても構わない。だが絶対に逃すな。隊形を徹底しろ。制圧するか護符を使って反応を消せ」
「記者への対応はどうします」
「後回しでいい。惑わされずに監視と連絡を徹底するように。鹿又隊、出るぞ」
数人の隊員が鹿又の後に続いて部屋を出た。すぐさま吸い寄せられるように記者たちが押し寄せてくる。それに彼のバイザーが反応した。
「なんてことだ……!」
監視カメラの少ないバックヤードの惨状がオニ部隊の主観カメラによって炙り出される。近寄ってくる全ての人間が赤く表示されていた。おびただしいナモミツキの反応だ。
「警察が絡んでいるんですか!」
「説明責任を果たせ!」
「オニ部隊は何をしていたんだ!」
「辞任しろ!」
鹿又は護符の入ったケースをひとりの隊員に任せ、左前腕についた盾を展開して警棒を抜いた。暴動鎮圧用スタンバトンだ。他の隊員もそれに倣う。
「武器を出したぞ!」
「許せない! 横暴だ!」
「責任者を出せ!」
「辞任しろ!」
大きく息を吸う。警棒を握る手に、丹田に、両足に力を込め、記者たちに立ちはだかる。
「特別監視機動隊の鹿又だ。あなたがたを危険因子と認定し、拘束する!」
オオ! と部下たちが応えた。鹿又が先陣を切る。記者たちは逃げるどころかいきり立って襲いかかってくる。鹿又の体は流れるように動いた。次々と地面や壁に押しつけて制圧し、数の差を埋めていく。一方で彼の頭の中には濃い霧が立ち込めている。いったいなぜ。これからどうすれば。
それを落ち着いて考えている暇などあるはずもない。多くの人間が煮こごりのような粘体を纏い始めている。ナモミツキの力の発現だ。一刻も早く、大事になる前に目の前のナモミツキを鎮圧しなければならない。いま彼が考えていいのはそれだけだった。
《タツ、結界は?》
「恐らく暴動で護符がいくつか破られたんだ。機能が弱まってる。その分パーントゥ様も動きやすくなるだろうが……クロはひとりで大丈夫か?」
《問題ない》
その言葉の通り、パーントゥの活躍は目覚ましかった。そんちょそこらのナモミツキなど彼の敵ではない。素早い身のこなしを奴らが捉えることはできず、次々に泥をかけて祓っていく。西口は最もナモミツキの出現数が多い場所だったが全く意に介せず続々とその反応を消していった。
ひとつ気にかかる事があるとすれば、それは対峙しているナモミツキの姿だ。頭部を細い糸でぐるぐる巻きにされた人間の姿をしているものが大半を占めている。
「皆様方、私から離れないでください!」
一方で南口の灘儀も方相氏と陰陽師としての力を存分に振るっている。流麗な槍捌きはナモミツキを寄せ付けず、黄金の四つ眼を持つ仮面はそれを向けるだけでも奴らをひるませる。さらに九字による破邪の領域がオニ部隊を強力に守っていた。人が永きにわたって磨き上げてきた退魔の技術は来訪神にも引けをとっていない。
正面口と東口も苦戦してはいるものの、人員が増えたことによって拮抗状態までは持ち込めているようだ。反応の出ていない人を守りながらの戦いは楽なものではないが、それでも全体としてはやや優勢に立っていると言ったところだ。しかし油断は出来ない。ナマハゲが口にしていた「糸」が今まさに目の前にあるのだから。
「ナマハゲ様がおっしゃっていた通りなら、彼らは疫神に関係している可能性が高い。頭が糸で巻かれているものには近づき過ぎないように」
「方相氏、それはどれです?」
小さく舌を打った。オニ部隊たちには糸が見えていない。灘儀はこれが何を意味するのか考えを巡らせる。護符によって最低限の退魔の力は付与されており、灘儀に見えるものは彼らにも見えるはずなのだ。しかしそうなっていない。最悪の自体のひとつとして考えられるのは、彼らがすでに疫神による何らかの攻撃を受けている可能性だ。
「みなさん、一旦引きます! あなた方を祓わなくてはならない!」
「我々をだって?」
「万が一のためです、疫神の影響が出ている可能性があります」
「今ここを離れるわけにはいきません! 一般人を守らなければ!」
意見が通らない灘儀は語気を強める。
「私たちが倒れてしまえばそれも叶わないでしょう!」
「俺たちを疑うのか!」
「今は他に優先することがあるだろう!」
灘儀は違和感を覚えた。ナモミツキに関しては部隊全体として灘儀の考えを尊重することで一致していて、今の今までそれが徹底されていたというのにこの反応は何だ。会話は鹿又にも聞こえているはずなのに彼は一体何をしているのだと心の中で毒づく。そこへ宮古から通信が入った。
《妙なのが出た》
「クロか。どんなのだ」ため息混じりに聞いた。
《糸の玉だ》
「玉?」
宮古の周囲は見渡す限り泥にまみれ、そこに彼が祓った何人もの人が横たわっている。その人々から糸が伸びていた。泥が付着した糸は一箇所に集中するように伸びていき、宮古が気づいた時には糸の玉を形成していたのだ。バレーボール大のそれは今もなお泥の中でうごめくように回転して糸を集め続け、少しずつ体積を増している。
パーントゥは両腕を振って玉に泥を浴びせかけた。しかし回転は止まらない。それどころか速度を増し、周囲の糸をどんどん巻き取っていく。
《手を出すんじゃないぞクロ、こっちはもう少しかかる》
「もう出した」
《あぁ! もう!》
パーントゥが玉に向かって蔓を伸ばすと回転に巻き込まれるようにぐるぐると巻かれていく。十分に絡みついたところで蔓を引っ張り、弧を描くように宙を走らせて床へと叩きつけた。それでも糸玉は何事も無かったかのように回転を続けている。それどころか蔓を取り込んでさらに大きくなり、ナモミツキが発生させるような紫の煙もほとんど立っていない。危険を感じたパーントゥは蔓を切り離して距離をとった。
「泥の効きが悪い」
《拘束はできそうか?》
「やってみる」
《頼んだぞ》
「おう」
さらに蔓を伸ばす。回転に巻き込まれないように蔓同士を編み込み、ネットのようにして糸玉を包み込む。それをさらに蔓でぶら下げた。それでも糸玉はネットの中で回転し、倒れた人間から伸びる糸を巻き取っている。パーントゥは巻き取られている糸を掴んで束ね、引きちぎる。濃密な紫の霧が吹き出すと回転が緩やかになった。
「できた」
宮古は満足そうに呟き、南口へと急行した。
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