第31話
バックヤードでは多くの記者がロッカールームに押し寄せていた。爆発音の原因について警察の発表が出されるのを今や遅しと待っているのだ。警察側は原因を調査中で後ほど発表すると何度も言っているのだが、ステージが中断している上にスタジアムの外に出ないように警告されてしまっている以上、苛立った記者たちが追えるのはそのことしか無い。
タマキはその人だかりの中から体をひねり出すようにしてようやく抜け出したところだ。普段はグルメの記事を担当する事が多い彼女にとってこの環境は辛いものだった。人に揉まれてクタクタになりながら競技用具が置かれた通路を通り、ひとまずステージが見える通用口を目指していると、ブルーシートをかけられた用具に腰掛けている見慣れた人物を見つけた。聖だ。ラップトップを脇に置き、ずぶ濡れの体をタオルで拭いている。
「聖さん、どうしたんですか? こんなところで」
「あら月見里。いやね、この天気でしょ? 外のテントは危ないから中に入るようにって言われて。車に行くからいいって言ったんだけどね、これからもっと崩れるみたい。崩れてるのはこっちのメイクだっつの」
「アハハ、お疲れ様でした。そうだ、マツリちゃんから動画受け取れました?」
「柴灯? いや、会ってないわよ?」
聖は髪を挟むようにタオルを当てながらあっさりと答えた。タマキの胸がきゅっと締め付けられる。
「そんな、だってカラテマスターの時に持って行ったんですよ?」
「そうなの? だいぶ経ってるわねぇ。迷っちゃったのかしら」
「まさか……私じゃないんですから」
携帯電話で呼び出そうとしたが相変わらず繋がらない。探してくる旨を聖に伝えると探すあても無いまま小走りで駆け出した。ステージへの通用口、トイレ、簡易休憩室などを見て回ったがどこにもいない。バックヤードには居ないのだろうかと客席を見に行こうとしたところで多くの警察官に出くわした。なにやら殺気立って道を開けるように声を上げており、その奥から複数のストレッチャーが列をなしてやってくる。タマキは道の脇に避けながらも早く通り過ぎないものかと体を揺らしていた。それがぴたりと止まる。
「マツリちゃん……?」
すぐ横を通ったストレッチャーを目で追った。脳が冷えるような感覚があった。気づいたときには足が動き、口が動いていた。つぶやくように何度も彼女の名を呼ぶ。その度に心が強く波打ち、その波は涙となってあふれ出す。ストレッチャーを運ぶ消防隊員を押しのけて彼女にすがりついた。
「マツリちゃん! ねぇ! どうしたの!」
マツリの顔色は真っ白だった。喉が裂けるほど彼女に呼びかける。消防隊員がタマキを引き剥がそうとするが彼女は信じられないほどの力でそれを押し返し、ただひたすらにマツリに呼びかけ続けた。
「やだ! マツリちゃん! 目を開けてよ!」
取り乱すタマキに周囲の記者たちが気づいた。すぐに彼女を取り囲んでカメラを向ける。消防は無理やりにストレッチャーを動かし、タマキがそれとともに動くと、記者達もそれに続いた。そうしているうちにマツリのまぶたがピクリと動き、薄く目を開けた。
「タマキ……」
「ああっ……!」
マツリのか細い声を聞いたタマキは膝から崩れ落ちそうだった。どうにか堪えたもののもはや言葉を話す事はできず、嗚咽が漏れ続ける。
近くでシャッター音が鳴った。ひとつ、ふたつと続くと、堰が切れたようにあちこちから聞こえてくる。爆発事故の被害者らしき女とその友人が涙を流す様子を捉えようといくつものレンズが取り囲んでいた。
「爆発の現場にいたんですか!」
「どのような関係ですか!」
「爆発の原因はわかりますか!」
「誰かが故意にやったんですか!」
「何かひとこと!」
一斉に声が飛んだ。誰も彼もが目を血走らせ、どうあってもネタになる何かを手に入れようとしている。
「やめて! やめてください!」
タマキはマツリに覆い被さるようにして彼女をレンズから隠そうとする。しかしそうすればするほどシャッターはけたたましく鳴り響き、記者たちは熱を帯びた。
「あなたはなぜ現場に!」
「トピックだ! トピックの新人だ!」
「記者なら話すべきだ! 何があったのか!」
「君の仕業じゃないだろうな!」
八の字を寄せていたタマキの眉間に皺が寄る。奥歯が鳴り、顔を上げて記者たちを睨みつけようとしたその時だ。マツリの左手がタマキの頬にそっと触れた。応急的に巻かれた包帯が痛々しい。タマキの眉間から力が抜け、その手をとった。
「いいのよ、タマキ」
「でも!」
タマキは悔しそうに嗚咽を飲み込んだ。そこでマツリが気づく。タマキの頬にふわりとまとわりつくような何かがあった。それは細く、ほとんど目に見えない。しかし指先には微かな感触が確かにあった。ひどく痛む左手を動かしてそれを摘む。
「すみません、ここからはご遠慮ください」
「みなさん離れて!」
隊員たちがストレッチャーを囲む人たちに声をかけて救護室へ駆け込んでいく。マツリは引き離されて遠ざかっていくタマキに向けて精一杯の笑みを向け、そこで目を見開いた。彼女の目が引きつけられたのはタマキの後ろから救護室の中を伺う記者たちの顔だった。誰も彼もがまるで繭のように細やかな糸でぐるぐるに巻かれているのだ。すぐに扉が閉められて見えなくなったが、かわりに左手で摘んでいたものに一瞬テンションがかかってすぐに緩んだ。そちらへ目をやると極めて細い糸が手のひらの上に乗っていて、それは空気に溶けるように消えた。
「糸……糸! 糸だ……!」
マツリは締め付けられるような痛みを頭に感じた。同時に記憶が強い閃光となって脳裏に浮かぶ。自分がとった行動。人を嬲ることを正当化し、楽しみ、それを止めるナマハゲをも傷つけた。そして自分自身をも。その後悔とフラッシュバックした衝撃的な光景によってマツリは叫び、身を悶える。右手で左腕の裂傷を強く握りしめたせいで再び出血した。
「まずい! 押さえろ!」
「安定剤を!」
「大丈夫だ、落ち着いて」
複数の隊員に体を押さえつけられ、意識が遠のく。糸が見えたのに。どうにかしなくちゃいけないのに。灘儀に、鹿又に、このことを伝えなければ。そういった想いも闇の中に沈んでいく。あとこの事を伝えられるのはナマハゲだけだ。しかしもはや左腕の痛みさえもが鈍く、いつも手首にあった藁の組み紐さえそこには無かった。薄寒さに包まれながら、彼女の意識は風に吹かれたロウソクの火のように消えた。
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