第30話


「柴灯さん聞こえますか!」

「ナマハゲ! 何があった! 応答しろ! くそ……まだ入れないのか!」

「間もなくです!」


 鹿又たちとナマハゲとの通信は途切れていた。さらに強まった雷雨のせいではない。彼自身が纏った炎と何度も受けた爆発によって通信装置が壊れたのだ。オニ部隊の一部は駐車場へ向かう階段に作られたコンクリートの壁を破壊する作業を続けている。

 スタジアム内では雷雨を避けて留まっていた多くの観客が足元から幾度も聞こえてくる爆発音によってひどく動揺し、逃げ出そうとする人が続出。それを押し留めるために多くの警察官が駆り出されていた。


「開きます! 注意してください!」


 コンクリートに穴が空き、炎が吹き出す。脆くなった壁をハンマーで壊し、鹿又をはじめ数人のオニ部隊が真っ暗な駐車場内へ進入する。油が焼ける匂いが充満し、ひどく煙たい。真っ先に灘儀が先行し、ナモミツキがいない事を確認してから消防と警察、それとオニ部隊が展開していく。


「柴灯くん! ナマハゲ! どこだ!」

「こさいだ」


 全員のライトが小さな声のした方へ向く。大きな刃物を手にしたナマハゲが闇の中に浮かび上がった。肩で息をしていて、身にまとった仮面や藁はすすけており、傷だらけで横たわる男に寄り添うように膝をついている。


「そいつは……?」

「急げ。治療がいるべ。他にも何人か転がってるはずだ。回収班のお仲間もな」

「そうだな。医療班! 急げ!」


 ナマハゲが言うように駐車場内ではのちに回収班の2人を含む複数の人が見つかった。ナモミツキに取り込まれていた人たちだ。どれも意識は無いものの五体は無事。医療班が言うには低酸素症の症状が強く出ているとのことだった。


「ナマハゲ様、何があったかお聞かせ願えますか? それと、柴灯さんは?」

「マツリを休ませてやってけれ。それと、糸を……」

「ナマハゲ様!」


 ナマハゲの体を瞬間的に炎が包むと彼は消え去り、マツリが姿を現した。前後にぐらりとふらつき、倒れそうになったところを鹿又が支える。


「柴灯くん、鹿又だ。聞こえているか?」

「はい……」

「柴灯さん、ナマハゲ様はいかがなされたのですか? まさか……」

「それは後だ! 医療班、彼女も頼む!」

「いえ、私は……」


 呼吸が浅く、回数が多い。光が宿っていない目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。


「その……すみません……」


 マツリの傷はいつもナマハゲが引き受けている。しかし今回は左腕に大きな裂傷があった。手首につけていた腕時計と藁の組み紐ごと鋭利なもので切断されており、大きく出血している。だが彼女の症状はそれ以外のものが大きく関係しているのであろうことは誰の目にも明らかだった。


「いいんだ、よく頑張った。なんにせよ治療と休息がいる」


 救出された人とナモミツキの依り代、そして顔面蒼白のマツリが速やかにストレッチャーで運ばれていった。それを見送ると気持ちを切り替えるようにフッと息を吐いて通信を繋ぐ。


「こちら鹿又。スタジアム、状況はどうか」

《蓮沼隊! 観客はパニック状態です!》

「直ちに被害状況を確認、危険の有無をアナウンスしろ。ただし駐車場には近寄らせるな。梅屋、大鳥、穴守、矢口の各隊は至急スタジアムの応援へ向かえ」

《周辺の監視はよろしいのですか?》

「今や君たちを外に置いてはおけないのだ。速やかに行動せよ。宮古くん、彼らに注意を払ってやってくれ」

《わかった》


 地下駐車場へ行くことができなかったパーントゥは強い雨によって身に纏う泥を艶めかせ、スタジアムの屋根を跳びまわって各所を監視している。特に気にしているのはナマハゲが言っていた『糸』のことだ。

 ナマハゲの話していたことを整理すると、それは疫神の力であり、疫霊とともに境界をすり抜けてこの世界にやってくる。人間をすぐさまナモミツキにすることが可能で、ナモミツキたちを統率する事もできる。時に神でさえ手駒にされる。『糸』とはおおよそこのような物だ。

 そして統率した多数のナモミツキを集結させることで疫神が降臨するための隠禍孔を開こうとしている。そのために駐車場のナモミツキにはナマハゲの足止めという役割が与えられていたと考えられる。


「クロ、糸は見えないか?」

《どこにもない》


 灘儀は思う。やはり考えすぎなのだろうかと。スタジアムには結界があり、たとえそこから出たとしてもそれをナモミツキにするほどの大きな疫霊はそう多くない。小さな疫霊によって運ばれるという『糸』の存在も確認できていない。

 しかし、ナマハゲは姿を消す直前にも『糸』と口走っていた。そのことが今回の作戦に『糸』が関与すること、そして隠禍孔が開くという予測の両方を否定できなくしていた。


「そうか。引き続き頼む」

《おう》

「それと……ナマハゲ様がお隠れ……いや、そうだな、お休みになられた」

《やられたのか》

「いや、そうではないはずだが……くれぐれも気をつけるんだぞ」

《おう。お前もな》

「ん……わかった」


 宮古が短く返事をするだけではなく、身を案じたことに灘儀は小さく動揺した。あれはあれで危機感のようなものを感じているのだろうと察する。


「糸は確認できなかったんだな」

「お聞きの通りです。今は会場の安全を確保することに注力するべきでしょう」

「そうだな……」


 鹿又はそれに悩まされていた。スタジアムから人を出していくべきなのだろうか。悪天候のせいでステージが中断しているところへあの爆発騒ぎだ。パニックを起こしてしまったのも当然のことだろう。天候は一向に回復の気配を見せず、ステージが再開する見込みもない。これでは暴動に発展してしまう懸念もあった。


「灘儀くんはどう考えるだろうか。一度観客を外に出すというのは」

「私も考えていました。既にこれまでに無い数のナモミツキを祓っています。作戦は一応の成果をあげたと言えるでしょう。ですがこれほどの数がまとまって出ているという事実、それに『糸』の懸念が無いとは言い切れません。スタジアムから離れた途端に再びナモミツキが現れ、それらが同時に力を発現させれば今以上の混乱を招くでしょう」


 鹿又は全くその通りだというように頷き、顎を撫でる。


「それでは人数を絞り、少しずつ外に出していくというのはどうか。駅や近隣施設までのバスを用意し、それに乗れるだけの人数を出していくという体で」

「なるほど……それならば監視の目も行き届きますし、たとえナモミツキが出ても私とパーントゥだけで十分に対処できるかもしれません。ただ……」


 灘儀は鹿又の案に概ね同意しているものの、どうしても懸念を振り払いきれずにいた。今日という日は何もかもが異常だ。何が起こっても不思議ではない。そのような実感が脳裏にまとわりついている。


「君の懸念はわかる。だが常に満点の解答があるとは限らない。被害をもたらすのはなにもナモミツキだけではないんだ。今は早急にパニックを収めなければ」

「ええ。お任せします。私は『糸』の影響を受けたと思われる人をもう一度調べます」

「よろしく頼む」


 2人が駐車場を去った。ほどなくして爆発によるスタジアムへの被害は軽微だった事、それとバスを用意する旨のアナウンスが流されたが、騒ぎはさほど収まっていないようだった。誰もが爆発事件だけでは無い、何か言いようのない不安に駆られていたのだろうか。その正体を目の当たりにする時は刻一刻と迫っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る