第27話
「うわ! なにお前!」
男がいた。バンドTシャツを着て、首にかけたタオルもフェスのものだ。突然飛び込んできたナマハゲに驚いて鼻歌を中断するが、恐れている様子は無い。
「すげーカッコしてんな。どっかのバンドの人? コスプレ?」
「ナマハゲだ」
「おー! 知ってる知ってる! 北海道のヤツだろ!」
《彼からは反応は出ていない。適当にやりすごしてくれ》
「確かに全然気配がしませんね。……あれ?」
「……まぁ、そんなところだな」
「わかった、じゃあロビンシスターズのファンだな? そろそろ順番だぜ。見逃すなよ」
「ナマハゲさん、聞いてください」
マツリが何かに気づく。男はひらひらと手を振ってナマハゲの横を通り抜け、出口へ向かって行った。
「待て」
ナマハゲが振り返らずに声をかける。男の足が止まった。マツリに言われた事をナマハゲが話す。
「スタンプはどこに押してらんだ?」
「スタンプ?」
「入場用のスタンプだ。それがねば入れねべした。大体のヤツは腕に押す。だどもおめにはそれがねねが」
「あー……」
長めの間が空く。ナマハゲは男の言葉を待った。
「これから押してもらうんだよ。今来たところだから」
「ばしこぐな。駐車場は満車でねが」
ナマハゲがゆっくりと振り向く。手には台帳が開かれている。
「おめよ、名前がねんだが?」
「そんなわけねーだろ」
「おらはおめに名乗った。だどもおめのページがどこにもね」
「言ってる事がよくわかんねえんだよなー、訛ってるし」
男はつねにへらへらと笑い混じりに話している。しかしナマハゲは頑として態度を崩さない。
「この台帳には全ての人間の行いが載っている。だがお前は載っていない」
「何言ってんだよお前、大丈夫か?」
「お前が普通の人間ではないからだ」
「やべーってほんと」
「それにナモミの気配があまりにも無すぎる。全く感じない。そんなのは赤ん坊くらいのものだ」
「俺もう行くからな」
さすがの男ももう笑ってはいられないといった様子で足早に去っていく。ナマハゲの御幣杖が炎を纏い、男に向かって突進する。なぎ払われた燃え盛る杖が男の頭を捕らえる直前、彼の姿が忽然と消えた。
「下か!」
ナマハゲには男が床に向かって消えたように見えた。だがそこには床があるだけだ。しかしナマハゲの足の裏から僅かに紫の煙が立ち上っているのを見て御幣杖を突き立てる。コンクリートが砕けて破片が飛んだ。
「くそ……!」
「今の人間でしたよね?」
「ああ。だども大体分かった。あれはホンモノの人間と同じ性質のニセモノだ」
「え、結局どっちなんですか?」
「この床もホンモノと同じ性質のニセモノだ」
「つまり?」
「つまり!」
御幣杖を振りかぶって遠くの壁を狙う。槍投げの要領で二度三度とステップを踏み、いざ投擲するその瞬間、近くの壁の方に踏み込んでそちらへ投げつけた。杖が壁に突き刺さり、煮こごりが弾けとび、猛烈な紫煙が発生した。壁が波打ち、床が波打ち、天井が波打って、包み込むように金属質の悲鳴が聞こえてきた。
「駐車場全体がナモミツキなんですかぁ!」
「正確には! ホンモノと同じ性質のものに変化したナモミツキが、ホンモノを覆ってらったんだ!」
まるで胃の中にでも居るかのように駐車場全体がうねり、車同士がぶつかる。10センチ程度の厚みの煮こごりが強く波を打っている。しかしナマハゲが立っている周囲2メートルほどは硬いコンクリートのままだ。杖が刺さった壁には杖を避けるように窪みができている。
「おらの動きに合わせて部分的にホンモノの素材に化けて、その周囲は全てナモミツキだった」
「人間をあの薄っぺらい体に引きずり込んでたんですね。さすがに来訪神は体内に入れたくないのか……。殺さずに取り込むにはどんな意味が?」
「力を使うための燃料なのは他のナモミツキと変わらねども、ニセモノを作るための参考としても必要だったんだべ」
周囲を取り囲むナモミツキが襲い掛かってくる事に備え、腰を落として身構える。だが波は次第に落ち着き、再び静寂が戻った。
「あいー! やざねしゃ!」
「何がしたいんですかね、もうネタは割れてるのに。アタシこういう奴が一番キライっす。いや好きなナモミツキとか居ませんけど」
《ナマハゲ》
「なんだず!」
《相手は時間を稼いでいる。そう考えた場合、何か理由は思い当たるだろうか》
「時間稼ぎだぁ?」
《というよりも、君の足止めかもしれない》
「足止めしながら、それでもオニ部隊は攻撃した?」
「ああ……ああ! そういう事だが!」
ナマハゲが合点がいったというように叫ぶ。同時にぞくりとする寒気が背中を撫で、外で雷が鳴った。直後にオニ部隊の通信が飛び交う。
《正面エントランス! レッド多数!》
《東側もだ! スタジアムの中から!》
《来訪神をよこしてくれ!》
《結界内に叩き込め! クロ、近いところから頼む!》
《おう》
雷鳴が続けざまに轟く。それに呼応するようにオニ部隊の監視モニターには赤い点が増えていく。
「隠禍孔!」
「なんです?」
「しったけデカい禍孔を開こうとしてらんだ!」
《そんなバカな!》灘儀が叫ぶ。《隠禍孔を開くためにどれほどのナモミツキが必要だと思っているんですか! 一万以上ですよ!》
「ここにいるでねが! 数万人が!」
灘儀はぐっと息を呑む。一気に冷や汗が浮かんできた。悪夢を振り払うように反論する。
《お言葉ですが! 一人をナモミツキにするには禍孔を必要とする程度には強力な疫霊、もしくは複数の弱い疫霊が必要です! 禍孔は増えていても千にも満たない! そしてそれを補うほどの小さな疫霊は出現していない!》
「おらは見たなだ」
ナマハゲは大きく息を吸い、間を置いてから続ける。
「あれは狭間の中でも幽界さ近い場所。マツリと会う前だ。そこでは神々と疫神どもが今も戦ってら」
「ええ、それは聞きました」
「その疫神の中に居たなだ。疫霊を『糸』でからめとって思うがままに操る疫神が」
《糸……ですか》
「んだ。その糸自体の力は弱い。だども、殆ど見えねぐて何にでもからみつく。それから穢れた力を注ぎ込む。来訪神までもが何人かやられて手駒にされた」
「そんなことが……」
マツリは出会った頃のナマハゲの姿を思い出す。ボロボロだった彼の姿を。
「個々の衝動で自分勝手に動く疫霊を糸を使うことで統率できる。ここにいるナモミツキがおらを足止めしてるんだば、それは他のナモミツキがやられないようにするためだべ。そったこと、普通のナモミツキは考えね」
「糸がここまで降りてきてるって事ですか!」
《しかし……それと一万ものナモミツキを揃えて隠禍孔を開くこととは繋がりませんよ。数が足りないのですから》
「神をも操り、疫霊に力を与える糸だど。人間くらいわけもね。小さい疫霊に何本も絡み付けたまま境界を抜けさせて、その糸で直接人間に絡み付いてる可能性あるべ」
再び雷鳴が聞こえた。かなり近い。スタジアムからは歓声ではなく悲鳴や怒号が聞こえてくる。
《糸によって擬似的なナモミツキを作り出していたと》
《我々のシステムが直前まで検知できなかったのはそのためか》
《糸には心当たりがある》
宮古だ。ナモミツキに対処しながら息も切らさず通信に応えている。
《さっき戦った集団、糸に引っ張られるような動きをして奴がいた》
灘儀はため息をつき、がっくりと頭を落とした。鹿又も組んだ腕に力が入った。
《決まりだな。糸はどうすれば防げる》
「それはおらにもわがんね」
《であればまずは客を結界内に留めましょう。スタジアムから出た瞬間にナモミツキを検知しているということは、すでにスタジアム周辺に糸が張り巡らされているのかもしれません。しかしスタジアム内では検知されていない。結界が効いているのでしょう》
「パーントゥが危ねど。糸にからめとられねえようにしろ」
「ナマハゲさん、アタシたちはどうします?」
ナマハゲは動けずにいる。彼の足止めが目的である可能性が高まった以上はすぐにでも脱出したいところだが、かといってこれほど大規模なナモミツキを放置するわけにもいかない。
《やはりクロを行かせましょう。彼なら姿が見えなくても駐車場全体を泥で祓えます》
「あんな奴に負けたみたいでムカつきますけど、その方がいいかもしれませんね。交代しましょうか」
「勝ち負けでもねべ。適材適所だ。そっちの結界はちゃんと効いてらが?」
《人員を割けば問題なさそうだ。我々で対応しよう》
「よし。宮古くん頼む」
《わかった》
パーントゥは東側エントランスにたむろしたナモミツキに泥を浴びせかけ、正面エントランスを経由しつつ西駐車場を目指す。多くの警察官がスタジアムから出ようとする客を中に押し留めようとし、そこかしこでトラブルが発生している。ステージは落雷と雨で中断しているようだ。
「ナマハゲさん、アタシたちは出ましょうか」
「そうすんべ。中途半端ではらんべわりどもな」
「ハランベ……」
「腹が立つって言ったんですよ」
「あ、腹は立ってたんですね」
「それはそれ、これはこれだべしゃ」
ナマハゲは壁から杖を引き抜いた。壁に変化はない。踵を返して出口へ向かう。
「それならやり合うかァ?」
ナマハゲの足が止まる。どこから聞こえたのだろうか。上からも、下からも、正面からも聞こえた。
「そしたら余計に、ハランベワリドモになるだろうよ」
杖を構える。直後にふくらはぎに痛みが走った。切られている。十徳ナイフ程度の傷だ。しかし足元には何もない。
「ぐぅっ……」
「ナマハゲさん!」
「なんともね!」
甲高い金属質の笑い声が響く。ナマハゲは足元に注意を払いながらじりじりと位置を変えていく。車の屋根に飛び乗り、それを乗り継いで出口を目指す。
「オオっとお! そりゃカッコ悪いんじゃネエの!」
目指す出口付近の床が風船のように膨れ上がり、分厚いコンクリートの壁となって出口を塞いだ。ナマハゲは迷いなく飛びかかって唸る拳を叩き込む。大きくヒビが入ったが崩れはしない。かわりにコンクリートでできた小さく鋭い鎌がいくつも飛び出して切りつけてきた。素早く飛び退いて再び車の屋根に着地する。周囲を見渡すと、階段に通じる複数の扉も同じようにして封をされていた。
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