第26話


 選手通用口では多くの記者が『カラテマスター』を待ち受けていた。タマキは小さな体を大きく伸ばし、そして大きな声を出してどうにかコメントを取ろうとしているが人だかりに埋まってしまっていた。そんな彼らの行く手を遮るように立つ一人の記者が声を張った。


「おいマスター! 来られなかったカラテカに届けろよ! 魂!」


 ざわめきがすっと引いた。視線が記者に集まる。マツリだ。記者らしからぬ態度と言葉遣いに空気がピリつく。だが『カラテマスター』の3人は違った。かわるがわるハンディカムに向かって熱いメッセージを叫び、マツリが煽るとさらに叫んだ。短いながらも濃密な動画が撮れたマツリは歩き去る彼らに手を振り、それに連なる記者たちを見送った。


「マツリちゃんやるぅ!」

「タマキ! ごめん、寝過ごした!」


 勢いよく飛びついてきたタマキを受け止めて2・3歩よろめいた。踏ん張ろうと足に力が入る一方で、彼女に何も起こらなかったことを確認できて肩の力が抜ける。


「いいのいいの。それよりびっくりしちゃったよさっき」

「まぁアタシ結構なカラテカだからね。くすぐり方は心得てるってワケ」

「カラテカ?」

「カラテマスターのファンのこと。そういう言葉を選ばなきゃ」


 得意げにハンディカムを振った。スタジアムからは先程とは毛色の違う歓声が上がっている。若い女性のカリスマ『YAMI』がパフォーマンスを始めたのだ。バックヤードではそれが終わるまでにカラテマスターの記事をまとめあげたり、幕間MCの『あるある』や『ガビーン』に話を聞いたりと上を下への大騒ぎだ。その喧騒の中に妙な話題が混じっている事に気づく。


「正面エントランスで何者かが泥を撒き散らしているらしい」


 マツリは妙な汗をかいた。当たり前だが来訪神が姿を現せばそれは人の目にとまる。まだはっきりとパーントゥが出たとは分かっていないようだがいずれ知られるだろうし、決定的な映像を取られるだろう。もちろんナマハゲも。その時はどうしたものかと考えを巡らせる。


『マツリ、そのまま聞け』


 噂をすればだ。緊張感のある口調でナマハゲが話しかけてきた。


『気づいてらが? すぐ近くさナモミツキいるど』


 マツリは顔を上げて周囲を見渡す。バックヤードはそもそも臭いが強いせいなのか、ナモミツキらしきものはハッキリとは感じられない。


「どうかしたの?」

「えっと……あ、今撮ったやつ聖さんのとこ持ってくから、タマキはYAMIのインタビュー頼むわね」

「うん、いいけどデータだけ送ったらいいんじゃないの?」

「あー、なんか今日電波悪いし、それにこれは見栄えさせたいからさ。聖さんに相談したい事もあるし」

「オッケーわかった、任せといて!」

「よろしくぅ!」


 タマキの肩をポンと叩いて人ごみを縫うように駆け出した。鼻から息を吸ってナモミツキを探る。やはり位置がハッキリとしない。


「鹿又さん、柴灯です! 私の近くに反応ありませんか?」

《バックヤードだと?》何やら連絡を取り合う声が聞こえる。《いいや、何も無い》

「そうですか……」

《柴灯くん、君の感覚を信じて欲しい。近くに居ると思うのか?》

「ええ。でも今までよりもあやふやな感じがするんです」

《分かった。バックヤードの人員を追加して監視させる。何か見つけたら連絡させよう》

「よろしくお願い――」


 腐臭がマツリの鼻を突いた。鋭く、ハッキリとしている。力を顕現しつつあるナモミツキのものだと確信した。


「出ましたよ! 近い!」

《確認した。西の地下駐車場。近くに人もいる。柴灯くんは近くの階段で向かえ》

「了解!」


 鹿又は苛立ちが漏れる口調で近くのオニ部隊にも指示を出した。再びナモミツキの接近を許し、しかも力の顕現を許してしまった理由が分からずにいるのだ。司令室にしている部屋の奥で複数のモニターを確認しながら唇を噛む。


「灘儀、今いいか」

《もう少しお待ちを》

「耳にだけ入れておく。先程からスタジアムに近づくまでナモミツキを検知できずにいる。今しがた検知されないまま力の発現に至るナモミツキも出た」

《ええ、聞いていました》

「君はどう考える」

《まずはシステムに不具合がないか確認してください。あとで映像を見ます》

「……わかった」


 不服を飲み込み、一旦マイクを切る。深く息をついた。そこへ報告が入る。


《本部より通達。歩道南エリア、レッド確認》

《梅屋隊了解、確保へ向かう》


「ちゃんと動作しているじゃないか」


 再び深く息をつき、バイザーをあげて目頭を強く揉んだ。




 人の多いバックヤードから解放されたマツリは薄暗い階段を駆け降りる。


「ちょっと荷物多いですけど変身できますかね?」

『ま、おめなら問題ねべ』

「よし、お願いします!」


 三度手を叩く。地下駐車場の1階へ続く扉が勢いよく開いてナマハゲが現れた。その場で強く7回足踏みをして奥へと踏み出す。広大な駐車場の天井は低く、見渡す限り車だらけで視界は悪い。次第に強まる雨によって湿気と共にコンクリートの匂いが吹き溜まっている。


「居ますね、ここに」

「その割に静かだごど」

《柴灯さん、聞こえますか?》

「なした」


 通信手は急に恐ろしげな声が聞こえてきたことに動転し、言葉を失った。


「はえぐせ!」

《スミマセン! ええと、レッドの反応が消えました。カメラにも捉えられていません》

「消える前はどんな姿だったなしゃ」

《どんな……カジュアルな格好で、恐らく若い男でした》

「人の姿のままか」

「ナマハゲさん、そのナモミツキの近くにいた人がどうなっているか聞いてください」

「ナモミツキの側にいた奴はどうなった」

《それが、そちらも同時に消えてしまったんです。二人がすれ違った瞬間にこう、ふっと》

「やっかね奴だごど」

「でも気配はしますよね」

「んだな、とりあえずまわってみるべした」


 ナマハゲはのしのしと、しかし早足で駐車場内を見回った。外周から通路を見ていくがそれらしき姿はない。それでも気配だけはしっかりと感じている。


「小さい奴なんですかね? 今までみたいな奴なら隠れる場所なんて無さそうなもんですけど」

「こったにハッキリ感じてらんだ。それも後山の奴と同じぐれの強さは持ってらべ。そったにちっせ奴じゃねど思うどもな」

「ですよね……」


 気配を見失わないように注意を払いながら通路に入ってナモミツキを探す。上の方から大歓声が聞こえてきた。YAMIのステージが終わったのだろうか。なんの気無しに天井を眺めると、何かが視線に引っかかる。マツリはその感覚が何なのかを確かめようとして、そして引き攣ったように息を吸った。


「わい……こいだばやっかねじゃ」


 コンクリートが剥き出しの天井には黒っぽいシミが広がっていた。だがそれはカビでも汚れでもない。薄っぺらく引き伸ばされた人間だ。人間が黒い煮こごりでコーティングされている。マツリは広く薄く伸ばされた人間と目があっていたのだ。


「どうしてこんな……」

「考えても仕方ね! 居るど、近くさ!」


 ナマハゲの右手が燃え上がって御幣杖が現れる。炎を纏ったままの杖を掲げて天井を突くと、シミが立体感を帯びた。煮こごりが溶け出し、立体感を取り戻した人間が力なく落下する。意識を失っているそれを受け止めて柱に寄り掛からせ、オニ部隊に回収を要請すると、杖を構えて周囲を警戒する。


「他にも天井に貼り付けられた人がいるんでしょうか」

「どうだべな。ここは人が少ねぇ。いたとしても数人だべ」


 ナマハゲは天井にも注意を払いながら更に捜索を続ける。彼には違和感がまとわりついていた。ナモミツキは積極的に人を襲う。それが自らの力になるからだ。そしてそれを邪魔する来訪神には明確な敵意を向ける。だというのになぜ襲いかかってこないのか。

 そうこうしているうちに回収班の二人がやってきた。オニ部隊自らがフル装備での登場だ。来訪神が堂々と行動しているところをわざわざ一般の警官に見せることはないのだろう。それでもナマハゲの姿を目の当たりにすると、どこか腰が引けているように見えた。


「ここだば危ね。はえぐ運んでけれ」

「了解です。そうだ、レッド……ナモミツキ? は見つかりそうですか?」

「時間かかるかもしれねども必ず見つける。まがへれ」

「はい、よろしくお願いします。よし、行くぞ」


 ナマハゲは早足で捜索に戻り、オニ部隊の二人は折り畳み式のストレッチャーを開いて搬送の準備に入った。ごく小さな唸り声をこぼす要救助者を乗せ、いざ持ち上げようと位置に着こうとした時だ。視界の端を不穏な色が横切った。赤だ。


「レッ!」


 その声にナマハゲは振り返る。静かだった。誰もいない。ステージはスタンバイの時間なのだろうか。歓声は聞こえてこない。仮面の中に吐息が響く。ただひとつだけ賑やかだったのはオニ部隊の通信だった。何が起こったのか突き止めるために即座に監視カメラと視覚映像の解析が始まった。


《柴灯くん……いや、今はナマハゲか。鹿又だ》

《灘儀です》

「何か分かったなが」

《すぐに何か具体的なことが分かるだろうが、今は視覚映像をそのまま伝える。両者ともに突然ナモミツキを検知した。それは君たちが天井から助け出した人物だ》

「まさか! そんな気配は全然しませんでした!」

《でも反応は間違いなくその人から出ていました。突然反応したんです。直後、映像がダウンしました》

「監視カメラは?」

《君たちの位置はカメラから遠い。細かいことはわからない。だがほんの一瞬で消えたことだけは分かった。3人が同時にだ》

《妙な相手です。クロも向かわせましょう》

「待て!」


 ナマハゲの大声によって入り乱れているオニ部隊の通信全体が一瞬止まった。静けさの中で杖を構えるナマハゲはまるで石像のように動かない。


「なんか変だと思わねが? まずよ、おらたちがここさ来てから何もされてねのに、なしてオニ部隊の二人はすぐに攻撃されでらんだ」

「確かに……目的がよくわかりませんね。実は弱いからナマハゲさんとは事を構えたくないとか?」

《強かろうと弱かろうと、ナモミツキが対抗勢力である来訪神から逃げることなんてありませんよ。近くの人間を優先することはあっても、基本は単細胞な奴らなので必ず攻撃してきます》


 マツリはお手上げといった様子で、ナマハゲに他の妙なことがないか尋ねた。


「それに気配も妙だべ。ずっと付かず離れずだしゃ」

「そうですね。今まで以上に方向が絞れません。最初に感じた気配はすごく強かったですけど、今はそんなでもないですし」

《現在検知できているナモミツキはスタジアム外周に数体いるだけで、いずれも力を発揮していないようですよ。この気配でも無さそうですね》

「となるとこの気配はいったい……」


 ガチャリ。バタン。駐車場の奥で車のドアの開閉音がした。ナマハゲは即座に地面を蹴り、車を飛び越えて音がした地点へ駆けつける。

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