第25話


《2・Aブロック、蓮沼隊。レッドを確保》

《蓮沼隊、本部了解》

《保護室、糀谷隊。方相氏の協力求む》

《糀谷隊、本部了解。方相氏行けるか》

《すぐに行けます》

《7・Gブロック――》


 頭の中に直接響くような声でマツリが飛び起きた。反射的に腕時計を見る。0時を回っていた。外はすっかり暗くなっていて、数えるほどの水滴が窓についている。しっかり眠ってしまったことへの後悔を振り払って助手席を見るとタマキがいない。携帯電話を見るとメッセージが残っていた。


「おつかれさま! メリークリスマス! 急がなくていいからゆっくり来てね!」


 ナルトをモチーフにしたキャラのスタンプがくるくると回っている。気持ちはわずかに和むがそれでも焦りと緊張が上回り、車から飛び出して左耳の裏を押し込む。


「柴灯です。灘儀さん、私も行きますか?」

《結構です、今のところはオニ部隊と聖泥の来訪神と私でどうにかなっています。それより神鬼の来訪神は息災でしょうか》

「ナマハゲさんですか?」左手首に呼びかける。「ナマハゲさーん? 居ますー?」

『バカけ。おめより先に起きでら』


 背後から声がした。車の屋根に肘を乗せる様にして立っている。


「あ、スンマセン……灘儀さん、ナマハゲさん元気です。すごく」

《それは何よりです。間もなくナモミツキも活発になるでしょう。気持ちの準備だけお願いしますね》

「了解です!」


 通話を終えるとすぐさまタマキに電話をかけた。しかし上手く繋がらず、メッセージでやり取りをしながらスタジアムへ向かって駆け出す。ナモミの臭いが明らかに強まっていた。




 バックヤードにあるいくつかの部屋は警察の出張所のように使われている。周囲の道路の渋滞がひどくて通常の逮捕者を移送する事さえ困難なため、ロッカールームはそれらを一時的に留置するために使われていた。別の小さな一室にはオニ部隊によって確保されたうちの数人が捕らえられている。ナモミツキを宿す者達だ。今まさに灘儀の祓いを受けて気を失い、また別の部屋へ運ばれたところだった。


「多くなってきましたね」

「ああ、ここ30分すでに17名。ここからが正念場と行ったところか」


 完全武装の鹿又がカジュアルな服装のままの灘儀の横に立ち、奇妙なコントラストを生み出していた。部屋の隅では何をするでも無く宮古がパイプ椅子に腰掛けている。鹿又のバイザーにはスタジアム全体におけるリアルタイムの配備状況と事件の発生地点、それと必要な映像が表示されていた。


「そちらの手は足りていますか? 宮古はいつでも出られますが」

「このペースのままだと2時間後には厳しくなるだろう。我々が直接確保しなくてはいけない場面が増え、ナモミツキの力の兆候が見られる者もいる。君から預かった護符が無ければ危なかったことも多いようだ」


 オニ部隊の各隊員には灘儀お手製の護符を携行させていた。ナモミツキが発現した力から守るためのものは装備の中に貼り付け、他にナモミツキを祓うための、いわば攻撃用の護符も数枚ずつ持たせてある。


「もうそんな段階ですか。護符が傷ついた者はすぐにこちらへ寄越してください。張りなおしますので」

「頼む」


 ナモミツキの確保状況はある程度順調と言えた。開演前から現時点まででおよそ60を確保し、その全てを祓う事ができている。かつてこれほどの数のナモミツキを一日で観測した事は無く、すでに成功といっていいほどの成果が挙げられている。にもかかわらず、ここに来てさらに出現ペースが上がっているのだ。


「しかしこれほどのナモミツキが潜んでいたのだな。それもこの東京に」

「人が多いので当然と言えば当然ですが、正直に申し上げて想定以上です。最悪の事態も想定した方がいいかもしれません」

「それは……隠禍孔が穿たれる、ということだろうか」


 灘儀は眉間にしわを寄せ、言葉を選ぶ。


「極めて考えにくい事態ですので、無視してもいいのですが」

「歯切れが悪いな」

「もしあったとしても、対策が無いのです。隠禍孔が穿たれれば現れるのは疫神。神なのですから」

「来訪神では対抗できないのか?」

「難しいでしょう。力の差は歴然です。対抗できるとすればそれは上位の神々だけです」

「その神の力を借りる事は?」

「非常に大規模な儀式を長期にわたって行った上で、ほんの僅かにお借りする事ができます。現実的ではない。それゆえに強力な境界をお作りになられたのでしょう」

「それがこうも簡単に破られていてはな」


 鹿又が吐き捨てるように呟いた。灘儀の鋭い視線はバイザーによって遮られる。


「だが、出来る事をやるまでだ」

「その通りです。宮古にも準備をさせましょう。情報統制をよろしくお願いしますよ」

「承知した」


 二人が部屋をあとにしようとした、その時だった。


《1・Dブロック! 1・Dブロック! 大森隊、レッドを複数……多数確認!》

「正面エントランスか」


 鹿又は大森隊の視覚映像を呼び出して愕然とする。長いスロープを歩いて近づく黒山の人だかり。オーバーレイ表示によってその半数近くが赤く染められていた。ナモミツキだ。


「大森隊! 来訪神が出る! 民間人の安全を優先、相手が動くまで動くな!」

「クロ! 出番だ!」

「おう」


 宮古は椅子の下に置いたカバンの中から泥の仮面を取り出し、部屋を飛び出した。陸上選手さながらのストライドで外を目指す。


《柴灯です! 私行きますよ!》

「柴灯くんは……西の関係者入り口近くか」

《うわ、そんなこともわかるんですか!》

「君はいい、まだ分散させておきたい。業務を続けてもらって構わない」

《いやー集中できませんねそれ》

「それと、くれぐれも観客席には入らないように」

《了解です、頑張ってください! じゃあちょっと取材に入るので!》


 マツリのマイクが切れた。こんな状況でも取材内容は明かせないようだ。宮古と入れ替わりで護符を使用した隊員が数名やってきた。灘儀は彼の無事を祈りながら護符に力を込める作業に移る。

 その側で鹿又が考え込んでいた。ナモミツキを検知するシステムはオニ部隊のバイザーに搭載されているものではない。あらゆる場所に設置されたカメラの映像を解析したものだ。スタジアム周辺にも多数のカメラがあり、これほどの接近を許す前に検知できるはずだった。だがそうはなっていない。これは何を意味するのだろうか。今は静かに灘儀の仕事が終わるのを待つ。



 ステージはゴールデンタイムだ。クリスマスを迎えたことで観客のテンションが上がっている中、目玉のバンドのひとつである『カラテマスター』によって生み出された凄まじい歓声がスタジアムの外にまで響いている。

 細雨は徐々に強さを増し、小さな水溜りを作っていた。それは宮古にとって都合が良かった。駐車場を兼ねる東の通用口から飛び出した彼は走りながら仮面を水溜りに触れさせ、それを顔に持ってきた。


「パーントゥ。行くぞ」


 宮古と重なり合うようにして走るパーントゥからの返事はない。しかし変化は起こった。パーントゥが仮面に飛び込むとそこから泥が溢れ出して宮古の頭を包み込む。それは雨を浴びると更なる泥を生み出して全身を覆い、その中から生えた蔓が泥を補強する。パーントゥの降臨だ。

 それと共に走りが大きく変化する。地面と溶け合うようなそれは走っているような、しかし泳いでいるような奇妙なものだったが、ただただ速い。地面を舐めるように泥の塊が飛沫を上げて滑っていく。その速度を持って飛び上がると巨大なスタジアムの階段を飛び越え、伸ばした蔓を使ったスイングジャンプで距離を稼ぎ、さらに滑る。すれ違った多くの人は彼をまともに視界に捉えることさえできず、いつの間にか腐葉土のような独特の匂いがする泥を浴びていた。


「大森隊。パーントゥだ。離れていいぞ」


 ものの十数秒で正面エントランスに到着し、大森隊に泥を引っ掛けながら人だかりに突進した。数人が彼に反応して視線をよこしたが、すでにそこに姿はない。パーントゥは飛び上がり、回転するようにして見境なく泥を浴びせかけた。


「言っておくが、俺にはどれがナモミツキかわからないからな」


 人だかりを飛び越えた先にべちゃりという音とともに着地する。突然泥を浴びせかけられた人たちは何が起こったのかわからずに困惑したような声を上げているが、中には明らかに苦痛の悲鳴をあげている者がいる。


「あいつか」


 パーントゥは右手で背中を引っ掻くようにして泥をかき出すと、それがあっという間に長い棒のようになって固まった。そして再び人だかりに向かって駆け出し、すぐさま距離を詰めると一人を棒で突き上げる。その体の中から煮こごりのようなものが吹き出して霧散し、倒れこんだ。


「次」


 言うや否や体を回転させて泥を撒き散らす。悲鳴を聞くまでもなく紫煙を吹き出す3人を目視。左腕を上下に振って泥の塊を飛ばし、2人の視界を奪いつつ残った者の腹を棒で打つ。再び煮こごりが霧散。打った反動で逆回転して動きを止めていた2人を流れるように打ち据える。


「次」


 パーントゥの周囲は泥にまみれ、紫の霧が徐々に濃くなってきている。オニ部隊の呼びかけによって数名がエントランスに向かって駆け出した。そうせずに立ち向かおうとする者をナモミツキとみなして泥を飛ばし、棒を振り、打ち据えていく。霧はさらに濃くなった。その時、オニ部隊の声が耳に届く。


「レッド接近!」

「くそ……警棒で行く!」


 先程逃げ出した人の中にナモミツキが混じっているようだ。銃を使えるような場面では無い。意を決して警棒を伸ばした時にはすでにパーントゥが一団を拘束していた。彼の全身から伸びた泥まみれの蔓でがんじがらめになっている。


「どれだ」

「真ん中!」

「わかりやすい」


 その1人がパーントゥのもとへ一気に引き寄せられ、そこへ後ろ回し蹴りを合わせる。しかしそれはギリギリで足が届かない地点で不自然に停止する。まるで蔓以外の何かによって反対側に引っ張られているかのようだ。だがパーントゥはそのまま更に体を回転させて飛び蹴りを頭部に命中させる。煮こごりが霧散。蔓を回収。彼の周りはまるで水田のように厚く泥が撒き散らされている。


「今のは……?」


 残るは2人。共にナモミツキだ。両者はもはやそれを隠そうともせず、金属的な響きのある絶叫と共に全身から煮こごりが溢れ出て全身を包む。そのはずだったのだが、それは液状になって雨に洗われ、そのまま力なく倒れこんだ。濃密な煙が立ち込める。ナモミツキ検知システムから赤色が消え、ステージではエレキギターの残響と割れんばかりの拍手が鳴っている。


「何が起こった」


 大森隊の視覚映像を見て困惑する鹿又が声を漏らす。ようやく一人分の護符を張りなおした灘儀がモニターに共有された同じ映像を見て口を開いた。


「見るのは初めてでしたか。聖泥の来訪神の泥には比類なき祓いの力が宿っています。あれほどの泥を浴びてしまえば、あの程度の疫霊ならば顕現した瞬間に祓われて当然ですよ。泥に近づくだけでも辛いでしょうねえ」


 灘儀はどこか誇らしげで、それでいてうっとりとした目をしている。一方で鹿又は苦言を呈した。


「なぜそれを言わなかった。あらかじめ隊員にその泥を塗っておけば良かっただろう」

「それはお勧め出来かねますね。緊急時の手段としてはいいでしょうが」

「なぜだ?」

「私の口からはなんとも」


 鹿又は少し考え、それから大森隊にパーントゥから泥を塗ってもらうように命じた。宮古が本当にいいのかと念を押したものの、それで折れる程度の決断ではなかったようだ。言われるがままべったりと泥を塗りつけると、隊員たちは咳き込み始める。


「これは……!」

「なんてニオイだ……」


 隊員たちの咳きが止まらない。見ればメインエントランス周辺にいた観客達も多くが咳き込んでいる。濃密な腐葉土のような独特の匂いは鼻腔だけでなく気道までをも刺激し、大きく息を吸い込むことはとてもできないほどのものだった。


「良薬口に苦しと申しまして」

「大森隊、帰って泥を洗い流せ。各所情報統制……それとスロープの掃除も急げよ」


 灘儀はため息をついて監視業務に戻った。それから先、彼が宮古に口を出すことはなかった。

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