第24話


 開演まで時間があるとはいえ、この日はやらなければいけないことが山積みだった。各所でリハーサルを行っているミュージシャンへの取材、現場の様子、そこで起こったいざこざ、世間の反応、物販の情報、時間がある限りありとあらゆるものを記事にしていくとあっという間に太陽は西に傾いていた。マツリが長い列に並ぶファンからコメントを取っていると、そこへ近隣のスタジオでのリハーサル中のミュージシャンを取材していたタマキがやってきた。


「想像以上だねこれ。道路までズラッと並んでたよ」

「開場を16時に前倒しだって。もう10分ちょっとね」

「そうだ、キャップから電話来てたよ。今日の動き確認するからメディア用テントに来いって」

「え、アタシには電話来てないけど」

「繋がらなかったって」

「あー……流石だわ」

「何が?」

「なんでも。そんじゃ行くか」


 16時を指すと同時にスタジアムが人を飲み込んでいく。チケット購入者は体の任意の場所に特殊なインクのスタンプが押され、入場ゲートがそれを自動で感知していく効率的な手段がとられていた。それでも列が無くなる気配はない。メディア用テントも多くの記者でごった返しており、マツリたちは端の方に追いやられ、長テーブルの角で立ったまま打ち合わせを始めた。聖だけは丸椅子に掛けてホットアイマスクをしている。


「俺と市河が0時まで密着する。そこから6時までは柴灯と月見里。そこでまた俺たち」

「6時間交代ですね」

「キャップ」市河が手を挙げて口を挟む。「やっぱり柴灯と月見里じゃ不安だと思うんスけど」


 茉本は3人の記者を見渡す。それから腕を組み、息を吐いた。


「確かに、不安はある」

「はぁ?」


 瞬間的にマツリの湯が沸く。タマキは今にも食ってかかりそうな彼女の袖を引っ張って自制してくれることを祈った。


「しかしだ。柴灯、正直最近のお前は何か持ってる。ここんところトピックに注目が集まってるのも、本誌が売れてるのもPVが増えてるのも、お前のネタが発端だろ」

「……ウス」吹きこぼれは防げたようだ。

「ここでキッチリ取材をして、さらに何か持って来れたら完全に社内での見方が変わるだろうな」

「それってつまり?」

「お前は紙面志望なんだろ? ここでもう一発結果を出してみろ」


 マツリの全身に鳥肌が立った。引きつったように口角が上がり、体がわなわなと震える。タマキは彼女の背中をバンバン叩いて黄色い声を上げた。


「ザッス! やったります!」

「やったれマツリちゃん!」

「おーし。じゃあとりあえず時間まではバックヤードを張れ。オープニングは全員で行く。それが終わったら柴灯と月見里は0時に備えろ。以上。解散」


 取材カバンを担ぎ上げて力強く踏み出す。乳酸がたまっている感覚はあったものの体は軽かった。


 18時。カウントダウンタイマーに0が並ぶ。主要な出演者がステージに並ぶ様子をマツリとタマキは選手通用口の奥から見守る。歓声はすでにスタジアムを揺らさんばかりだ。

 メインスポンサーであるシラビックスの代表がスピーチをして、人気お笑いコンビ『イーコ』の二人が場を温め、国民的ロックバンド『Spirits』がオープニングアクトをキメると、トーキョー・クリスマス・ビートはいきなりフルスロットルの盛り上がりを見せた。ごったがえすバックヤードで出演者からコメントを取り、即座に原稿を書いてメディアブースの聖が体裁を整え、記事にする。


 永遠に続くかと思われた1時間が過ぎた頃にはあれほど満ちていた気力はすっかり抜けてしまっていた。スタジアムから漏れ出してくる歓声を背に、マツリとタマキは互いに「おつかれ」とだけ声を掛け合い、風に遊ばれるビニール袋のような足取りで最寄のファミレスへ向かう。時間帯のわりに客は少なく、3人はスタジアムが見える窓際の席にどっかりと腰を下ろした。


「ようやく一息だね……」

「もう何も食べずに寝たいわ……」

「ダメだよちゃんと食べなきゃ! 私はグラタンにしよっかなー、二人は何にする?」

「じゃあ納豆パスタとカフェオレで……」

「マツリちゃん、そういう組み合わせ好きだよね……」

「アハハ! 私もどっちも好きだけど普通は一緒にしないよねー」

「そんなに変じゃない……え?」


 マツリは目をこすった。対面のタマキの隣に大きなキャスケットを被った人が座っている。メガネもかけていたが注目すればすぐにその正体が分かった。マツリとタマキが同時に声をあげた。


「え!」慌てて声を潜める。「ジュン、なにしてんの?」

「ご飯食べようとしたら二人が出て行くのが見えたからさ、着いて来ちゃった! メリークリスマース!」

「気が早いなぁ」


 ジュンはあっけらかんとしてピースサインを出した。さっきまでステージで見せていた笑顔を二人に向けて振りまいている。在庫が切れる事は無いようだ。


「全然気づかなかったよー」

「えー、タマキ、私そんなに存在感無い? まぁこっそり着いてきたんだけどさ」

「心臓に悪いって。それよりこんな所にいていいの? リハーサルとかあるんじゃない」

「ここまで来たらあとはやってきたことを出すだけでしょ。せっかくのフェスなんだから楽しくやろうよ。リラックスリラックス」

「大物になるよほんと」

「マツリちゃんは直前まで詰め込むタイプだもんねー」

「あ、なんかわかるー!」

「うっさいわね……」


 マツリは手早くタブレットを操作し、納豆パスタとカフェオレという組み合わせにヤジを飛ばされながら注文を済ませた。すぐに配膳ロボットがやってきて商品を受け取り、他愛もない話に花を咲かせた。


「それで? ジュンはいつ出るの?」

「ちょっとー、それくらい覚えといてよ。明日の6時くらい」

「それならまだ私たち会場にいるかもねー」

「ホント? じゃあ新曲聴いてもらえるじゃん!」

「でも時間帯的にはあんま良くないんじゃない?」

「ジュンちゃんなら来年はゴールデンタイム取れるよー」

「タマキはいい子だよね、ほんとタマキはいい子」

「どーせアタシはヘソマガリですよ」

「マツリちゃんのこういうところ可愛いでしょ?」

「かわいいー!」


 納豆パスタをがっつく。それからしばらくマツリいじりをして、結局小一時間続いた女子会はジュンが牧村に連行される形で終わりを迎えた。腹が満たされたことで急激な眠気に襲われた二人はスタジアムの駐車場へ向かい、停めてあった車の中で仮眠をとる。


「漫喫とか使えばいいのに」

「あんまり離れたら何かあった時に駆けつけられないでしょ」

「キャップと市河さんでしょ、大丈夫だよ」

「どっちにしてももう限界。アタシは寝るわ」


 シートを倒して狭い車内でできるだけ体を伸ばし、それから腕を組んで寝る体制に入った。その様子を見てタマキも続く。


「なんかワクワクするよね、こういうの」

「アンタはなんでも楽しそうでいいわね」

「マツリちゃんと一緒ならね」

「よせやい」


 そうしてダラダラと話しているとなかなか寝付けなかったが、暫くするといつの間にか眠りに落ちていた。遠くから聞こえる音楽と歓声を子守唄にして、軽自動車の中の時間は静かに過ぎていった。

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