第21話
薄っぺらいドアの前にたどり着く。その薄さを抜けてくる音はなく、人の気配を感じない。
「それっぽいリーク情報ねぇ……」
オニ部隊が立てた作戦はどれだけの人をスタジアムに呼べるかが極めて重要だが、一方でできる限り東京在住者の割合を多くしたい。遠征する人を少なく、それでいて話題性を作り出せて、なおかつ収益を得るに十分な集客を得られるであろうラインとして開催3日前の告知を予定したわけだが、それは言ってしまえば机上の空論だ。誰もこの規模のイベントにこのようなプロモーションをしかけた経験も無ければ、前例も無いのだから。
そこでオニ部隊はあえて情報を漏洩させることで、実際のところどれだけの人がどの程度の反応を示すのかというデータを取ることにしたのだ。その情報は信じられても無視されても好ましくない。ソース無しのSNSの噂では信用に足りないし、かといって有名ミュージシャンが漏らした体にすると信じられすぎる。
その点で週刊トピックはそれなりに立場のあるメディアである一方で飛ばし記事も多いという絶妙な立ち位置だった。あり得るような、しかし信じすぎるのも良くないという伝わり方が予想された。
そう説明されている中でマツリは地面に足がついたような気分がしていた。なにも自分の仕事が信頼性に欠けると言われたことに怒ったわけではない。あの場にいたマツリは記者としてというよりも、作戦の参加者としての気持ちが強かったように思い起こされた。
「アタシって雰囲気に流されやすいのかな」
首を捻りながらドアを開ける。同時に部屋の奥でガタンと物音がしてマツリが短い悲鳴をあげた。
「あれ、マツリちゃん?」
デスクに突っ伏していたのであろうタマキがむくりと起き上がり、体を反らせるようにして大きく伸びをした。
「寝ちゃったよー、もー」
「なんだ……タマキか」
「なんだじゃないでしょ。遅すぎー。チキン冷めちゃったよ?」
「ごめんて」
マツリはようやく部屋に入ると握りしめていた手帳をデスクに置いてどっかりと腰を下ろし、背もたれを鳴らした。言われてみればチキンの匂いがタマキの方から漂ってくる。胃腸が動くのを感じた。タマキは席を立って湯沸かし器のスイッチを入れ、古いレンジにチキンを入れた。
「それで、なにか見つかったのかしら?」
「んー?」
「何も無かった?」
「無かったこともないんだけどさ」
今にも閉じそうな目で蛍光灯を視界に入れていた。頭の中はリーク情報をどう伝えるかということでいっぱいだったはずなのだが、レンジの唸りとチキンの香り、そしてタマキの声に触れていると自分が緊張していたことに気づき、それがいっぺんにほどけていく感覚に身を預けてしまっていた。
「ハッキリしない子だよぉ」
自分が言おうとしなければタマキは追求して来ないことをマツリはよく知っていた。一方で頼みごとをすれば大抵の事は受け入れてくれることも。ある一定のラインの外から踏み込む事はせず、招き入れようとすればすぐに近寄ってきてくれる。そんな彼女の性質に甘えきっている自覚はあった。レンジが止まる。お湯もそろそろ沸きそうだ。
「あのさー」
「んー?」
「出どころはちょっとアンタにも言えないんだけど、聞いてくれる?」
「やっぱり何かあったか」
レンジのドアが開くと油っぽい匂いが一気に広がった。タマキは紙袋に入ったままのチキンを指先でつまんでソーサーに乗せてマツリに配膳する。
「最近ちょいちょいそういう事あるよね」
「え?」
「出どころ隠すやつ。ジュンのときもそうじゃなかったっけ」
「あー」
視線を泳がせるマツリを見ると、タマキはすぐにお茶の準備に取り掛かった。急須を温め、茶筒を開ける。その背中越しに会話は続く。
「危ないことしてんじゃないの?」
「いや、そんなことは」
「じゃあいかがわしい事?」
「しないわよ!」
マグカップにお茶を注ぐ音とタマキの小さな笑い声が重なった。マツリのカップをデスクに置いて、タマキも席に着く。彼女はすぐにカップを両手で持ち、手を暖めるようにしながらお茶に息を吹きかけた。
「でもいい情報源が見つかったのは嬉しい事だよ。おめでとう」
「うん、そうだよね。あんがと」
「あ、チキンも食べて」
タマキはチキンに付属した粉と山椒をマツリに差し出す。マツリが自主的に話を切り出すことを待っているのだと察しながらチキンの紙袋を破ると、タマキもそれに続いた。
「アカツキスタジアムでさ。すごいイベントがあるみたい」
「へー、知らなかった。どんな?」粉と山椒を調合しながら聞いている。
「フェス。それも24時間ぶっ通しの」
「すごっ!」手が止まり、マツリに目を向けた。「え? いつ?」
「クリスマスイブから」
「ウソでしょ! そんなのどこにも出てないよ!」
「いけるかな? スクープ」
「スクープ以外の何物でもないって!」
タマキは情報の確実性を尋ねなかった。そのまま受け入れて自分が取ってきたネタであるかのように喜びを爆発させている。
「誰が出るの?」
「有名どころからマニアックなバンドまでいろいろみたい。あ、ジュンはどうなんだろ」
「聞いてみたら? きっとビックリするよー」
彼女は知らないのだ。これはクリスマスを彩る華やかなイベントなどではないことを。「好きなミュージシャンも出るのかな」だの「チケット取れるかな」だのと浮ついたことを言いながら調合した粉をマツリのチキンにかけてくれている。
「さ、食べよ! お祝い!」
「お祝いがチキンとお茶なのー?」
「記事になったらまたお祝いしようよ。はい、カンパーイ!」
マグカップが景気よくぶつかる。お茶はタマキにとってはまだ熱かったのか、少しだけ口にしてチキンにかぶりついた。辛い、ウマいと味わう彼女を見てマツリもチキンを持ち上げた。爽やかで鋭い山椒の香りが鼻の奥を刺す。
「あのさ、アンタその日休んだら?」
「え? なんで? さすがに行くでしょ、取材」
「そうなんだけどさ……そうなんだけど」
鼻の奥の山椒の香りが目の裏にまで届き、涙腺を刺激する。どうにも喉が詰まってしまってチキンを口に運べずにいた。
「とりあえずさ、今日はとりあえず良かったって事にしない?」
「何が?」
「マツリちゃん、今日はとても頑張りました」
目をぱちくりさせてタマキを見ていた。
「私も随分歩いて痩せました」
「……そうかぁ?」
「なので、とりあえず良い一日でございましたって事で」
「なんだそりゃ」
噴き出すような笑いが出た。それと一緒に喉に詰まっていたものも吐き出されてしまったようだった。チキンを一口かじる。
「タマキ」
「ん?」
「山椒いらないわ。辛すぎ」
「この辛口記者が」
「んだとぉー?」
マツリはタマキの頬や腹をつねり、タマキは暴力反対と訴える。拘置所の地下に比べればささやかな、ほんのささやかな騒がしい夜のことだった。
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