第20話


 マツリが会社に帰った頃には殆ど人が残っていなかった。普段よりも響くエレベーターの音が止まり、普段と変わらず寂しげな廊下を通ってチームDのオフィスへ向かう。その道すがら拘置所で起こったことを思い返していた。




「トーキョー……なに?」

「トーキョー・クリスマス・ビートだ」


 オニ部隊の中央に立つ男が誇らしげに答えた。低く太い声が腹に響く。


「イベントの事ですよ」灘儀だ。「詳細を伝えてもいいですよね?」

「構わない。柴灯さんの協力は絶対に必要なのだから」


 マツリは自分の名前を知られていることに驚いたが、すぐに思いなおした。彼らはオニ部隊で、しかもここは彼らの巣なのだ。名前くらい知られていても何の不思議も無い。湾曲したバイザーにマツリの姿が歪んで映る。


「私は鹿又。特別監視機動隊の隊長をしています。柴灯マツリさんですね」

「あ、ハイ。そうです」

「週刊トピックの記者で、ウェブメディアチームD所属。そしてナマハゲの依り代。牧村のナモミツキを討伐し、後山のナモミツキも君が対処した。相違ないだろうか」


 マツリの眉間がぴくりと動く。オニ部隊がわざわざ灘儀のような『専門家』に協力を求めたと言うことは、ナモミツキに関する情報は彼から得ているはずだ。そして灘儀はナマハゲを神鬼の来訪神と呼び、ナモミツキのことは穏と呼んでいた。それを改めたのはついさっきのことだ。それさえも把握しているということはこの部屋さえも監視対象であるということに他ならない。オニ部隊の実力を思い知った。


「もう誕生日とかスリーサイズとかまで知ってそうですね。ハハ」

「12月31日生まれ。身長171cm。スリーサイズは上から7……」

「アーッ! 相違ないです! イベントの話をしましょう!」

「ええ、わかりました」

「エーじゃねえし!」

『まんつ落ち着け』


 鹿又がハンドサインを出すと、彼以外の隊員が退室した。部屋の外にはさらに多くの人がいるらしく、なにやら声を掛け合っている。どうやら『後始末』をしているようだ。カンカンになったマツリの頬が冷える前に灘儀が話し出す。


「イベントの名の通り、決行は12月24日です。場所はアカツキスタジアム」

「アカツキスタジアム!」マツリはついつい声をあげてしまった「それってあの、新宿の、あのアカツキスタジアムですか!」

「いかにもです」


 アカツキスタジアム。東京開催のオリンピックに際して古い競技場を立て直す形で建造された巨大な競技場だ。都心に作られたそれは宇宙船のようだと称される事が多かったが、それはあまりにも形容しがたい未来的なフォルムをしていたためだった。時間も空間も切り裂いて現れたような巨大建造物の出現は新たな時代の到来を予感させ、実際にそうなった。

 アカツキスタジアムをきっかけにその周囲には脱構築主義的な建造物が続々と出現し、道路も高層ビルも神社も住宅も自然も、全てが繋がって一体となったような思い切った開発が進んだ。奇抜すぎる、カネの無駄だと批判の的になったそれは今やすっかり街に溶け込み、有形無形問わず多くの恩恵をもたらした。奇妙な宇宙船は停滞ムードが漂うメガロシティに強烈な電気ショックを与えて蘇らせた歴史的な建造物なのだ。


「もっと郊外とかでやるものかと思ってました。よくそんな場所を押さえられましたね……今や東京の、いや日本の象徴みたいなところじゃないですか」

「郊外では人が集まりにくいでしょう。それにナモミツキの出現地点は都心に集中している傾向があるんです」

「ハハァ……」


 マツリはメモを取るのも忘れるほどに呆けてしまった。アカツキスタジアムのある風景が日常になっているとはいえ、それでもそこは特別な場所であることに変わりはなかった。それを使用するに値するようなイベントとはどのようなものなのか、そのことに単純に興味が湧く。


「それで、アカツキスタジアムでいったい何をするんですか?」

「これもタイトルの通りです。音楽フェスですよ」

「バカな!」再び声が出てしまった。「10万近い人を収容できる都心のスタジアムですよ? 旧競技場でさえ捌ききれなかった帰りの足を確保できるはずがない! それにクリスマスまでもう1週間そこらです。誰が10万も埋められるんですか!」

「君の言うことは概ね正しい」


 鹿又が感心したように頭を揺らす。だが彼にとっては想定内といった様子だ。


「しかし我々は誰かのコンサートをプロデュースしたいわけではない。それに10万人を一度に集めるつもりもない。更に言えば10万人程度では全く足りない」

「すみません、どういう意味ですか?」


 咳払いをして鹿又がマツリに座るように促し、それが受け入れられると続きを話し出した。


「開催は12月24日の18時。そこから丸一日、12月25日の18時にかけてありとあらゆるミュージシャンに出演してもらう」


 マツリはもはや「バカな!」とさえ言えずに目を丸くした。


「既に多くの出演交渉を済ませた。ベテランから若手まで、当日に単独ライブを控えているような大物も時間を調整して数多く約束を取り付けた。一度チケットを買えば出入りは自由。これによって流動的に客層が入れ替わる」

「10万人を一度に入れるのではなく、全体で訪れる人数を多くするということですか」


 鹿又は首を縦に振って続けた。


「そこが肝要だ。アカツキスタジアムは周辺の道路や歩道から屋根近くのコンコースに繋がっている。そこから無料で観覧することもできる。無論、そちらにも網を張る」

「そうして人を集める一方で、その内訳はコントロールしたいですよね」灘儀がリレーした。「全国から集客する必要は無いんです。あくまでも東京に潜むナモミツキが狙いですから。そのためイベントの発表は十分な収益が見込めるギリギリのラインまで遅らせ、21日としました」

「その日を境に特監隊は徐々に表に出る」鹿又が再び主導権を得る。「可能な限り事前に多くの人物を監視対象に入れておきたい。当日もアカツキスタジアム周辺およびそこへ続く幹線道路や鉄道を中心に展開し、イベントとは無関係のナモミツキも見逃さずに確保する」

「あーっと……」


 想像だにしなかった規模の作戦にマツリは着いていくので精一杯だった。


「つまり大規模なフェスの開催を3日前に告知し、その警備という名目でオニ部隊を表立って運用し、東京近郊の人間を中心に時間を分けて一箇所に集めて、その網にかかったナモミツキを一掃しようと」

「オニ部隊という呼称は受け入れ難いが、その通りだ」

『だどもしゃ』


 ナマハゲが口を挟んだ。しかし当然鹿又には聞こえない。


「ナマハゲさん、アタシが通訳するんでわかりやすい言葉でお願いします」

『お、わがった。その計画だと夜間も人を集めるようだが、昼間に絞った方がナモミツキが活性化しなくていいんでねが?』

「え! そうなんですか!」

『通訳しろしゃ』

「昼間は大神様の神威が強いですからね」

「神威?」

「おい、何を話している」


 灘儀が話し相手になり、鹿又は取り残された。


「太陽ですよ。オバケだって昼間は滅多に出ないでしょう? それは大神様の力、すなわち神威が太陽光によってもたらされているからです。ナモミツキもその影響を受けて力を発揮できません。祓うチャンスですね。まぁ、取り憑かれた人間がろくでもないことを起こすことはありますが」

「だったらナマハゲさんが言うように昼間に絞ればいいのでは?」

「いえいえ、それだと来訪神の力も十分には発揮できないじゃないですか」

「え! そうなんですか!」


 マツリはさっきと全く同じ反応をしてしまった。


『おめだば何にも知らねな』

「教えてくれないからじゃないですか……」

「全ての来訪神が同じではありませんが、ナマハゲ様に関しては完全な夜型でいらっしゃいます。パーントゥ様はもう少し早く、日暮れ前からお力を顕現なされます」


 視線が宮古に集まった。小さく頷いたように見える。それ以上の反応はなさそうだったので話に戻った。


「それにですね、そもそもイベントの有無に関わらずナモミツキは出るじゃないですか」

「あ、そっか。そうですよナマハゲさん」

『んだな、そっちさ集中しすぎでら』

「イベントに人が集まれば集まるほどそこに出現する可能性が高くなるから狙いやすい。それに、1日ぶっ通しのサプライズイベントだからこそ特別感があり、人が集まる。夜間に中断する意味がありません。もちろん被害が大きくなるリスクはあるのですが、それはナモミツキが同時多発的に各所に出現するリスクとトレードオフです。むしろ幸いにもナマハゲ様の力までお借りすることができたのですから、事態は好転していると言えましょう」

「昼間は力を発揮する前のナモミツキをオニ部隊が捕らえて、夜間はナモミツキが暴れたらナマハゲさんたちの力でなんとかすると。夜間が勝負ですね、これ」

「ええ、来訪神にはご負担をおかけしてしまいます。それに柴灯さんとクロにも。しかし今回は網を張るわけですから事前に準備もできます。結界を張り、呪符も用意します。今回のようにはいきません」

「おお……」マツリは胸の奥が震えるのを感じた。「なんかいけそうな気がしてきた! ね、ナマハゲさん!」

『バカけ。おらはいつでもいけそうな気しかしてねど』

「だはは、スミマセン」


 納得感のある作戦、オニ部隊の力、方相氏と陰陽道のサポート。そういったものがマツリ自身に危険が及ぶということを忘れさせるほどに彼女の気持ちを高揚させていた。


「説明は済んだだろうか」


 鹿又の声は場に緊張をもたらす。3人の目が彼に向いた。


「はい、理解できたと思います。色々と」

「それは何より」鹿又がバイザーに手をかけた。「ですがここで話した事は記事にしないように、くれぐれもお願いします」

「言われると思ってました」

「と、言っておいて恐縮なのですが……」


 鹿又がバイザーを上げてヘルメットを脱ぐ。想像していた通りの鋭い目と、白髪の多い髪が現れた。


「柴灯さんにはやっていただきたい事があるのです」

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