第18話
方相氏の先導で薄暗い廊下を行く。道すがらマツリは自分の腹に触れてみた。明るさが足りずにしっかりとは確認できないが、痛みはあるものの穴は空いていないようだ。一方で彼女の横のナマハゲはというと確実にダメージを受けているようで、藁の衣装が崩れている。
そのまま周囲にも目をやった。そこにはナマハゲによって昏倒させられた人間と、ナモミツキによって殺害された人たちの亡骸が打ち捨てられている。ナモミツキが消滅したことで元の人間らしい姿に戻っており、それがより一層マツリの心を揺さぶった。
『大丈夫だが? マツリ』
「ではないですけど、大丈夫です」
『はっきりせ!』
「しんどいっす!」
列の最後尾でマツリがわめく。前を行く方相氏と、後山を担いだ泥まみれの男はそれに気をとめることなく進んでいった。
「少々お待ちください」
方相氏は先程までナモミツキがいた丁字路で立ち止まり、両開きの扉に手をつけた。そこでマツリが違和感に気づく。その突き当りには何もなかったはずなのだ。
「こんなところに扉なんかありましたっけ?」
『扉? 何言ってらんだマツリ』
「物忌みの呪術の応用です。顕界の外のものには見えにくく、そして侵入しにくくすることが出来ます」
『ホォー、大したもんだ』
「モノイミ……?」
「陰陽道ですよ」
「え! 陰陽師ってやつですか!」
「陰陽道の修行も積んでいるだけです。少し静かに……」
方相氏が口の中で何やらモゴモゴと呟くと、ナマハゲの目にも扉が見えるようになった。それと同時にマツリの鼻にいつも感じているようなナモミの気配が届く。スライドドアを開けて壁のスイッチを操作すると、広い会議室の中で多くの人が鮨詰めになって息を潜めているのが見えた。ざっと100人は居る。それらは全て警察官のような服装をしていた。
「みなさん、もう大丈夫です。彼らの言うことに従って速やかに脱出してください」
「彼ら……?」マツリには誰のことを指しているのか分からなかった。
部屋は一気に歓喜と安堵の声に満ちた。それからさらに五人の男が会議室に入ってくる。彼らもまた警察官のようだ。いつの間に現れたのだろうか。男たちはスムーズに部屋の中の人間を外へと誘導して行き、数分後には部屋は空っぽになった。マツリはその様子を黙って見守っていたが、聞きたいことは山ほど貯まっていた。手帳とペンを構えて切り込む。
「あの人たちは? あー、えっと、まずはそう、この部屋に居た人たち」
「その前に、我々にも名乗らせてください」
方相氏はそう言うと仮面に手をかけて素顔を露わにした。切りそろえられた髪とパチッとした目、そこから伸びる長いまつげがマツリの目にとまる。とても若く見え、中性的で均整の取れた顔立ちだ。
「私は
「あれ、さっきは方相氏って呼ばれてましたよね?」
「ええ、方相氏とは追儺式において悪鬼を祓う役目のことです。その時の装束を身につけているのでナマハゲ様はそのようにおっしゃったのでしょう」
「へぇ、方相氏って初めて知りました。エクソシストみたいなものですかね」
「遠からず、かといって近からず……ですかね。それでは聖泥の来訪神、クロをよろしいでしょうか」
灘儀はマツリへの返答をあっさりと切り上げ、泥だらけの男に向かって頭を下げた。その男は表情の無い仮面の口に指をかけてそれを浮かせると、全身の泥がバシャリと落ちてまったく別の男が姿を現した。一瞬むせ返るような土の匂いが広がったが、落ちた泥が消えると共にその匂いも嘘のように消え去った。
泥の中から現れたのはいかにもスポーツマン然としたさっぱりとした短髪と、やや垂れた目。背が高く、体格の良さがコートの上からでも見て取れた。後山を担いでいると言うのに体幹は全くブレておらず、泥の仮面を手にしたまま真っ直ぐな視線をマツリに向けている。しかし彼は一言たりとも発することはなかった。かわりに灘儀が紹介を始める。
「えー、彼は
「宮古さん、ですね」
「パーントゥ」
「え?」
宮古が言葉を発した。灘儀までもがハッとしたように彼を見る。
「俺に降りるやつ。パーントゥだ」
「クロ、それは失礼だっていつも言ってるだろ」
「島の人間はみんなそう呼ぶ」
「いや、だがな……」
『おめよ、灘儀。堅苦しすぎねが? そいつが言うならそれでいいべしゃ。なぁ?』
ナマハゲが宮古に隠れるようにして立つパーントゥに向けて問いかけた。小さい頷きが返ってくる。灘儀には両者が見えているようで八の字を寄せていたものの、当の来訪神が肯定している以上はそれに従うしかないと諦めたようだ。
「ええと、それで、こちらに居た人たちの事でしたね」
灘儀は会議用の長テーブルに着くようにジェスチャーでマツリと宮古に促し、3人がひとつのテーブルを囲むように座った。灘儀と宮古が並び、その対面にマツリだ。後山は床に寝かされている。
「彼らは拘置所の職員と、外部の警察官、それと今回のものとは別のナモミツキ事件の関係者も混ざっています。私が守れたのはここに逃げ込めた人たちだけでした。彼らを守りながら『隠』と戦うだけの力は、私には……」
方相氏は大きく息を吸って、そして吐いた。
「パーントゥも居たんじゃないんですか?」
「いらっしゃった上でこのザマです。パーントゥ様がいらっしゃらなければ守ることさえ出来ませんでしたよ」
言葉には自虐の響きが強く乗っている。
「パーントゥ様は『隠』によって穢された人を癒し、多くの人をこの部屋へ導き、運び、救ってくださいました。しかし、パーントゥ様の癒しと祓いを受けた人間は、あの『隠』にとっては逆により強い力の源となってしまったようなのです。清廉な人間ほど奴に深く侵されて、強力な手足とされてしまいました」
「すみません、その『隠』というのは?」
「ああ……そうですね、言い直しましょう。ナマハゲ様がおっしゃるところのナモミツキの事です。見えざる存在、顕界の外の悪しき存在の力に憑かれてしまった者をそのように呼んでいます」
マツリの横で腕を組んで聞いているナマハゲと目が合った。その見えざる存在というのが疫霊ということなのだろうとマツリは理解する。まさしくナモミツキの事で間違い無さそうだ。
「私がもっと早く、正確に、あのナモミツキの力を見極められていれば、パーントゥ様には他の手立てもあったのです。私の初動のミスがあっという間に守り一辺倒の事態を招いてしまった」
灘儀の体がやや前屈みになり、テーブルの上で組んだ指が白くなっている。対照的に隣の宮古は背もたれに体を預け、なんの感情も表れていない視線をなんとなく灘儀の方へ向けていた。このままでは延々と嘆き節を聞かされるだけだと考えたマツリは次の話題を投げかける。
「えっと、それじゃあ、彼らを連れていったのは誰だったんですか? さっきまで居なかったですよね?」
「あぁ、それは……」灘儀が懐から人の形をした小さな紙を取り出した。「これで作り出した幻覚のようなものです。ナモミツキにやられた人の姿を借りました」
「それも陰陽師の?」
「はい。彼らに死体が山積みの道を見せるわけにはいきません。しかしこの場に留まらせることもまた危険かもしれません。なので何事もなかったルートを通って地上にたどり着くように誘導しました」
「凄いじゃないですか、灘儀さん!」
マツリは精一杯言葉に力を込めて灘儀を労った。右手でガッツポーズまで作った。彼は顔をあげて目を丸くしている。宮古までもがマツリに視線を移していた。取材対象をノせるのも記者の技術の一つなのだ。
「いえ、『隠』から守ることしか能のない私がそれを全う出来なかったのです。何も凄くはありません。パーントゥ様とナマハゲ様がいらっしゃらなければ今頃さらに被害が……」
マツリの技術はまだまだだった。灘儀はすっかりうなだれている。取材対象でさえなければその軟弱な精神を叩き直してやろうとするところだったが、それを我慢できるようになったのが社会人としての成長した部分だと自分自身をなだめる。そうして一息置いてから次の質問に移った。
「そこの後山ですけど」
「え? はい」
「なんでこんなところに? 言っちゃなんですけど勾留されるまでが早すぎませんか? というかここ、拘置所に必要な施設だとは思えませんし」
「そうですね……順にお答えします」
灘儀は息を整えて気持ちを立て直した。
「まずこの施設については詳しく聞いていません。古いもので、警察や我々が時折使用してきたようです。特殊な被疑者を秘密裏に拘束し、取調べなどを行うためのものだということは話の節々から察することができました」
マツリの目が光る。これだけでも記事にできそうだと顔に書いてあった。灘儀はそれを読んだのか、掲載は控えるようにと釘を刺す。マツリの目から光が消えた。
「後山はその 『特殊な被疑者』であったため、秘密裏にこの階層へと運び込まれました。勾留が早かったのもそれが関係しているのでしょう。しかし最大の目的はナモミツキに関するデータのサンプルを収集するというものです」
「データの収集? どんな? というか誰がですか?」
「それは……」
前のめりなマツリの姿勢に灘儀はやや俯いて言い淀む。答えを待たずにマツリが口を開いた。
「特別監視機動隊、いわゆるオニ部隊ですよね?」
「なんと」ぱっちりとした目がより大きくなってマツリに向いた「どこで知ったのですか?」
「それはちょっと」手刀を顔の前で軽く振った。
「いえ、いいのです。彼らはナモミツキによる事件が発生していることに気づいていました。私どもも力添えさせていただき、多発している怪現象がナモミツキによるものだと断定しました」
「そのことを発表しなかった理由は?」
「それはあなたも察しているでしょう。混乱を招くだけです。ある日突然目に見えないものに取り憑かれ、それによって人智を越えた危機がせまりますと注意を喚起したところで対処のしようがありません」
「ですよね……」
マツリは喉に小骨が刺さったような気分だった。事実を明らかにする事、しない事、どちらも正しいような気がしてひどくもどかしく、しかし現状維持に安心感を覚えてしまう自分自身がまたもどかしかった。
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