第16話
コツ、と小さな硬い音がした。背後からだ。マツリがヒュッと息を吸い、ナマハゲが振り返って音の出所を確認する。特に何も見えない。相変わらず床には長い枯れ木のような腕がいくつも横たわり、その奥はよく見えない。
「音、しましたよね?」
「重なり合ってた腕がずり落ちたんだべが」
異常はなかったと判断してムカデとなった人間の捜索に戻るべく、体をひるがえしたその時だ。
コツ
ぺた
確実に聞こえた。通ってきた道のほうからだ。音の種類が増えている。その音はどんどん数を増やし、ついに光の中に姿を現した。それは千切った腕の先端、4本指の手がそれだけで移動し、いくつもこちらに向かって来ている。
「うえぇ……手だけで動くの……」
「いや、違う」
「何がですか?」
「よぐ見れ」
ナマハゲが手にしたナガサの火が強まる。地を這う手は今もその数をどんどん増やし、横たわった枯れ木の腕を乗り越えるようにして近づいてきている。その姿が明るく照らし出されると、マツリはようやくその正体を把握した。
手のように見えていたものは、小さい人間だった。4本の指に見えていたものは変形した人間の四肢だったのだ。背中に枯れ木の手首を突き刺したまま、あるものは二本足で、あるものは四つん這いで、そして全てのものがぎこちないゼンマイ人形のような動きで黙々と前進を続けている。
「これ、エレベーターの!」
「人を小せぐする力でねぐて、人を自分の手足にする力だったなが」
鉄の仮面の奥でバリバリと奥歯が摺り合わされる。手にしていた燃えるナガサを床に突き刺して灯りにすると右手に炎を宿し、そこから御幣のついた杖を出現させた。それを持ったまま大きく腕を振り、足踏みをはじめる。5回だ。小さい人間が足元にわらわらと迫っている。
「ごめんしてけれよ! オオオ!」
咆哮とともに御幣で払うように力強く杖を振る。それを受けた小人間はギィギィと声を上げて昏倒した。だが一振りではとても対処しきれない。数はどんどん増えていき、ある者は足元から、ある者は飛び跳ねるようにしてナマハゲにまとわりつこうとする。それを見事な杖捌きで次々と撃退していった。
「あの人たち大丈夫なんですか?」
「しったげ苦しいべなぁ。だども、我慢してもらうしかねんだ」
数はさらに増え、迫り来る速度も上がっているようだった。枯れ木の腕を覆い隠すほどにうごめくそれによってまるで床が波打っているかのように見える。その波を時に払い、時に回転回避して捌いていく。ナマハゲの横と後ろには痙攣する小人間が山のように積み重なっていた。
それが彼に隙を作った。転がっている小人間を踏みつけるわけにはいかない。その配慮によって足を運べる範囲が次第に狭まっていく。それを嘲笑うかのように小人間の波は苛烈さを増していき、それを捌くために踏み出した足が転がっている小人間に触れてしまう。踏み抜くことを回避しようと無理な動きをしたのがまずかった。一人が足首に取り付き、それを払おうとすると腕に取り付く。取り付いた小人間は小さな腕でナマハゲの頑強な肉を少しずつ抉り取るとともに彼の集中力をも削いでいった。腹に、肩に、胸に、仮面にまで、続々と取り付かれる。
「いたっ! まずいですよナマハゲさん!」
「我慢へ! ネズミみてなもんだ!」
「もっと嫌ですよそれ!」
「そいだばいがったねが!」
取り付いた小人間は努めて無視し、迫り来るものを重点的に対処していく。いまだに新たに取り付く者はいるものの、痛みに耐えて杖を振り続けた。ナマハゲの体からは血と汗が飛び、湯気が立ち上っている。波の勢いはかなり落ちてきた。数えるほどしかいない。それでもなお飛びかかってくる小人間を振り払おうとしたその時だ。
後頭部に強い圧を感じて素早く身をかがめる。直後に頭の上を何か大きなものが飛び越えた。いや、そうではない。頭の上で停止している。ナマハゲは小人間への対処を放棄して頭上のものを目掛けて御幣を振るうと、紙を裂くような悲痛な叫びが返ってきた。それを発したのは4本指の手のように変形した人間だった。腹の部分に枯れ木の腕が貫通しており、人の大きさのまま手の役割を果たしている。
「この! クセヤッコが!」
御幣杖を左手で持ち、床に刺していたナガサを抜いた。手となっている人間を腕から切り落とすつもりなのだ。しかしその計画は頓挫する。小人間たちがナマハゲのふくらはぎを抉りとったことで彼はバランスを崩した。そこへ角の向こうからもう一人の手人間が飛来。鋭い両腕をナマハゲに向けて突進する。横に倒れこみながら回避しつつ御幣を当てたものの、左肩を深く裂かれてしまった。
「ああっ!」
「耐えれ!」
転がって膝立ちの姿勢になり、枯れ木の腕を1本切って角の奥へ注意を向ける。頭上に気配。さらにもう一人の手人間がナマハゲを押しつぶすように降ってきた。左肩の激痛に耐えながら素早く御幣杖を床に立て、突っ張るようにして直撃を防いだ。杖がミシミシと音を鳴らしている。すでに昏倒している手人間はいまだ圧力をかけ続けており、杖から手を離せばすぐにでも押しつぶされてしまいそうだ。そうしているうちにも取り付いた小人間が少しずつ肉を抉り続け、ナマハゲの力を奪っていく。
カカカ……
金属の甕に反響するような声がした。角の奥からだ。新たな手人間がゆらりと姿を現すのに続き、声の主が現れた。ムカデの体の先にビジネススーツ姿の男の上半身が埋め込まれている。
「ナマハゲさん、アイツ!」
マツリが声をあげる。炎によって照らし出されたそれは後山だった。大きく見開かれた目にはいくつもの瞳がある。
「カカカ……お前……強いのな……俺より……」
角の奥からずるずると長い体が這い出てくる。後山の体がついた先端を蛇の首のようにもたげ、枯れ木の腕に突き刺した手人間の陰からこちらを覗っている。
「だがァ!」
金属質の声が響き、紫の煙を全身から吹き出した。
「合わへれ! マツリ!」
「えっ!」
御幣杖で支えていた手人間が急激に膨張して爆発した。濃密な紫煙と血煙が視界を奪う。
「俺の方がァ! 賢いィ!」
「ハイシター!」
「ひっ……!」
ナマハゲは後ろへ跳んだ。しかしマツリとの息が合わない。マツリは人間が破裂した光景を目の前で見せ付けられて完全に腰が引けていた。血煙の向こう側から飛んできた手人間の腕がナマハゲの脇腹に突き刺さる。
「あが……!」
「こいつ!」
右腕を伸ばしてナマハゲを突き刺している手人間に刺さった枯れ木を切った。重なり合うようにして倒れこむと彼に取り付いていた小人間がいくつか潰れて血がしたたる。急いで手人間の腕を抜くとおびただしい量の出血があった。ナマハゲが宿る事で肉体が強化されているとはいえ、これは紛れもなくマツリの血だ。放置すればいずれ意識を失うだろう。
「わり、マツリ。痛でがったべ」
「逃げないと……!」
「ダメだ! コイツは仕留める!」
「でも!」
「マツリ!」
再び手人間が迫る。はたくような攻撃を避けられず、腕で受けたが吹き飛ばされて壁に叩き付けられた。どうにか踏ん張って立ち続けるものの、そこへ拳のようになった手人間が迫り、激突。手人間の体はひしゃげ、ナマハゲは後方の闇の中へと吹き飛ばされて大いに転がった。
ナマハゲが苦悶の声を漏らしながら体を起こす。両手には何もない。ナガサも杖も落としてしまったようだ。後山の近くに転がった炎を纏う刃が彼の姿を照らし出している。一方で今ナマハゲがいるところは壊れかけの照明が放つ光がかすかに届いている程度だ。床と壁には枯れ木の腕が何本か這っており、本体の動きに合わせてズルズルと動いている。
「馬鹿が! 馬鹿が馬鹿が馬鹿が!」
廊下の奥から金属室の声が響く。苛立ちの中に愉悦が混ざったような口調だった。腕の先についた手人間で拳を作り、昏倒して動かなくなった手人間と小人間を叩き潰している。
「お前も! お前も! お前もォ! 俺の役に! 立てよォ! 俺の言う通りに! 動けェ!」
腕についた手人間はみるみるうちに赤黒く染まっていく。その行動は深い思慮によるものにはとても見えなかった。気に入らないものを気に入らないから潰している。ただそれだけの行動に見えた。
「そこのお前!」ナマハゲに向けた声だ。「俺の足を引っ張りやがったなァ! 引っ張って! 千切って! 邪魔なんだよォ!」
ナマハゲの近くを這っていた枯れ木が強く脈打った。しなり、うねり、彼の体に巻きつこうとする。それとともに後山の体が挿さった本体が大蛇のような動きで嬲るかのようにゆっくりと距離を詰めてくる。
「マツリ!」
マツリは言葉を返さない。浅い呼吸を繰り返し、その中で小さな声が漏れるだけだ。
「マツリ! ガリっとせ!」
迫り来る枯れ木を千切り、隙を見て両手を脇腹の穴に当てる。そしてその両手に炎を纏わせると、自身の体を焼いた。突き刺されたとき以上の激痛が走り、マツリが叫ぶ。その痛みによってパニックだけは落ち着いた。
「血は止まったど! 目を開けろ! 足を踏ん張れ!」
「うぐ……でも……」
ムカデの巨体はかつて自身の一部だった小人間をすり潰し、切り離された手人間を再び突き刺し、じりじりと迫る。
「あった奴を放っておくんだが!」
「アタシには、無理……」
「アイツはもっといっぺ人間を殺すんだど!」
「無理ですよ……!」
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