第14話

 公園から拘置所まで、がらんとした夜の中をナマハゲは悠然と進み、入り口の自動ドアの前にたどり着く。マツリはその光景によって嫌な記憶がフラッシュバックしたが体は止まらない。その場で力強く7回足踏みをして蒸気機関のような息を吐き出した。


「ナマハゲ来たど!」

「あーやっぱり!」


 何の躊躇もなく自動ドアに突っ込んで易々と突き破った。真っ暗な受付からは左右に長い道が伸びている。どちらも居室に続くものだろう。直感で右へ進み、行く手を阻む檻をいくつか破る。そのたびにマツリは小さくスミマセンとつぶやいていた。

 パスワードを要求される扉を蹴破ってスミマセンとつぶやくと、そこは雑居フロアのようだった。果てしなく続く鰻の寝床の両側が居室になっている。どの部屋からもざわざわと話し声が聞こえてきており、ナモミツキものとは別のナモミの臭いを強く感じる。そこでマツリは違和感を抱いた。


「ここまで誰とも会ってませんけど、こんなもんですかね?」

「おお、確かに」


 ナマハゲは廊下を駆け抜ける。中ごろまで来たところで刑務官室を発見して内部を確認したが、そこに人はいない。刑務官室から飛び出して手近な居室の扉に対して腕を振りかぶる。


「ちょっとタンマー!」マツリは必死に力を込めてどうにか腕を止めた。「さすがにこの扉は壊しちゃダメですって!」

「わい! やっかね、ごめんしてけれ」


 ナマハゲは力をセーブして扉を2回叩く。それでも金属製の扉がビリビリと振動し、取り付けられている黒っぽいガラスは今にも割れそうだ。


「おい! んがら! 何あったがおしぇれ!」

「ナマハゲさん、言葉言葉」

「あいーやっかね! お前たち! ここで何か起こっただろ!」


 居室の中の7人は何やら喚きながら部屋の奥へと逃げていく。当然だろう。薄黒い小さな窓から覗いているのは恐ろしい鬼の仮面。それが人のものとは思えぬ怒号とともに今にも扉を破らんばかりの勢いで叩いているのだから。仮に神の類を信じていなくても単純に異常者として恐怖を感じるはずだ。


「おめだ! 早く言わねえと小豆と一緒に煮て食っちまうど!」


 さらに扉を叩く。恐らく建て付けが悪くなったことだろう。その勢いに耐えかねてようやく一人が口を開くと、口々に話し始める。


「さ、さっき、な、ついさっき」

「行きました! 刑務官が!」

「すみません!」

「あの、管理棟の!」

「中央管理棟です!」

「急いでました!」

「すみません!」


 スミマセンって言っちゃうよな、と、マツリは収容者の気持ちを察した。ナマハゲはというと、今の情報を反芻する。


「ついさっき刑務官が全員、中央管理棟に向かったんだな?」

「ハイ!」

「すみません!」

「行きました!」

「間違いねな!」ナマハゲが念入りに怒鳴りつけた。

「あばば!」

「そうです!」

「ごめんなせい!」

「おたすけ!」


 収容者は萎縮しきりだ。他の居室もこちらの様子を伺おうとしているのか、ざわめきがより一層に強まった。


「よおし」ナマハゲがそっと扉に触れ、たっぷりと息を使って言う「ありがとう!」


 意外な言葉だったのだろうか。収容者たちの緊張が目に見えて解けた。


「おめだぢは見ず知らずのおらのために教えてけだな」

「いやそれは脅しつけたからでは?」

「心の中にはまだちゃんとぬぎぃ炎が燃えでらんだ。大事にすんだど」


 ナマハゲはマツリの正論を踏み越えて感謝と激励を伝えきった。そこでマツリが気づく。ナモミの臭いがかなり低減していることに。ナモミツキの臭いは依然として強く感じるものの、フロアに充満していたものは確実に弱まっていた。これがナマハゲのナモミを祓う力なのだろうか。


「おめだぢ!」ナマハゲの声がフロアじゅうに響く「ナマハゲまた来るがらな! まめでらんだど!」


 それだけ言うと踵を返し、中央管理棟を目指して駆け出した。ざわめきはもう無い。ナモミの臭いも減り、ナモミツキの臭いが際立ったことで確実にそれに向かっていることがわかる。


「ナマハゲさん、ノート、台帳確認しませんか?」

「んだな!」


 返事とともにナマハゲの蹴りが管理棟へ続く金属扉を破壊して中へと飛び込む。円形のホールには等間隔で4機のエレベーターが設置されているのみで他には何も無い。階段さえ見当たらない緑がかった光に満ちたがらんどうの空間でナマハゲが台帳を開く。新たな文言が追加されていた。


【オニが去った】

【外の空気が吸いたいと要求した】

【部屋から出して欲しいと要求した】

【水を要求した】

【休みたいと頼んだ】

【警官を体で押しのけた】

【拘束衣を破った】


 文字はどれも荒く、掠れている。どうやら拘束衣を着せられていたらしい。それだけでも異常なのに、刑務官に抵抗した上でそれを破ったようだ。人間技とは思えない。だがそれ以上に気になることがある。


「オニってなんだべな。後山はナモミツキでねぐって、他に居たなが?」

「そうだとしたら落ち着きすぎじゃないですかね? 色々要求して、そのあとに刑務官に抵抗したということは刑務官も無事だったというわけで……あ!」

「なした?」


 そこでマツリはピンと来た。全身に鳥肌が立つ。


「私たちがオニと聞いて真っ先に思い浮かべるものといえば『オニ部隊』です、特別監視機動隊! やっぱり後山とオニ部隊は関係があって、しかも今、近くにいる!」

「盛り上がってらなぁ」

「当たり前ですよ! オニ部隊は確かに秘密裏に活動していて、しかもかなり強引な運用をしてしている。これは間違いなく記事になります! それもトップ記事に!」

「おめ、おらより余裕あるんでねが?」


 マツリの荒い鼻息をよそにウインチの駆動音が聞こえた。エレベーターのひとつが動き出したのだ。ごおん、ごおんとケージの動く音が足元から響いてくる。


「下からですね……」

「気をつけれよ、ナモミツキかもしれねど」

「そんなこと言われても私はナマハゲさんにお任せするしか無いですよ」

「いや、そんな事もねど」


 どういうことだろうか。エレベーターの音がどんどん近づいてくるが、マツリはナマハゲの声に集中した。


「おめがおらの動きに合わへれば、おらはもっと力を出せる」

「合わせるって言ったって、そんなの難しすぎますよ!」


 ナマハゲの人智を超えた身体能力は身をもって体感している。反射神経だけをとっても、それを経て繰り出される身のこなしも、とても人間がついていけるようなものでは無い。


「そったもの慣れだべしゃ、慣れ」

「慣れませんよあんなの……」

「んー、そんだば練習してみっか」


 そう言ってナマハゲは台帳を握りしめると、それは炎となって消えた。それからエレベーターの扉に向かって3歩ほど離れ、腰を落として斜めに構えた。


「扉が開いたらその瞬間に飛び込むど。それに合わへでみれ」

「ええ! 何がいるかわからないのに!」

「まがへれ。マツリは蹴り出すことだけ考えればいい、あとはおらがどうとでもする」

「そんなこと言われたってー!」


 エレベーターが近づく。そのまま通り過ぎてくれというマツリの願いとは裏腹に目の前でガコンと音がして一瞬の静寂が訪れた。もはや言われた通りにするしか無い。蹴り出す右足に意識を集中する。


「構えれ!」

「ハイぃ!」


 扉が開き始め、光が漏れ出す。まだ動かない。さらに少し開く。人影は見えない。脇に立っているのか。そこからさらに開く。もう十分にナマハゲの体が通る。まだ何も見えない。だが動きを合わせることに集中していたためなのか、ナマハゲが動き出そうとしていることが直感的に分かった。


「ハイシター!」


 ナマハゲが叫ぶ。同時に右足を蹴り出す。マツリの体感ではやや遅れた。だが飛び出す速度は普段感じるよりも明らかに速い。風どころかもはや弾丸になったようだ。3歩の距離など無いも同然であるかのように動き出した瞬間にエレベーターの扉を抜けた。

 が、しかし、ナマハゲは地面に手をつき、それによって跳ねるようにケージの壁の上部に着地した。恐るべき速度を全て殺したようなやわらかい着地だ。そして見渡す。何も乗っていない。ただひとつ、操作板の下で何かが動いている。子猫程度の大きさのそれは壁に2本の手をかけ、2本の足で立っている。まるで這いあがろうとしているような動きをしながらきぃきぃと声を上げている。


「なんですかアレ!」

「こいだばどでんした」


 それは小さいが、間違いなく人間だった。ナマハゲが着地し、小さな人間に近づく。それに気づいた警官のような服を着たそれは高い声を上げながら後ずさりしていった。


「こったこと、間違いねぐナモミツキのせいだべな」

「何があったらこんなことに……」

「聞いてみればいいべしゃ」

「でもなんて言ってるのか分からないですよ?」


 右の手のひらで炎が燃え上がり、台帳が姿を現す。「ナマハゲ来たど!」と小人間に向かって怒鳴るとページがバラバラと捲れ、文章があらわれた。

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