第12話
数日後。夕方。南北に延びる通りのコンビニ。何の成果も得られずにいる二人が通りに向かって骨なしチキンをむさぼっていた。
「後山がいなくなって忙しいから相手できない」ムシャムシャ。
「面会は本人が混乱してるからダメ」ムシャア。
チキンはあっという間に消滅した。冬の日の入りは早い。白い息がたっぷりと宙に溶けた。道の先に見える宇宙船を思わせるような新競技場に消えかけの日光が横から当たり、濃紺の空に照らし出されている。
「足を棒にして聞き込んだところで何か出てくるわけでもないし」
「すげー時間無駄にしてる気がするんだけど」
「今年中に誌面に載せるって言うけどもう時間ないし、最終号は締め切り早いし、代案出しておいた方がいいんじゃないかな」
「あんたの案ってグルメしかないじゃん」
「食べ物は世界平和だよ」
「週刊誌って平和を求めてないのよねー」
マツリはチキンの包み紙をゴミ箱に放り込み、路駐してあった車の助手席に体を投げ出した。実際のところどうしたらいいのだろうかと考える。後山があれからさらに転落したということだけで十分記事になるのではないか。実にゴシップ誌らしいし、ジュンから貰った独占情報でもある。無難に通りそうだ。オニ部隊の動向を追うのは警察と密な社会部に敵うはずがない。オカルト動画を追うにしてもそれはフェイク動画が量産されている背景を探るということで……。
そこまで考えたところで、ずっと心に引っかかっていたものと向き合う。それは本当にフェイク動画なのか? 人が消えたり飛んだりなんてもんじゃない、それ以上のことを目の当たりにしたじゃないか。ナモミなるものによって人間がナモミツキと呼ばれる怪物に変わる。そんなことを実際に体験したじゃないか。
マツリは前屈みになって手を口にあてる。世間で騒がれている怪現象の動画も実はフェイクでもなんでもなくて、ナモミツキを捉えたものなのでは? そこにオニ部隊が関わっているということは、もしかして警察はナモミツキの存在を把握している? そしてそれを隠しているということ? これなら警察が隠していることを暴くという意味で記事になるのでは? いや、それなら既にチームAや紙面のチームが……。
『マメデラガー?』
「うっさいわね、今考えてんのよ」
『わい、はらんべわりなが』
「だから今考え事して……」
マツリの額がスーっと冷たくなった。この意味のわからない言葉遣いには聞き覚えがある。左手首に巻いた藁の組み紐が妙に熱い。まさか。ゆっくりと首を回して肩越しに後ろを確認する。
『だどもま、まめでらみででいがったいがった』
「ビギャー!」
後部座席の真ん中にどっかりと腰をかけたナマハゲがいた。マツリは素っ頓狂な声をあげてグローブボックスにわき腹を打ちつけ、シートからずり落ちた。
『あいーやがましね』ナマハゲがシートの上からひょっこりと顔を出す『まだおらに慣れねんだが』
「いたた……最初よりはマシですけど急に出てきたら驚きますって。まだ何かご用なので?」
『用もなにも、まだ何も終わってねねが』
ナマハゲが座りなおすのを見てマツリがシートに這い上がる。座面に膝を乗せ、背もたれから顔を覗かせるようにしてナマハゲと向き合った。そこでふと気づく。以前のナマハゲは顔が傷だらけで、体もところどころが消えかけ、足はほとんど見えていなかった。しかし今は傷などどこにもなく、全身がハッキリと見えている。
『なした?』
「あ、いえ、傷とか治ったんだなぁと」
『んだべしゃ。すっかりえぐなった。がりっとねまったからな』
狭い社内で体をくねらせて治った箇所を見せようとしている。マツリは初めてナマハゲを見て口角が緩んだ。
「それで終わってないっていうのは?」
『なんも、ナモミのことしかねぇべした。出るど、次のナモミツキ』
「次の……」ヘッドレストからぐいっと顔を出す「いつですか?」
『ハッキリとはわがんね、おらはぼんやり感じるだけだがらな。だども、かなりつえぐ感じでらがら、ばんげに出てもおがしくね』
「ばんげ……」
『今晩、出ても、おかしくない。マツリは何も感じないのか?』
そう尋ねられて鼻から息を大きく吸ってみる。そこで改めて気づいたことがあった。車の中にいれば外の臭いは感じにくいはずなのだが、いつも通りの弱い異臭を感じていた。やはりこの感覚は嗅覚とは別のものらしい。しかし特別強いものは感じない。
「いえ、特にこれといったものは」
『んだが。それで、マツリは後山を追っているんだろう?』
「え! なんでそれを?」
『なんも、おらずっとそさ居たねが』マツリの左手首を指差す『殆ど寝てあったども、おめのこどはずっと見てあった』
「そうなんですか、ずっと一緒にいたんですね、ずっと……ずっと?」頭を半分ほどヘッドレストの影に隠す「それってトイレとか、風呂とか……」
『ちゃんとそこさ居たど』
「ぬおお!」
ヘッドレストに顔面を打ちつけた。ナマハゲはちゃんと配慮していたと言うが、とても割り切れるものではない。しかし飲み込まないわけにもいかない。神との付き合いはこんなに難しかったのかと嘆くばかりだった。
『そったことよりホレ、はえぐ台帳使えばいいべした』
「台帳……あ、あのノート」マツリはカバンを探ってノートを取り出した「これ後山のことも載ってるんですか?」
『んだ。おめはもう条件を満たしでらがらな』
「条件?それは……」
訪ねようとしたところでタマキが運転席に飛び込んできた。買い足したチキンの香りがプンプンと漂ってくる。
「ゴメンね! 時間かかっちゃった。よかったー、キップ切られる前に帰ってこれて。どうしたの? 後に何か落とした?」
『条件は簡単だど』
タマキは後部座席を確認したが何も反応しない。彼女にはナマハゲが見えず、声も聞こえていないようだ。
「いや、なんでもない。とりあえず会社に戻ろっか」
「了解ー。シートベルトの着用をお願いしまーす」
『まずはしっかり名乗ること。呼ばれた時に自分のことだと思える名前だど』
「はいはい」
ナマハゲはマイペースで話を続ける。マツリは耳だけをそちらに向けてタマキには気取られないようにした。手元にはいつもの手帳と一緒にナマハゲの台帳を手にしていた。
「マツリちゃん、おひとつどうぞ」真新しいチキンに手を差し伸べた。
『もう一つは相手がおめの事をしっかり認識すること』
「いいわよ、帰ってからアンタが食べな」
「もーせっかくの新フレーバーなんだから一緒に食べようよ。知ってる? これついてくる粉に山椒をちょっと混ぜると全然変わるんだって」
『要はおめが名乗るだけだば駄目だって事だ。顔を突き合わせて名乗ればまず間違いねべな』
「それだけで?」
「そうなの! それやってみようよ、調味料なら大体持ち歩いてるから」
「え? あぁ、じゃあやってみよっか」
「よーし決まり!」
『病院で後山に会った時に名乗ってらべ。台帳開いてみれ』
「さて、どうなることやら」
「楽しみだねー!」
マツリは膝の上で台帳を開いてペラペラと捲っていく。亀山のページ、神戸のページ、牧村のページ、ジュンのページと続き、その次に後山のページが出現していた。マツリは唾を飲む。その気になればスクープを取るどころの話じゃない。どんな秘密でも暴くことができるかもしれない。まさしく神の所業だ。マツリの指がページに吸い付く。最後に書かれている文章から順に遡っていった。
【無実を訴えた】
【記憶がないことを訴えた】
【目的がわからないテストに回答した】
【良い香りのする飲み物を飲んだ】
【歩くように言われて歩いた】
【光を浴びせられるテストをした】
【記憶がないことを訴えた】
「なにこれ……」
無意識に口元に手を運ぶ。同じような文章がどこまでも続いている。新しいものになればなるほど掠れていっているのがはっきりと見て取れた。
「どうしたの?」タマキが尋ねる。
「いや、ちょっとね」
『ちょっとどころでねぇべした』ナマハゲが台帳を覗き込む『何してらんだコイツ。どさ居らなだ? 誰に訴えてらなだ?』
「タマキ、後山っていつから拘置所にいたんだっけ?」
「どういうこと? えっと……そういえば逮捕されてすぐだったんじゃない? あの時すぐに問い合わせたよね、会わせてもらえなかったけど」
「あー、そうだったかも」
後山の行動も妙だが、それがそもそも少しおかしいのだ。あまりにも勾留手続きが早すぎる。後山が暴れでもしたのだろうか。表に出していないだけで凄惨な傷害事件だったのだろうか。だとしてもだ、すぐにでも拘束したいという意図が透けて見えないだろうか。第一にこれはオニ部隊が関わっているという疑惑を考えるとそれも現実的に思えてきた。
『おいマツリ、コイツから気配は感じなかったなが?』
「そういえば……」
初めて会った時、確かに強烈な臭いを感じていた。しかしそれはジュンのビンタによって霧散したことも確認したはずだ。あれからすぐにまた臭いを発するようになったのだろうか。
『心当たりあらんだな。だどへばしっだげ……だとすれば、かなりまずい。次にナモミツキになるのはそいつでねが?』
「タマキ!」
「うわ、なに?」
「もう一回拘置所に向かってちょうだい」
「えぇー、結構かかるし今から行ってもどうにもならないよ、時間的にも」
「ちょっと考えがあんのよ」
「悪いことー?」
「ひみつー」
「しょうがない子だよぉ」
幻想的にライトアップされたスタジアムの前を東に折れて広い道を進む。陽は落ちた。多くの人工的な光が満ちているが、そこはもう夜の世界だ。
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