第11話
目がくらむほどの大部屋に数え切れないほどのオフィスデスクが並ぶ。そこにはモノが雑多に積み上げられ、部屋の一角には大きなモニターや運動器具が脈絡なく置かれている。整理整頓とは無縁な空間だ。あちらこちらで電話が鳴り、社員同士の話し声やパソコンのタイプ音が絶えることは無い。これが週刊トピックのオフィス、マツリたちの職場である。
いや、そう言うと語弊があるかもしれない。実際にマツリが働くのはこの部屋ではない。見本誌を棚に返却すると部屋を出て階段を降り、薄暗い廊下を行くと辿り着くのが「週刊トピック・ウェブメディアチームD」のオフィスだ。薄いガラスに「暗室」「開閉注意」という掠れたプリントの残骸が往生際悪く残ったドアを開くと、窓の無いよどんだ空気の部屋の中央に五つの机で出来た島がある。そこに四人が着席していた。一人はタマキ。あとはキャップの
「なんだって?」声をかけてきたのはタマキだ。
「柴灯くんの原稿さぁ、カタいんだよね、だって」悪意のこもったモノマネだった。
「だから言ったろ?」今度は市河。「ゴシップのベタ記事なんかさ、論文みてーに書いたって誰も読まねぇって。読者層ってモンがあるだろ」
腕を頭の後ろで組んで背もたれを鳴らしながら先輩風が吹いてきた。マツリの人差し指が風見鶏のようにそちらを向く。
「読者の性質を決めつけるその姿勢! どこまで傲慢なんだ! メディアは誠実さが第一じゃないのか!」
「江戸時代からタイムスリップしてきてたとは知らなかったな! いまだに報道は社会の木鐸だとでも思ってんのか! どんな記事がウケがいいかはデータに出てんだよ!」
マツリと市河に挟まれたタマキはもうウンザリといった様子で視線を宙に泳がす。
「でも良かったじゃない」聖だ。「誌面に載る記事を書きたかったんでしょ? 今日はお赤飯買わなくちゃ」
「赤飯は炊くものでしょう」マツリは何にでも噛み付く。
「嫌よ。料理しないの。マイポリシー」
聖の視線は爪を捉えたままだ。茉本が「おし」と声を出すと全員がそちらを向いたが、聖だけは相変わらずだった。
「じゃあ始めっか。つっても方針はもう決めてあるんだ」
「えー! オレ企画持ってきてるんスけど!」
「企画会議の意味が無いじゃないですか!」
「まずは俺の企画からだ」
マツリと市河が軽くあしらわれ、マツリがタマキにすそを引っ張られて腰掛ける間に茉本がプロジェクターのスイッチを入れる。映し出されたのは動画配信サイト、マイチューブの画面だ。言わんとすることは動画を再生するまでもなく一瞬で全員に伝わった。一部界隈を賑わせている怪現象動画だ。
「ついにオカルトっスかぁ?」
「フェイクですよね?」
「仕掛け人を追うってことですか?」
市河・タマキ・マツリが矢継ぎ早に意見した。来るとこまで来たな、読者層がどうのって言ったばっかりじゃないか、そんなのでPV取れるのかと非難轟々だ。聖は爪をいじっている。茉本が両手を頭の横で振ってとりあえず聞けと促す。
「いいか、俺が言いてぇのはこの動画がどうこうじゃねぇんだ。実はな、これが撮影された場所に出てんだよ。オニ部隊が」
おお、と3人が声を揃えた。
特別監視機動隊、通称オニ部隊は2020年の東京オリンピックを期に運用を始めた警察の特殊部隊だ。サイバーセキュリティ対策室と連携し、監視カメラとドローン、AIによる人物と動作の解析を採用。完全装備ではそれら全てとリンクしたバイザーを着用する執行隊であり、2本の小さなセンサーが前方に飛び出したバイザーの形からオニ部隊と通称されている。大会期間中には何件もの犯罪を未然に防いだ実績をあげていた。
それでもオニ部隊が運用されるのは多くの人間が集まるイベントだったり要人が表に出る場合だったりと、ごく限られた場合のみなのだ。あまりにも高度な監視能力はプライバシーの侵害に関わる上に、場合によっては短機関銃も使用するため易々と表に出ることは無い。そんな彼らが特に何もない日に、それも完全装備で現れたとなれば明らかに異常だ。
「何してたんスかねぇ」
「そりゃもちろん……まぁこれを見ろ」
茉本が勢いよくキーを叩いて画面が切り替わる。表示されたスプレッドシートには警察が発表した逮捕者情報の一部がまとめられていた。
◆特別監視機動隊が目撃された場所・時刻における逮捕者・動画
【住居不退去被疑者 男(30) 白い顔の鬼 22時ころ】
【ストーカー規制法違反被疑者 男(39) ドロドロ人間 2時ころ】
【不同意わいせつ被疑者 女(26) 吊るされた女 23時ころ】
【過失運転致傷等被疑者 女(41) 消える男 1時ころ】
【傷害被疑者 男(28) ちっさいオッサン 4時ころ】
住居不退去被疑者は12月の頭、傷害被疑者はそれから2週間ほど経った今日未明のことだ。いずれも注釈で動画サイトのURLと簡単な内容、推定の撮影場所が併記されている。
「俺の情報網で逮捕者情報と動画の撮影場所、それとオニ部隊の目撃情報を照らし合わせた。動画はもっとあるが分かったのはこのくらいだ。それでも5件。オニ部隊が目撃された場所と時間、そのあたりで逮捕者が出てる。どれもアイツらがしゃしゃり出るような容疑じゃないにも関わらずだ」
リストを見たマツリにはピンと来たことがあった。それを伝えるかどうか決める前に市河が口を開く。
「その逮捕者が実はオニ部隊が出るに値する何かをしでかしたってコトっスか?」
「そーゆーこった」
「どうかしらねぇ」聖が相変わらずの姿勢で口を挟む。「そのオニ部隊を見たって言う情報もどうなのかしら。その界隈じゃ人気あるし、コスプレする子も多いんでしょ?」
「私もそう思います」タマキが挙手をした。「フェイク動画作ってる人と一緒で、何か話題にしたくてフいてるだけじゃないですか? 普通に考えてそう簡単に出ませんよ、機動隊なんか」
「その真実を探るのが記者ってもんじゃろがーい!」
夢みたいな真実より現実を見ろ、厄介オカルトヲタクが、陰謀論者め、などと声が飛ぶ。茉本は大きく腕を振ってそれに抵抗した。
「いいか、ウェブチームAには社会部、Bは経済部、Cは文化部のエースがついてんだぞ? 毎週紙面にバンバン乗っけてるヤツらだ。その壁を突き抜けるスクープを俺たちチームDが出すとなったらこれくらいキワどいところ狙うしかねぇだろ! 美容、グルメ、地下バンド、そんな記事ばっかりでいいのか? なぁ、柴灯!」
「え、アタシですか?」
「おめーは紙面に記事載せたいんだろ? スクープ取りたいんだろ? 売れっ子記者になりたいんだろ? だったら俺の企画に興味あるよな?」
「えっとですねぇ……」
8つの目がマツリを見ている。少し考えて、リストを見たときに直感した事を話す事にした。
「多分ですけど、最後の傷害被疑者っていうの。今日起こったやつ。多分被疑者のこと知ってます」
「本当か!」
「おいおい柴灯、乗っかるのかよぉ」
「黙れ市河! 柴灯、そりゃ誰だ」
「マツリちゃん、それってもしかして……」
「アタシが原稿を書いた、宇枝ジュンの事務所のマネージャー。後山のことだと思います。今朝身柄を拘束されたとジュンから聞きました」
ジュンがメッセージで送ってきた「大変なこと」というのがこれだ。ジュンから聞いた場所と時間、後山の年頃、その全てが彼を指していた。茉本は両腕で何度もガッツポーズをしてからマツリを指差す。
「よし決まりだ! そいつから情報引っ張って今年のうちに何かを掴むぞ! 柴灯、ALICEを通して話し聞いて来い!」
「キャップが行くんじゃないんですか?」
「俺はやることがある。それにお前がALICEと懇意になるチャンスだろうが。なんなら
「やった!」
タマキはすぐさま立ち上がり、カバンと車の鍵を準備した。
「俺らはどうするんスか?」
「聞き込みィ!」
「ぐえー」
「まぁ、オニ部隊の運用は気になってたのよねぇ。がんばりなさいな」
大きく舌を出して嫌がる市河を聖がひらひらと手を振って送り出す。爪を乾かしていただけかもしれない。こうして茉本キャップ肝煎りの企画が動き出した。オニ部隊の秘密活動、その真偽と目的。そんな存在するかもわからないものを求めて記者たちは散っていった。
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