第6話

 見得を切るようにして威風堂々とその姿を見せつけた。今にも太鼓の音が聞こえてきそうなほどに見事なものだったが、ナモミツキも、マツリでさえも、なにか釈然としない様子だ。


「ナマハゲってことはつまり……」

「やっぱり鬼じゃねぇかよ!」


 ナモミツキが突き出した腕を御幣杖で受け流す。逸れた腕は鏡の代わりにしていたエレベーターの扉を容易くひしゃげさせた。背後へまわったナマハゲは接近を試みる。しかしナモミツキの太く短い脚が溶け出して床一面に広がるとナマハゲの脚を絡め取り、氷のように固まった。そこへ再び腕が迫る。

 だがそれさえも意に介さない。手にした御幣杖を振り上げると、それは煌々とした炎を纏った。そのまま振り下ろすと足元の黒い肉は四散し、さらに棒高跳びの要領で迫り来る腕に猛々しく飛び乗り、さらに背面飛びのようにナモミツキの眼前まで跳ね上がった。


「ホズナスども! 鬼でねって言ってるねが! ナマハゲは……」


 御幣杖を大きく振りかぶる。それは真っ白な炎に包まれて眩く輝いていた。ナモミツキは全身から肉片を飛ばして迎撃を試みるが、小さな肉片はナマハゲに届くことなく焼失した。


「神だど!」


 矢のように放たれた杖がナモミツキの足元に突き刺さった。杖を中心に光の環が広がるとそれに押し出されるようにして黒い肉が剥がれ飛んで蒸発し、濃い紫の霧も光の中へ溶けていく。ナモミツキはしぼり出すようなうめき声を上げているが、それでも体積はまだ半分ほど残っている。しかしその中に取り込まれていた牧村の顔が露出すると、それは苦痛にゆがんでいた。


「すごい! 鬼……じゃない、ナマハゲさん!」

「ここからが勝負だど! おらの動きに合わせれ!」

「ハイ!」


 ナマハゲは着地と共に床を蹴って一気に距離を詰める。ナモミツキは両腕を槍のごとく伸ばして迎撃。それを右へ左へ、ベリーロールじみて軽やかに回避すると、露出した牧村の喉元めがけて強烈な張り手を叩き込んだ。水に石を落としたように黒い肉が弾け飛び、牧村の体が藁人形の中から押し出されて倒れこむ。

 抜け殻となった藁人形の中に4つの大きな墨汁の煮こごりのようなものが浮き出てきた。冷気が引いていくにつれてその塊が溶け出すと、中から亀山と神戸、さらには後山、それにもう一人見知らぬ男が姿を現した。


「あの、あれって……」

「大丈夫だ、死んじゃいねぇ」


 ぐずぐずになった黒い肉を躊躇無く踏み抜いて牧村のもとへ向かう。彼の体にはまだ多くの黒い肉がべっとりと付着しており、フラフラになりながらも立ち上がってナマハゲに殴りかかった。だがもはや脅威ではない。右の拳を受けた瞬間に鳩尾へ掌底を突き刺す。牧村の口から煮こごりが噴出して面具を汚した。それでもまだ牧村は止まらない。紫の霧を立ち上らせながら大きく腕を振る。その攻撃もまた効果は無く、今度は顎に平手打ちを受けて再び煮こごりを吐き出す。霧はますます強くなった。殴りかかり、殴られ、吐き出す。殴りかかり、殴られ、吐き出す。殴りかかり、殴られ、吐き出す。何度も繰り返した。その度に霧が噴き出し、怨嗟からなのか、悲嘆からなのか、震える呻き声をあげていた。


「もうやめてよ!」最初に限界を向かえたのはマツリだった「こんな! えと、なんだ、わざわざ痛めつけるみたいな……残酷ですよ!」


 マツリの声は牧村に輪をかけて震えていた。だが牧村は止まらない。口から黒い粘液を垂らし、息も絶え絶えになりながら、またしても腕を振るう。そして同じようにナマハゲが殴り返す。


「やめろって言ってんだろ!」


 左手が右の拳を掴んだ。牧村の乱れた吐息がエレベーターホールに響く。


「何が神だよ! 鬼と何が違うってんだよ!」


 ナマハゲの両手がだらりと落ちる。肩に牧村の拳が当たった。聞こえてくる嗚咽は牧村のものだろうか。それともマツリのものだったのだろうか。


「ナモミってのはな」ナマハゲの声は落ち着き払っている。「人間が抱いた良くない感情から産まれらんだ。そんで宿った人間がある種の苦痛や恐怖を感じると次第に剥がれていく」

「だから、こうやって痛めつけるていうんですか」

「ナモミはコイツ自身が溜め込んだもんだ。そのせいでこうなった。コイツの責任だべ。死人まで出るとごろだったんだど。痛みくらい受けて当然だべしゃ」

「でも!」


 マツリは何か言い返したかった。私刑は許されない。暴力に暴力で対抗するのは愚かだ。しかし、そんな理屈が神という超常の存在に通用するとは思えずに唇を噛む。


「だどもな」


 牧村がもう一度ナマハゲの肩に拳を当てた。汚れた煮こごりにまみれた腕は小さな水溜りを踏んだような音を立てる。今までで最も弱い一撃だった。そして、牧村は笑った。嗚咽しながら小さく、しかし確かに笑った。不規則なリズムで笑い続けた。


「え、なにが……え?」

「ナモミを剥がす一番の方法はな、本人がナモミを良しとしないことだ。これではいけないと強く思うことだ」

「そんなことで? たったそれだけで、剥がせるんですか?」

「それが一番難しいんだ。苦痛も恐怖も、そのきっかけに過ぎね」


 ナマハゲはゆっくりと牧村に歩み寄り、太い腕で彼を抱き寄せる。


「牧村。おめ、自分を見て欲しかったんだべ。そったに体デガぐしてまで」

「それが……牧村さんのナモミ?」

「それが元になったものだべな。似たようなナモミツキは何回も見でら。コイツのナモミはその程度のものに過ぎねがったんだ」

「そんなこと、誰にだって……」


 マツリは身をつまされる思いだった。増してや彼女は記者だ。自分の記事に注目して欲しい気持ちは痛いほど分かる。だが自分の力では何も出来ず、会社の力を借りてようやく小さな記事を出せている。その会社の中でも自分の力を認められているとは言いがたい。


「だどもまんつ……」


 ナマハゲは両手で牧村の頭を掴み、目の高さをあわせて牧村に声を掛けた。


「いぐ戻ってきたなぁ! 頑張ったでねが! おめはちゃんっと、ここさ居るど!」


 そうしてバカ笑いをして、肩を抱くようにして牧村を包み込んだ。彼の笑い泣く声がナマハゲの太い腕と厚い胸に染み込んでいく。そうしてしばらく泣いて、泣いて、泣き尽くすと、牧村は静かに眠った。その体にはもう黒く汚れた肉はどこにも見当たらなかった。


「終わったんです、よね?」

「んだ、終わった! くあー!」ナマハゲは大きく伸びをした「おらもうコエ(疲れました)! 体返すど」

「あ! その前に」

「ああ?」

「さっきのノートってまだ使えるんですか?」

「おお、ナマハゲ台帳だな。おめだば使えるべ、残しておぐがら勝手に使え」

「やった! ありがとうございます!」

「その代わりといっちゃアレだども、それ使わせてもらうど」

「どれです?」


 ナマハゲが仮面を外すと全身が燃え上がり、仮面と藁の装束を消し去ってマツリが姿を現した。その炎はマツリの左手首、腕時計に重なるようにひっそりと巻かれた藁の組み紐に吸い込まれていく。


『いいもん着けてらねが。作ったなだが?』

「じいちゃんとばあちゃんが毎年正月に送ってくれるんです。お守りだって言うんで、なんか捨てられなくて」

『そいだばいいごど。大事にすんだど。へばな』


 ナマハゲは大きなあくびを残して静かになった。それにつられてマツリの体からも力が抜けたが、5人の男が瓦礫の中に倒れている状況を見て気合を入れなおす。

 まずは110番。それとノート。でも、どうやって記事にしよう。これアタシがやったことじゃないよね? ナマハゲとナモミツキの仕業だよね? とはいえそのまま書いても信じてもらえるか? 無理じゃない?

 顎に手をあてながらノートを拾いに外へ出た。寒さが和らいだのか、マツリの体温が上がったのか、少し暑く感じてダウンジャケットのジッパーを下げた。


「マツリちゃん?」

「うお!」


 マンションの角に隠れるようにしてタマキが顔を出していた。マツリを見つけて早足で近寄ってくる。


「なにしてんのよ」

「なにしてんのよじゃないのよ。すごい音がしたから……うわ! なにこれ!」


 エレベーターホールの惨状を見てしまったタマキはすぐにマツリに視線をやった。


「なにしたの」

「なにしたのじゃないのよ。アタシじゃないから」

「でも見てたんでしょ? あの人たち大丈夫なの? 何があったの?」

「それは大丈夫らしいんだけど、えーっとね……」


 マツリは再び顎を触り目を泳がせる。少ししてからつばを飲み込んで話してみることにした。


「あのね、信じられないかもしれないけど」

「うん」


 タマキは真剣な顔で、まっすぐにマツリの目を覗き込んでいる。


「ナマハゲとナモミツキが戦って、こうなっちゃったの」

「病院行く?」


 タマキは真剣な顔で、まっすぐにマツリの目を覗き込んでいる。


「よし、この件は保留!」

「なにそれ!」

「警察呼ぶからクルマ動かしときなさい」

「説明責任を果たせー!」


 説明したくてもマツリ自身にもよく分かっていなかった。ここで起こった事を明らかに出来る日は来ないのかもしれない。しかし、それでもやらなければいけない事はあると感じていた。牧村はなぜナモミツキになってしまうほどのナモミ、すなわちナマハゲが言うところの悪い心を溜め込んだのか。


 ここからは記者の仕事だ。

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