第70話 裏目る
アンテル要塞から転進、一路南へ向かう。
途中で通過した侯爵領の村々はもう悲惨の一言に尽きた。
秋からの飢饉が継続しており、村人たちは雪をかき集めて食べている有様。街道脇には食料を求めてさまよった人々の凍死体が散乱している。
「厳しい光景だ」
「……閣下が防ごうとなさったのは、こういう結末だったんですね」
ジョスランが辛そうに目を逸らす。
ちょっと違うな。俺が防ぎたかったのはこういう結末ではない。
「生きたいか? ならば武器を取って我らに加われ! 悪政を糺して旧弊を壊さなければ侯爵領に未来はない! このバリックを諸君らの主とせよ!」
『うおおぉぉぉ!』
こういう結末だ。
「父上は何もしない! 大叔父上は私怨で争いを起こす! 誰も弱き民を守らない! 騎士の誇りを守ろうとしない! もううんざりだ! だから私が侯爵領の民を救う! たとえ家族と殺し合うことになろうとも!」
侯爵も裏で苦労してると思うけどなー。
「ともかく現状を打破するのだ! 道さえ開けば後のことはどうにかなる!」
『そうとも! 生きるために戦おう!』
『バリック様に力を貸すのじゃ!』
農民たちは手に手に鎌やピッチフォークを持ち、続々とバリックの隊列に加わる。
うーむ。
彼は優れた策略家かもしれない。
意図してか無自覚かは知らないが、大義や極限状態にかこつけて起きる事実は大規模な口減らし。味方する民に武器を持って戦わせれば死んで数が減るし、敵対地域の民が死ねば奪った食事を分配できる。
勝敗がどう転んでも倍の効率で支出が減る。
激戦であればあるほど飛躍的に減る。
しかも悪と戦う善玉の評判を保ったままで。
嫌なことは民に自らやらせる、か。
勉強になるなあ。
彼は村々を辿りながら民兵の数を増やす。
バリック勢は単独で4000人の規模となった。もともとの味方が1500。防備に残したのが500。1000人の手勢に3000人の民兵が加わり、さらに続々と追加が合流している。ちょいちょい倒れているからプラマイゼロかも。
続くのは俺が700人。
3男爵が100人ずつ。
ガストン殺しの件でも思ったが、300人を越えてくると行軍は急激に難しくなる。500でさらに難易度が上がり、1400人が動いたリザント攻めでは、和平後の撤退にもかかわらず意志疎通がスムーズではなかった。
はっきり言って行進だけなら現代の子供たちのほうが上手い。俺たちの動きは鈍重になり、予定の半分も進まずに夜営する。
リシャールと話していると、偵察に放っていた者たちが駆けこんできた。
「閣下、フロランが動きました。モンシェール城を出て北西へ向かっております!」
「もう動いただとッ!? いつのことだッ?」
「一昨日です!」
バリックはアンテル要塞に到着してから半日以内で軍を転進している。予測では敵が集合するよりも先に、こちらが相手の懐へ到達するはずだった。
出発が早すぎる……!
準備には7日、急いでも4日はかかる――全員の一致した見解は盛大に外れた。
反乱の報が届いたその晩には出陣した計算になる。
事前に準備していたとしか思えない!
反乱に失敗したヴェルデンの旗主たちも、こんな気持ちだったのだろうか?
「数は?」
「1000を超えています。正確には言えませんが、規模は我が部隊の倍はいるように見えました……!」
「1400? ほぼ全軍だな」
「実際、全軍なのでしょうな。後先考えない攻撃なら余力を残す理由がありません」
「なら最低でも1500か」
バリックに与した騎士たちの話によると、侯爵領全体の軍人戦力は5000ほど。侯爵アンドレが4割、大叔父フロランが3割、バリックが3割を有しているとか。
「迂回して南からヴェルデン入り」
通り道にある他の領主も気の毒に。
「南部と東部、どちらを狙うかですな」
「ソボロリールには北西から引き抜いた兵を置いてある。援軍も受けやすいから簡単には落ちない。エストケにはせいぜい200」
「南に押さえの兵を置いて別働隊を差し向けられたら厳しいですね」
ユリアーナの補足にジョスランが焦る。
「すぐに戻りましょう!」
「お待ちを」
「どうした?」
「歳を取ると足腰が弱っていけません。ここはゆっくり向かいましょう」
「何言ってるんです!? セレナリア公は俺なんかよりよっぽど元気ですよ!」
「いやいや、疲れにはよう勝てん。元気な者にはまず及ばない」
「閣下、急がないとフェルタンが!」
「落ち着け」
俺はジョスランをなだめ、泰然としたリシャールの髭を掴む。
彼が言わんとするところはすぐにわかった。
「老木には知恵の実が成るというわけだな」
――桂陵の戦い。
春秋戦国時代の有名な逸話だ。
あるとき魏国が趙国へ攻め込み、首都を包囲されるまで追い詰められた。そこで趙は斉国に援軍を求め、斉王は即座に援軍の派遣を決定。
ここで軍師の孫臏は大将へ献策した。
趙ではなく、魏の首都へ向かうようにと。
魏軍は慌てて祖国へ引き返す。敵の首都を攻めているはずが、自国の首都を包囲されて補給を絶たれそうになったからだ。で、遠征の疲労が溜まっていた魏軍は強行軍でへとへとになり、態勢を整えて待ち構えていた斉軍にあえなく撃破される。
一連の流れが囲魏救趙という言葉になった。
彼が示唆するのも、それに近い意味だろう。
「急行した先で待ち伏せされたら? 粉砕されてエストケを悠々と落とされる。仮に待ち伏せがなくとも、疲れ果てた状態で倍の敵と戦うことになる」
リシャールが微笑む。
「じゃあバリック卿と一緒に向かうんですか? 遅すぎて間に合いませんよ!」
リシャールの微笑みに青筋が生えた。
「考えてみろ。あの飢えた強盗の群れを領内へ引き込みたいと思うのか?」
「あ……」
「彼の騎士だけならいい。餓死しかけの怒れる者どもは見境なく荒らし回るぞ」
「フロランの目的がヴェルデンを傷つけることなら、略奪に並々ならぬ精を出そう。重ねて暴徒に襲撃されれば、我らの民は壊滅的な害を被る」
諭されたジョスランは真っ白になった。
地獄絵図を想像したのかな。
皆も沈んだまま顔をこする。
――自軍の損害を減らすため、バリックの部隊を利用してフロランを叩かせる。
それが俺たちの狙いだった。
蓋を開ければ、彼の部隊は使えない、領内は空けたまま、何もかもが裏目っている状態だ。最悪すぎる。
「一度入れば頼んでも出ていかない。賊になる者も後を絶たない。領民としては旗主どもがダメだから俺に乗り換えたのに、地獄がずっと続いたら?」
「恨みを募らせて反抗的になるでしょうな。そしてヴェルデンとフォルクラージュの仲は不可逆的に破綻する……まさに命懸けの報復です」
怨恨はすべてに優先する。
俺はセドリックの娘の婚約者を思い浮かべた。
彼は自ら斬首を望んだ。
フロランも生きるつもりはないだろう。
「フェルタンも歴戦の傭兵だ。柔軟に対応するだろうし、領内からの援軍もある」
「だといいのですが……」
「さしあたっての問題は南部の防衛に、バリックとどう別れるかだな」
断っても救援と称して同行しそう。
強硬に断れば彼の部下も黙っちゃいない。
どうしたものか。
◇
目先の悩みは夜明け前に解決した。
陣の外側で騒ぎ声が聞こえてくる。
「だから敵じゃねえって言ってんだろ!」
「黙れ、怪しいやつめ!」
「どうした。騒がしいぞ」
兵士たちが取り囲んだ訪問者たちに槍を向けている。
見たところ冒険者たちと……騎士?
騎士は縛り上げられて顔を背けている。
完全に捕虜だな。
「旦那! ヴェルデンの旦那!」
「何者だ?」
「お、俺です! 魔族殺しにお供させてもらった冒険者です!」
リーダーと思しき青年が何かを差し出してくる。
受け取らせて確認すると、なんと以前に授与した勲章――セドリック赤竜盾章だ。
「あの時の。久しいな」
穏やかに声をかけると、彼は安堵し、すぐに顔を引き締めた。
「旦那に伝えたい話があります!」
「何だ?」
「こいつです。モンシェール城から出てきた騎士です」
寝ぼけ眼のリシャールが側に立つ。
「どこへ向かっていた?」
「方角からしてロンゴールだと思う」
「ロンゴール! アンドレ卿の本拠地か!」
「旦那、助けてください。俺たちはもうどうしたらいいか……」
「順を追って話せ。リシャール、紅茶の用意を」
「かしこまりました」
不安げな冒険者をなだめ、テントへ招く。
彼らは騎士に囲まれ、縮こまりながら話した。
「侯爵家の戦が始まってからこっち、冒険者が密偵扱いで捕まりまくってたんです。俺の知り合いも牢屋に入れられました。そいつの仲間から助けを求められ、侯爵領へきたってわけです」
「ふむ」
「最近は城や集落に近づくだけで取っ捕まるんで森に隠れてました。そしたらこないだ、モンシェールの近くに張り込んでた仲間がえらい形相で駆けこんできたんです。城からすげえ数の兵士が出てきて、そん中には捕まった冒険者たちもいると!」
思わずリシャールへささやく。
「冒険者だけではないはず」
「ええ。数はもう少し多いかと」
リーダーの隣で震えていた女斥候が口を開く。
「あの! 皆は武器を突きつけられて、無理やり歩かされてました! 悪さしたいわけではないんです!」
「このままじゃ、あいつらが戦争で殺されちまう!」
「捕虜の騎士は?」
「森に入ってきたのを捕まえました。人質にして仲間と交換できればなって。そしたら旦那が北にいるってんで、相談しようかと……そうだ、手紙を持ってましたぜ!」
彼は荷物から封蝋された手紙を差し出す。
「内容を?」
「俺たちは字が読めないんで……」
内容を確認する。
「ッ!」
それはフロランからアンドレへ送られた出兵の連絡だった。
フロランは反旗を翻したわけではないのか?
復讐したいのは本心だと思うが……。
主だった者に回し読みさせる。
ユリアーナたちは思案げに首を傾げた。
「どう思う?」
「なんとも」
「純粋な反乱ではなく、侯爵にも話の通った軍事行動。しかしなぜでしょう……」
「裏で繋がってんなら、この連絡にも意味がありますかね?」
「増援の要請か?」
「城を空にしておいて、守ってくれと他人へ頼むでしょうか?」
「ふーむ……」
顎髭を撫でるリシャールへ尋ねる。
「お前の考えは?」
「不正確かもしれませんが」
「構わない」
「ならば……。組織には様々な思惑が絡むものです。今のヴェルデン家は別として、普通は派閥の利害を調整しながら行動を決めます」
「つまり?」
「中途半端な利害の一致なのでは?」
利害の一致ときたか。
アンドレとフロランは対立傾向だった。
側近くで仕えた者たちの証言もある。
ふたりが超長期的な罠を張っていたらお手上げだけど、それにしては動きがお粗末だ。乱の鎮圧が遅すぎる。協力体制は開戦後に結ばれたのかな。
一応、ヴェルデン嫌いという共通項はある。
だが、不信感の渦巻く中でそう簡単にいくか?
「その利害がわからん」
「完全な私見ですが、狙いはバリック卿ではないかと」
「バリック卿?」
「そりゃまたなぜです」
「侯爵もフロランも、バリック卿が嫌いだと思うからです」
目線だけで続きを問う。
「あの方はロイク様と似ておられる」
「祖父と?」
「型破りな言動。内輪からの狂信。戦でも人間関係でも風上に立ちたがる性格。他人を己の欲と信念に巻き込む判断。正直、生き写しだと思いました」
「ユリアーナ。俺たちは祖父を知らない」
「……そうですね」
彼女は剣の柄から手を放した。
なるほどな~~~。息子や大甥が不快な仇敵にそっくりなら、血縁の情を超越した敵意や嫌悪感を抱いてもおかしくはない。自分の血にも嫌いな要素が混じっているのだと証明されてしまうから。
異様に息子を嫌う父親は実在する。
異様に娘を貶す母親と同じぐらい。
「バリック卿は弟のアンリを武勇に欠ける批評家だと。大叔父フロランと共鳴する兆しがあったとも言っていた」
「フロランがヴェルデン家へ向ける復讐心も本物でしょう」
「バリック卿はアンドレ卿のことをずいぶん軽蔑してますよね」
ジョスランの言葉に肯首する。
侯爵は息子を誇りに思っているとの噂だが、腹の中まではわからない。ヴェルデンとの修好を提案するバリックにフロランが抱く感情は考えるまでもない。
「……アンドレもフロランも、バリックを排除して弟に家を継がせたいのか?」
「その線なら手を結べますな」
「ヴェルデンを攻めれば復讐心が満たされ、次男に手柄も立てさせられる」
「彼らにとって我らは宿敵です。バリック卿にも味方している。領内の者を殺すよりも、よほど人々の心象は良いでしょう」
個人的には納得いく推測だ。
俺は冒険者へ銀貨を渡させる。
「なんにせよ良い知らせだ。ご苦労だった」
「旦那、仲間たちは!」
「なるべく悪いようにはしない」
「お願いします」
冒険者たちはようやく肩の力を抜いた。
「皆はしばらく休め。日が昇ったらバリック卿に会ってくる」
その場は解散とする。
連行された騎士を拷問して確証を得ようとするも、彼は舌を噛みきってしまった。すぐには死なないが情報を聞き出すのは難しい。
いい教育してんなあ。
俺は朝日を浴びながらバリックの陣営へ向かった。
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