第36話 不穏の気配


 数日が経ち、ケアナ城へ王女を迎えに行く。

 ユリアーナは意地を張らずにすぐ出てきた。


 その目はどんよりと曇っている。


「ヴェルデン領はいいところね! エストも、ユーリも、エルのことが大好きなんだから!」


 エルマリア殿下はとてもご機嫌だったが、


「ヤダヤダヤダヤダ! もっと遊ぶのおぉおおお!」


 帰還を勧めるとゴネ始めた。

 あまり長く引き留めて、人質にしてると勘違いされても困るんだが……。


「じゃあお土産に白鷲をちょうだい! ねえ、いいでしょ? いいでしょ!?」

「ダメです。それだけは絶対に」

「なんでよ!」

「大切な旗主なので」

「むー……! うー、うううー……! お姉様に」

「言いつけても無駄ですよ。ユリアーナは我が一族。殿下にとってのマリエール様のようなものです」


 エルマリアは悔しそうにうなる。

 睨み合っていたが、はたと気づいた風にニヤついた。


「なあんだ。そういうこと」

「?」

「エストはユーリのことが好きなのね!」

「へっ!?」


 ユリアーナがびっくりしている。


「だって、私はお姉様のことが大好きだもの!」

「まあ、よろしいように受け止めてください」

「じゃあね、じゃあね、王都に帰るまでは一緒! それならいいでしょ!?」

「護衛役ですか。ふむ」

「エスト殿……!」


 彼女は必死に首を振って否定する。

 俺は努めて笑顔で応じた。


「それならばご期待に添えるでしょう。ユリアーナよ、大役である。道中しっかりと殿下をお守りするように」

「やったー! やっぱりエストはエルが大好きね!」

「……っ! ……っ!」


 哀れな生贄は小さく地団太を踏んだ。

 俺は浮かれる王女に金継ぎもどきを渡し、ユリアーナに近寄る。


「覚えててくださいよ……!」

「そう言うな。ひとつ公務を任せたい」

「なんですか」


 憮然とする横顔へ耳打ちする。


「リザベットをユディオール学院へ送ることになった」

「リーザを。人質ですか?」

「否定はしない。が、あの子は母上から逃がしてやらねば」

「ああ……なるほど……」

「追手が放たれるかもしれん」

「わかりました。確実に送り届けてきます」


 言うなり、顔を背けて馬車へ向かってしまった。


「リーザ?」

「リアナ!」

「話は聞きました。万事、私に任せてください」

「ありがとう……この恩は忘れない!」


 妹と従姉は手を握り合っている。


 まだ怒ってそうだなあ。

 説明するタイミングがつかめない。


 考えなしで地雷を踏んで、大爆発を招くのが怖すぎる。




 大広間は賑やかな喧騒に包まれている。


 長机には豪華な料理。

 客席を占めるのは兵士たちや雑用係。

 使用人たちが給仕の配置についている。


「さあ、今月も始めるぞ!」

「私どもまでよろしいのでしょうか?」

「構わん。これは料理人や下僕たちの演習。兵士が訓練をするように、彼らは厨房や客の隣で戦うのだ。なるべく本番に近づけたい」


 セヴランは納得した。


 この構図を見るのもすでに3度目。

 ガストン一党を始末した祝勝会からこっち、月に一度はこのパーティーを開いている。あまりに間隔が空くと料理人たちの腕が錆びつくからだ。


 本番で下手な料理を出せば悪評に繋がる。

 貴族にとっては宴も重大な仕事のひとつなのだ。


「旗主たちは無視をやめたんでしょう?」

「面会を求める手紙は毎日のように届く」

「ほったらかしで良いんですか?」

「まだ早い。すぐに会えば力関係を勘違いするだろう。自分たちとは戦えないからだ、と」

「でも」


 ジョスランは口ごもった。

 事実じゃないですか、とはさすがに言わない。

 ここにはたくさんの耳があるからな。


「しばらくは根比べだよ。それになあ」

「はい」

「呼んでもこなかったくせに、今さら何食わぬ顔で会いたいとか。都合良すぎだろ」

「誰もこなかったの、根に持ってません?」

「持ってない!」


 俺は立ち上がって3回ほど手を叩いた。


「皆の者、今日はよくぞ集まってくれた」


 人々が樽ジョッキで机を叩く。


「先月出した課題は覚えているな?」

「ジョスラン殿、課題とは?」

「休暇や里帰りの際、街や村で話題や困りごとを聞いてこいと命じられたんだ」

「どんな内容でも罰さない。報告はあるか?」


 皆が口々に故郷の話をする。


「親戚が南部にいるんですがね。今年も大暴れ川の氾濫が心配だと言ってました」

「故郷はクルタージ城の近くなのですが、父がしばらくは帰ってくるなって。森の賊徒が増えているそうなんです」

「村の連中は魔族討伐なんて嘘だと。俺がこの目で首を見た、閣下はすごい人だって言い返してやりましたよ!」


 重要度はともかく、様々な情報が手に入る。

 中には嘘や誇張、大げさな話もあるだろう。


 しかし、領主館にいては触れることができない情報はどれも貴重だ。報告した者を賞し、いちいち俺の皿から最も上等な肉を取り分ける。


 民へ直接尋ねたところでお為ごかししか返ってこない。民衆の本音や、いわゆるここだけの話を収穫できるのは、同じ階層の彼らだけだ。


「いとこが言うには、今年の麦は神のご機嫌を損ねたとか。ほくろだらけで見栄えが悪いそうです」


 思わず手を止めてしまった。

 張り付けた笑みがひきつる。


「閣下?」

「ああ、いや。よくぞ教えてくれた。ほれ、貴様にはおまけしてやろう」


 残りの肉をすべて与える。

 胸騒ぎで食欲どころではないからだ。


 麦に黒いほくろ……。

 脳髄が急速に前世の知識を呼び起こす。


「用事ができた。皆は最後まで楽しめ」


 セヴランについてくるよう合図し、宴を中座した。




 俺たちは執務室へたどり着く。


「いかがなさいました?」

「今年は凶作になると思え」

「……なんですって?」

「まだ可能性の段階だが覚悟は必要だ。魔物の素材はどうなっている?」

「ご指示通り、フォルクラージュの冒険者ギルドと交渉を行っております」

「売れそうか?」

「感触はまずまずですが、希望額で売るにはもう一押し必要かと」

「ならば交渉相手を王都に変える。ワイバーンの素材をチラつかせて下地を整えろ」

「よろしいのですか!?」


 ワイバーンは飛竜の一種。

 竜狩りの名誉は貴族としても戦士としても憧れの的であり、倒した家は竜を武勇の証として本拠地の広間に飾る。ランボルギーニみたいなもんか。


 実績を捏造するため、中古品へ手を出す貴族もいるほど人気。単に素材として売るよりもずっと大きな価値がある。


 だが、背に腹は代えられない。


「竜はまた狩ってくればいい」

「では、その通りに」

「俺は領内の視察へ向かう」


 俺はヴァレリーを引き連れて出立の準備に取り掛かった。

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