第30話 閑話:ジョスラン


 ガルドレードの騎士叙任式を終えて数日後。


 ジョスランはいつもの居酒屋で、いつもの席に座っていた。いつもの光景だが少しだけ違うのは、壮麗な鎧と深い緋色のマントを着用している点。


 彼は個別で式を設けられ、騎士に叙任された。


 常連客たちも遠巻きに見守っている。

 飲み仲間を祝う、という言い訳で仕事をサボって飲みにきたのだ。


「はあ……まさか、この俺が騎士とはなあ」

「もっと喜べ。子供の頃からの夢だったろ」

「でも、いいのかなあ」

「魔族を倒して騎士になる、何が不満なんだ」


 彼は、対面の席に座って酒を飲む店主へと声を潜めた。


「お前にゃ嘘をつきたくない。実はだな――」


 ジョスランは、耳を寄せる店主へと事情を語り始める。





 それはクラトゥイユ領の山地で、魔物たちに敗れたときの話。


 ジョスランは、もみくちゃ状態で逃げる部下たちをまとめているうちに、味方の大集団とはぐれてしまった。


「ちくしょう、ちくしょう! なんだってこんな目に……!」

「兄貴、魔物が先回りしてる!」

「ど、ど、どうすれば」

「あー、くそぉ! 突破するぞ! 俺についてこい!」


 死を意識して恐怖に駆られる若者たちをなだめ、自ら先頭に立ってどうにか崩壊を防ぐ。こんな場所で散り散りになれば、それこそ抵抗すらできずに狩られるだろう。


 方角なんてわからない。

 無我夢中でひた走る。


 脱落しそうなモヤシくんに肩を貸して進んでいると、見覚えのある高所に出た。


「あれ?」

「ここって」


 今朝がたに奇襲を受ける前、遠くに眺めていた峰だ。間違いない。遥かな眼下には落石の痕跡が残っている。


「崖から見えてた峰だ!」

「ってことは、あれを右手に見ながら降りてけば」

「街に戻れる!」

「助かった! 助かるんだ、俺たち!」


 部下たちは抱き合って泣いている。

 ひとりがジョスランの肩を揺すった。


「兄貴、降りよう! とっととガルドレードに帰ろうぜ!」

「あ、ああ。いや、でもな……閣下が」

「とっくに死んでるさ。俺たちまで付き合う必要ないって」

「せっかく生きて帰れるんだ」

「わざわざ戻って無駄死にするなんてダセえよ」


 彼らの言うことにも一理ある。

 戻ってやられるのは愚かなこと。

 主君がすでに死んでいたら最悪だ。


 頭の天秤が傾いていく。

 このまま下山して逃げようかという方向へ。


 負けるのは慣れている。

 逃げれば命は助かる。

 暖かい食事とふかふかのベッド。

 わびしくも恋しい平凡な日常が待っている。


 一度は戦ったんだ。

 誰も、誰も責めたりはしないさ。


「そうだな、ここで意地張ったところで――」


 言いかけながら泳がせた視線。

 ある一点で止まり、無意識に呼吸も止まった。


 猫がいる。


 軽やかに歩き、こちらを見てから斜面を下る。


 瞬間、脳裏に過去が蘇った。


『鳴かないからといって鳴けないわけではない』

『飛ばないからといって飛べないわけではない』

『ふむ……。捨てる勇気を、忘れないことです』

『まさかテメェ、ボルダン様に逆らう気か?』

『黙ってりゃ痛い目みなくて済んだのに』

『馬鹿な野郎だ』

『仕方ないよ。あんたはよくやったよ』

『誰だってそうする。普通のことさ』

『弱さは決して罪じゃない。酒を飲んで忘れろ』




『民衆を慈しみ、保護することを改めて宣言する!』

『民を虐げた代償を支払わせろ』

『はあ。いっそふたりで飲むか?』

『閣下が馬を放たれたぞ!』



『忠義の騎士はどこにいる?』





『おいちゃん、もうちょっとだけ頑張ってみるからよぉ』





 彼の心に何かが吹き抜ける。


「兄貴。……兄貴?」

「お前らは街に帰れ」

「なんだって?」

「閣下が言ってたように、退しりぞくも勇気だ」

「ちょ、兄貴はどうすんだよ!?」

「俺は戻る! 俺がなりたかった俺は、ここで逃げるような人間じゃないんだ!」


 返事も聞かずに駆け戻る。

 ここで逃げる臆病者が騎士になどなれっこない。

 せめて閣下だけでもお救いせねば。


「馬鹿か、俺はっ」


 何が一理あるだ……。

 何が愚かなことだ!


 己が賢かったためしなど、これまで一度もないじゃないか!


 心の声に耳を塞いで諦めてきた。

 自分らしさを捨てて、死んだように生きてきた。


 だが結局!


 本当の自分になれない無駄な時間を重ねただけで、命を捨て続けているようなものだったろうが! 一度たりとも、一瞬たりとも、満足を得られなかったろうが!


 生きてる実感がしなかっただろうがよ!

 そんな命を永らえて、最期の最期まで後悔したいのか?


 違うだろ!

 もうわかっているはずだ!


 俺の42年間は、何もかも間違っていたのだと!


 都合のいい言い訳に寄りかかるな!

 思い込みを捨て、目を見開き、辛く苦しい事実に立ち向かえ!


 たった1日、たったの1秒だけでいい!

 本当の自分、心の奥の物語を生きろ!


 偽物の俺を捨てて、真実の姿を取り戻すぞ!


「ジョスラーーーーーーン!!」


「兄貴ィ!」


 驚いて振り向く。

 部下たちが並走してきた。


「ばっ、おまっ、何やってんだ!」

「見りゃわかんだろ、アンタを追ってんだよ!」

「せっかく拾った命だろうが! ガキはとっとと帰れ!」

「うっせバーカ! おっさんひとり残して逃げられるかよ!?」

「俺はいいんだよ! 十分生きた大人だから!」

「嘘つけ! 俺たちのがずっと大人だろーが!」

「あぁん!?」


 ジョスランは走りながら考え、意味を理解すると激怒した。


「うるせええええ! 恋人がいるのがそんなに偉いのか!? お前ら、帰ったら覚悟しろよ!!」


 彼らと罵り合っていると、セヴランの送った増援部隊と遭遇したのであった。




「……ってなわけで、本当は逃げようとしてたんだよ」

「でも、逃げなかった」

「勇気があったわけじゃない」

「立ち向かって勝った。それだけが事実だ」


 ジョスランは口を開きかけ、思いとどまってジョッキを呷る。


「ま、そういうことにしとくか」

「そうそう。人生を楽しく過ごす秘訣は、過去を振り返らないことですぞ」


 ジョスランと同じく騎士装備の男が姿を現す。

 店主は目を丸くした。


「おや、あんたは?」

「俺の同僚にして部下だ」

「バリエ家のフェルタンと申す」

「志願兵の中で五十人隊長をやってた男さ」


 そう、フェルタンは五十人長のひとり。

 2番隊を受け持っていた中年過ぎの男だ。


 ジョスランは先日のことを思い出す。


 彼はエストに呼び出され。ヴェルデン家に勧誘する騎士を選定中だと告げられた。


「とりあえず7人は決めた。残りはお前が選べ」

「俺が、ですか」

「騎士として衛兵隊をまとめるんだ、取り巻きもなしでは格好がつかんだろう」

「えっ、えっ、えっ!?」

「話は以上だ」

「お、俺、騎士になんの!? 騎士になれんの!?」

「当たり前だろ。貴族の命を救ったんだから」


 困惑と歓喜がないまぜのジョスランは、従騎士たちの情報を真剣に思い出す。


 年寄りは厄介だ。

 命令を下すなら若いの、威厳を出すなら強そうなの。

 貴婦人たちへの応対係に女騎士でもいいな。


 そんなことばかり考えていたが……いざ面談に及んだ結果、見るからにうだつの上がらないおっさんを選んでしまった。


 年上の男が必死に騎士を目指す姿が、どうにも他人事とは思えなかったのだ。



 フェルタンは片膝を突いて頭を垂れた。


「ジョスラン殿、感謝いたす」

「ん? なにが」

「私とて今年で48になる親爺の一員。他人よりも功績の乏しい身でガルドレード勤めに選ばれた裏事情なども、なんとなく察せられます」


 彼は、禿げてはいないが毛量の薄くなった白髪交じりの青髪をかく。


「思えば妻子には苦労ばかりかけ、そろそろ逆転を決めなければと焦っていた次第。この恩は必ずお返ししますぞ」

「いやあ、ハハハ」


 ジョスランはジョッキを机に置いた。


「俺らもしょうもねえオッサンになっちまったけどよ。上手くいかないからって人生をやめるにもいかん。まあさ、たまには良いこともあっから、お互いに頑張ろうぜ」


 店主がフェルタンにエールを注ぐ。


「さあ飲みな」

「やや、これはかたじけない」

「そうとも! ジャンジャン飲むぞぉ!」


 三人でジョッキを打ち鳴らす。


「皆も飲め! 今日はおごりだ! ジョスランのな!」


 ジョスランは盛大に吹き出し、激しくむせてしまうのだった。

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