第18話 パパは神経質な芸術家


 教会から逃げ、父のアトリエへ足を運ぶ。


「父上、エストでございます」

「入りなさい」


 エプロンを絵具だらけにした人物が振り返る。

 父のアルノーだ。

 彼は描きかけの絵画をしげしげと観察中だ。


「どう思う?」


 開口一番に感想を尋ねてくる。


 俺は絵画の前に立った。

 はい。普通にレベルが高いです。

 

 遠近感を欠いた平面的な構図ではない。初期フランドル派のように世界そのものを絵の中に落とし込もうとした奥行きのある仮想空間的な表現や、盛期ルネサンスのような鮮やかな色彩、静止の中に現れる運動らしき気配も感じ取れる。


「価値あるものだと思います。この絵画は単なる記号ではなく、世界そのものが魂ごと宿っていますね」

「おお!? わかるか、わかるのか!?」


 父は目をみはって吼えた。


「エストに芸術の素養はないと思っていたが、いやはや、子供は成長するものだ」

「しかり」

「喜ばしいことです」


 アトリエで制作している他の男たちが同調する。


 彼らは父が各地からスカウトしてきた芸術家。パトロヌスとクリエンテスであり、競争相手であり、同志。夢にまっすぐないい人生だと思う。


 だが、俺は現実と戦わねばならない。


「それで、何の用だったかな?」

「はい。閣下、率直に言わせていただきますが」

「妙に他人行儀じゃないか」

「我が家の財政は破綻しかかっております。ですので、趣味の支出は見直さねばなりません。有り体に言えば大幅に減額させてください」

「…………」


 姿勢を正して言い切ると、彼は黙り込んだ。

 困惑しているように見える。


「そうだ。エストも1枚描いてみるか? ここには優れた先生がたくさんいるから――」

「父上」

「…………」


 彼はまたもや無言になり、絵の具を混ぜ始める。


「承諾なさってください。領内が破綻すればこのアトリエも――」

「お前もかッッッ!!」


 うおお!?

 父はいきなり怒鳴ると、パレットをこちらの足元へ投げつけてきた。


「お前も! 私から! 奪うのかッ! 今度は芸術まで奪うというのか!!」

「落ち着いて」

「ふざけるな! ふざけるな! どうして皆そうなんだ!」

「父上」

「もういい! 出ていけ! お前の顔など見たくない!」


 過呼吸になりかけながらヒステリックに叫んでいる。

 俺の周りには情緒のおかしいやつが多すぎだろ……。


 仕方ない。


 俺は陶器のコップを手に取り、地面へ叩きつけた。不穏な音が鳴り響き、父が一瞬で小さくなる。


「お、脅すのか」

「そうではありません。先生方、接着剤をお借りしても?」

「え、ええ。どうぞ」


 コップの破片を拾い集める。


 いかにもな芸術家からヌメる接着剤と樹脂を受け取り、混ぜ合わせてから、木粉と綿を加える。


 それから、出来上がったこげ茶色の物体を破片の断面にこすりつける。破片同士をつなぎ合わせ、父のそばに控える魔法使いを呼んだ。


「魔術師よ。緩やかに風を当てろ。乾かす程度でいい」


 10分ほど風を当てさせる。

 ストップをかけたら余った綿に接着剤と金粉を付け、こげ茶色の物体にまぶした。


 金継ぎもどきの完成だ。

 ガチなやつじゃないから今はこれでお茶を濁そう。


 父は怒っていたことも忘れ、興味津々で覗き込んでくる。


「どう思います?」

「奇妙だ。しかし魅力も感じる。割れた陶器は無価値のはず。なのに治す前とは違った趣があるな」

「わかりますか」

「これは?」

「異国の工夫で金継ぎというそうです。商人から聞きました」

「金継ぎ……」


 腕を組み、首を伸ばして食い入るようにコップを見つめる父。


「壊れたからといって無駄になるとは限りません。このコップのように、一度苦難を経験したからこそ、独自の個性を手に入れる場合もあるのです。むしろ、修復されることで平凡なコップではなくなったと言えるでしょう」


「ふむ、興味深い」


「優れた芸術家は互いに影響を与え合うものと聞きます。私もここで皆さんの作品に触れ、考えが少し変わりました。この作品群には圧倒的な価値がある。本心ですよ。500年、1000年を経たとき、世界中が絶賛すると確信しています」


 1000年というワードへ劇的に反応する一同。

 それぞれに反すうし、興奮で頬を紅潮させている。


「約束します。財政を立て直したあかつきには必ず予算をつけますから、ここはいったん折れてもらえませんか?」

「必ず。必ずだな?」

「ええ。必ずです」

「…………わかった。思うようにやってみなさい」


 一礼して背を向ける。

 去り際に振り返ると、父と芸術家たちは金継ぎもどきを囲んで論を交わしていた。


 ひとまずこれで破産は免れた。


 パパ上の道楽を3000万、ママ上の贅沢を4000万、姉上への仕送り6000万のうち半分をカットして1億円を捻出する。


 社交費や家格を保つための費用も含まれるため、全カットは現実的じゃない。

 とりあえずは1億だ。

 

 超過分8700万を埋め合わせ、残るのは1300万。領地の改革について多少の腹案はあるが、これっぽっちで試せる話はない。


 農業を更新するとて、土壌の改善には時間がかかる。

 即効性のある肥料を作るにもやはり資金不足だ。


 いずれにせよ効果が出る前に冬が訪れる。大勢が餓死すれば失政の評判が広がり、民衆が蜂起して手に負えなくなるか、外から領内を切り崩されてズタボロになる。


 食料を、それも現物を買い込んでおかなければ命が危ない。最悪は蔵に眠る財産を売り払うしかないが、有事に備えてなるべく残しておきたい。


 たまに王家から貴族への課税があるしな。


 ともかく稼がねば。

 でも、どうやって?


 何かを作って売る。

 転売を試みる。

 厳しい。そもそも原資がない。


 じゃあどこかの領地で略奪でもするか?


 難しいな。大っぴらに動いて戦争になったら責任を問われる。あいにく、ヴェルデン領の近くでドンパチをやっている第三国も見当たらない。


 うーん……。

 ん? お?


 唐突にアイデアが降ってきた。


「そうだ、魔物狩ろう」

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