13:モリビト

「なんだこれは。──まるで神話の《クラーケン》ですよ」


 中央司令室のオペレーターが唸るように呟いた。


「クラーケン?」


「ご存知でないですか、トーリッジ司令官。人類以外にも生命が存在した時代の架空の神話生物です」


 確かにその自律機械は古代の巨大海洋軟体生物クラーケンに似た外見的特徴を有していた。膨らんだ球形の胴体は分厚い装甲で覆われていて、内部に複数の動力炉と分子転換炉、さらに生成油を一時貯蔵する球形タンクを備える。


 胴体正面で巨大な六つの眼に見えるのは、各種センサー群が集合した探知機構だ。左右一〇本ずつ、合計二〇本の巨大な触腕は、それぞれが独立して可動し、異なる複数の機能を有しているようだった。


 全身を顕わにした自律機械のサイズは超弩級であり、胴体部分だけでもおよそ三〇〇メートルはある。最も長い触腕の先まで含めると全長はその倍以上になるだろう。


「言い得て妙だな。それじゃこいつのことは《製油工場管理特化型パイプライン•クラーケン》とでも呼ぼう」


 トーリッジは苦笑を捻り出した。


 遠く離れた作戦前線でも、同じ表情をイムリがしていた。


「······なるほど、そういうことか」


 イムリにはひとつ疑問があった。イムリは遺構の自己修復機能を実際に見たことがなかった。そのため、製油工場を保守する自律機械の姿が気になっていたのだ。これまでイムリは、それは自走して故障個所を点検する箱型の立体プリンターみたいなものだろうと、適当な推測を付けていた。


 だがその想像は大外れだったらしい。製油工場の主である巨大自律機械は、長い年月で自らを環境に適応させ、軟体生物のような異形の形態を獲得していた。そして環状空間の内部を這いずり回り、自らの《居城なわばり》を改修しながら、生成油の黒海に潜伏していたのである。


『首都制御塔から前線部隊へ。当該自律機械を危険性の高い個体として登録しました。以降、これをコードネーム《製油工場管理特化型パイプライン・巨大クラ自律機械ケン》と仮称します。──大規模な破壊行動が予想されます。慎重に対処してください』


 イムリはニャプラーを通した観測の先で、無機質な視線の応答を感じた。


 幾星霜にもわたって《製油工場を保守する》というアルゴリズムを実行し続けた巨大自律機械の人工知能は、その高度な知覚能力でもって、自らの住処へ破壊工作を施した不埒者の存在を敏感に察知していた。そして明確な敵意を募らせ、脅威の排除に向けて行動を開始した。




『各機、警戒態勢! いや間に合わない。──投射装置を廃棄して回避しなさい!』


 コリノが叫ぶのとほぼ同時に、巨大自律機械、仮称コードネーム《パイプライン・クラーケン》が超八面建造体を目指して急速降下した。


 二〇本の機械の触腕が表面張力で生成油の膜に踏ん張り、弓なりにたわむと、見た目からは想像できないほどの高速でその巨体を自ら投げ飛ばしたのだ。本体雲とヘルニコグとの高度数キロメートルを詰めるのにおよそ一〇秒もかからなかった。


 パイプライン・クラーケンは治安維持局の隊列の目の前に猛然と着地するや否や、巨大な触腕の数本を無造作に振り回した。その一薙ぎで瓦礫が塵のように巻き上がり、触腕の直撃を受けたガタヨロイ部隊は半数が行動不能となった。


『こいつ?! 図体はでかいくせに動きが凄まじく速い!』


 大型弾体投射装置を懸架し、半ば固定砲台化していたことが部隊にとって裏目に出た。決して軽くはない人型重機が、ボーリングのピンのように次々吹き飛ばされていく。


「う、わっ?!」


 イムリたちを載せたガタヨロイも体勢を崩し、掌上の全員が空中に放り出された。イムリは咄嗟にニャプラーとゲンレへ手を伸ばし、なんとか両方を抱えて不時着した。その脇に、大容量バッテリーコンテナがズドンと落ちてきた。


 一瞬で前線を壊滅させたパイプライン・クラーケンだったが、これらの惨状は着地の余波に過ぎなかった。それが真に意図する攻撃の予備動作として、パイプライン・クラーケンの六つの複眼と各触腕の先の多眼センサーが一斉にぎょろりと回転し、すべてがイムリへ照準ロックオンした。


「……イムリ君なんかこいつめっちゃこっち見てない?!」


 ゲンレが叫んだ途端、巨大な触腕の一本がイムリに襲い掛かった。軟体組織で覆われた触腕の先端が大きく三つ又に開いて、内蔵する破砕機構が露出した。鋭利な衝角を備えた破砕機構が高速回転を始める。そして触腕が周囲の瓦礫を根こそぎ削り取りながら迫ってきた。


『イムリ! 早く逃げるニャ!』


 だが、イムリは動けない。


「……こんな、ときにっ」


 回避行動のために慌てて観測中継弾体とのリンクを解除したことで、唐突に視界が暗転したせいだった。イムリはその場でふらつき、膝をついた。この一瞬の硬直が致命的な隙となった。


『にゃああああ!』「死んじゃうううう!」


 ニャプラーとゲンレが悲鳴を上げた。触腕が大気を渦状に切り裂いて錐もみ回転しながら肉薄する。瓦礫と生成油の雫が飛び散る。回復したイムリの視覚は、それらすべてを奇妙なスローモーションで捉えていた。……まずい、避けられない!


『──どっ、せい!』


 次の瞬間、上空から青い稲妻が斜面へ一直線に突き刺さった。


 正しくは、それはイムリと触腕の間にある紙一重の空間に滑り込んだ。衝突の冷音が響く。凄まじいインパクトで先端が弾かれ、巨大な触腕は僅かながら軌道の変更を強いられた。


 瞬きとともにスローモーションの世界が速度を取り戻す。巨大な触腕がイムリを掠めて、身体の横を通り抜けていく。瓦礫や塵芥が飛び散った生成油の微粒子とともに巻き上がり、灰煙が視界を覆い尽くした。


『まさに間一髪といったところね。無事なら返事しなさい、イムリ』


 煙が晴れると、座り込んだイムリの前に、白色の機影が仁王立ちしていた。


 それは人型を超えた異形のガタヨロイだった。特徴的な長い両脚、それは巨大な翼のような形状の高振動ブレードと一体化している。両腕はなく、代わりに肩口から二基のレーザー式推進器スラスターが後方へ延びる。全身を覆う、鋭利な白い装甲。三六〇度を可動域とする長い首の先端には、猛禽の如き意匠の頭部センサーユニットがあり、二対のアイライトが静かに赤い輝きを放っている。


 その操縦者はコリノだ。そしてこの鳥のような機体こそ、治安維持局長官専用特務解体人機 《ブルーバード》だった。


「ありがとうコリノ、また借りが増えちゃったよ」


 イムリは埃を叩いて立ち上がった。


『ふん、軽口がきけるなら問題なさそうね。……さて、と』


 コリノはブルーバードの首を巡らせ、改めて巨大自律機械と対峙した。先制攻撃が失敗したパイプライン・クラーケンは、どうやら脅威度の最優先をイムリからコリノへ変更したらしい。今度は二〇本の巨大な触腕をぐるりと周囲に展開して包囲陣形の構えを取った。


 妙に戦闘向きだ──。ブルーバードの操縦席でコリノは眉をひそめた。明らかに単なる建設用自律機械の人工知能が有するアルゴリズムではない。厄介だ。おまけに配下の部隊は先の一撃で総崩れになっていて、戦力には数えられない。


「やれやれ。事態が収束したら、再訓練が必要ね」


 コリノは小さくため息をついた。広域通信をオンにして、手短に指令を飛ばす。


『全隊傾注! あたしがこの巨大自律機械にょろにょろを足止めして時間を稼ぐ。その隙にとっとと戦線を立て直しなさい。──以上! 手出しは御無用よ』


 そして軽く肩を回すと、即座に目の前の戦闘に意識を切り替えた。

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