11:ショウタイ

 移動都市ヘルニコグを直撃した重油雨の中心には、直径三,〇〇〇メートルのドーナツ形状である反重力空間が存在する。


 外からはドーナツのように見えるこれは、実際には中空のチューブ構造だった。そして、恒久構造体平面にかかる重力とは真逆の方向、つまり上向きに偏向した反重力空間の中には、恒久構造体平面の表層から薄く剥ぎ取られた巨大な古代の製油工場区画が、丸ごと一つ捉われていた。


 チューブの分厚い曲壁にあたる部分が、反重力の作用によって環状に丸め込まれた製油工場の建造物そのものだ。分子変換により重金属から油分を生成する転換炉が製油工場の主設備で、その周辺をびっしり埋め尽くすように連なる巨大な球体タンクの群れと、複雑に絡み合った巨大な配管が層を成している。


 この巨大な環状空間の内部は、製油工場が自ら生み出した生成油によって隅々まで満たされている。そして排出孔から噴出する生成油の液体粒子が、この本体雲を中心として、金属光沢を纏った黒い雨雲を形成している。


 以上が、イムリによって解明された重油雨の本当の姿だった。


「異様です。これほど巨大な建造物が空中で原型を保っていられるなんて、普通考えられません。しかも工場の生産能力も健在とは……」


 アジィが重油雨の立体モデルを食い入るように見つめながら呟いた。その答えを持っていたのは、スイシュンだった。


「立体モデルの配管の様子を見てくれ。わかりやすい修復の痕跡があるでしょう。俺たちにとっては見慣れたモンです。この製油工場遺構には、おそらくまだ生きた”免疫”が残ってるんだ」


 スイシュンが言う免疫とは、古代文明遺構の自己修復・防衛機能のことだ。遠い過去の指令に呪縛された建設用自律機械が無際限に建造物の原状復帰を行う様子から、この通称を得た。ちなみに移動都市ヘルニコグも超八面建造体にとっては異物なので、昼夜絶え間なく自律機械による排除行動を受けている。都市深部の最前線でこれを阻止するのは遺構開拓局の仕事だった。


「製油工場が空中分解しないのは、崩壊した部分をそのたび修復して形状と機能を維持しているからか。生産能力が健在なのも納得だな」


 総司令官席に陣取るトーリッジが、腕を組んだまま深く頷いた。


「しかし自己修復にせよ資源生産にせよ、どこからそんなエネルギーを調達して······、──ああっ!」


 この疑問には、それを呈した声の主自身が答えを出した。


「こいつ! 自分自身が造った生成油をエネルギー源にしているのか?!」


 問題は、本体雲の内部に満ちたこの大量の生成油だった。その総量は先のブラックロータス作戦で回収した油量の十倍以上にも匹敵する。結論、この生成油によって製油工場が維持されている限り、重油雨が自然に解消する可能性は考えられない。


 重油雨を止めるためには、製油工場を機能停止しなければならない。しかしそのためにはまず、本体雲内部の大量の生成油を排除しなければならない。


「諸々こんがらがっていますね。一体どこから手を付けてよいのやら……」


 アジィが頭を抱えた。皆が考え込んでしまった。だが、移動都市ヘルニコグのリーダーは冷静だった。


「だったら、生成油を雲の内側で削り落とそう」


 トーリッジが腕組みを解いて座席から立ち上がった。その場の全員の注目を集めたトーリッジは、都市の最高位意思決定者として司令を下知した。


「《大型遺構発破解体弾体》を使用する。電磁投射する弾体であれば、周囲に延焼することなく、本体雲内部をピンポイントで狙い撃ちできるはずだ」


「発破解体弾体ですか? ……しかし、あれは倒壊した建造物を撤去するための弾体ですよ?」


 その意図を図りかねたアジィが首を傾げたが、トーリッジは自信をもって頷いた。


「それでいい。ただし弾体からは燃料タンクを取り外し、液体酸素を二倍搭載するんだ。──どうだ、ジッケロイ?」


「なるほど、そういうことか!」


 早々にトーリッジの意図を理解したジッケロイが、膝を打って応じた。


「合点承知だ。──コリノ、ガタヨロイ部隊を動員して《大型弾体投射装置》を持たせてくれ。大型遺構発破解体弾体は、あの大口径砲でないと撃ち出せん」


「承知。──ちなみに、ガタヨロイの生成油浸食対策はどうすればいいの?」


「あっそれならお任せください!」


 コリノの疑問に応えたのはアジィだった。


「実はこんなこともあろうかと、先のブラックロータス作戦で使った新素材を転用したガタヨロイ専用の耐油レインコートを準備していたんです。非常に重量のある素材なので多少可動を制限しますが、ガタヨロイの馬力であれば屋外作業に支障はありません!」


「ふん、気が利くじゃない。……だけど、この悪視界じゃまともに狙いもつけられないわよ?」


「その点は、我らが環境局軌象予報室でサポートしよう。彼らが作戦最前線で重油雨本体雲のリアルタイム観測を行い、目標座標を転送する。よろしく諸君!」


『合点承知だニャ!』


「……エッ最前線?!」


 イュハンからの指名に、イムリは黙って親指を立てて、ニャプラーは元気よく、ゲンレは虚を突かれて返事をした。


 ここにおいてトーリッジは、改めて移動都市総司令官として宣言を行った。


「──現時点より、移動都市総司令官権限によってこの重油雨を《第一級災害異常軌象》に指定する。都市の総力でこれを乗り越えよう! だが重油雨対策作戦ではちょっと能がないな……」


 そして最後に少し考えてから、再度口を開いた。


「これより《ヨルムンガンド作戦》を開始する!」

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