09:ハンセイ

「この度はっ! 大変っ! 申し訳ございませんでしたあっ!」


 トーリッジと五長官たちを前に、ゲンレが土下座した。その脇にはボディスーツが脱ぎ畳んであり、本格の土下座であった。改めて招集された緊急長官会議の冒頭の出来事だった。


「重油雨がこんなに危険なものとは、本当に完全に想定外でございましたっ! ……ほら、イムリくんも一緒に謝ろう?! 皆様にごめんなさいしよ?!」


『なんでイムリが謝るんだニャ。悪いのは勝手に突っ走ったゲンレだニャ』


 ゲンレは絶滅した古代のコメツキバッタのようにぺこぺこしながら、隣に立つイムリの裾を引っ張った。それを見てニャプラーが冷たい音声を発した。今回は非常事態ということで、特別にニャプラーにも会議への参加が認められたのだ。


「そんなこと言わないでよニャプラーくん……軌象予報室は一蓮托生連帯責任運命共同体じゃないかあ!」


『アホなこと言うなニャ、にゃーたちを巻き込まないでほしいニャ。そもそも観測がまだ不十分だ、ってイムリは最初から忠告してたじゃないかニャ』


「うう、ごめんなさいぃ。功を焦りました……」


「やめなさい、身内でみっともない。それよりも建設的な議論が先だよ。──問題はなぜ今回予報が外れてしまったのか、じゃないか」


 文字通りおいおい泣いている部下の茶番に終止符を打つべく、ここでイュハンが口を挟んだ。


「状況を整理しよう。そもそも都市は重油雨とすれ違うルートで降雨エリアを通過するはずだったね。それなのにどうして直撃コースに乗ってしまったんだ?」


「わたしたちから説明する。……観測データを今一度精査し、二つの要因にたどり着いた」


 話題が自分の領分に移ったので、イムリは進み出て会議場の床面立体スクリーンを起動した。イムリがニャプラーへ目線で促すと、相棒はその意図を察して、説明を代行した。


『一つ目の要因は、先日の階層崩落による下降気流が、想定よりも大規模だったことだニャ。強い低気圧で重油雨の雨雲が都市側へ引き寄せられて、都市の移動ルートに直撃しちゃったんだニャ。結果、この雨雲が超八面建造体の自転に伴う乱気流渦に捉われ、都市の上空に滞留し続けているようだニャ』


「なるほど、それで雨がいつまでも止まないのだな。……しかしニャプラー、キミ達の観測能力であればその程度の誤差は予測演算できたんじゃないのかい?」


『ニャー……、それを言われちゃうと辛いところなんだニャ』


「なぜなら、それがもう一つの要因に関係してるから」


 イムリは手元の仮想立体コンソールを展開し、数日前の天候観測データをスクリーン上に呼び出した。全員の目線がそこに集中する。そこには金属光沢を纏った雲のシルエットと、《解析不可》の無機質な表示が映っていた。


「結論から言うと、ニャプラーの観測が重油雨によって狂わされていた。だからわたしたちは不完全な情報で予測を立てるしかなかった。そのせいで予報が外れちゃった……」


「なんだって? ──詳しく説明してくれたまえ」


『実は重油雨の内部がにゃーの機能で観測できなかったんだニャ。最初は観測距離限界のせいだと思ったニャ。遠くのものを観測するときは多少精度が落ちるからニャ……だけど実はそうじゃなかったニャ。おそらくこの重油雨は自然に発生した異常軌象じゃないニャ。そう仮定すると、観測結果が不明だった理由が絞り込めたんだニャ』


 イムリはスクリーンに最後の資料を投影し、結論を述べた。


「《重力線拡散望遠観測装置 CATPLERニャプラー》の観測を狂わせるのは、装置の主要メカニズムである重力線に対する干渉、つまり”超強い重力”なんだ。これが二つ目の要因、──すなわちこの異常軌象には、単なる局地的な重力変位を超えた大規模な重力異常が作用している可能性が大きい」


「大規模な重力異常……、つまり《反重力災害》か。それは相当厄介だぞ」


 ジッケロイが苦々しく唸った。ジッケロイの脳裏には、およそ一〇〇年前にヘルニコグの立体区画を丸ごと三つ壊滅させた反重力災害の記憶が蘇っていた。荒廃したこの世界には数多の異常軌象が存在するが、その中でも空間の向きを一八〇度捻じ曲げてしまうほど強力な重力異常に関係する災害の脅威を、長老たるジッケロイは重々承知していた。


 会議場内の空気がにわかに重苦しさを孕んだ。けれどもすぐにその緊張を切り裂くように、トーリッジの精悍な言葉が飛んだ。


「待ってくれ、いずれもまだ仮説にすぎない情報だ。それよりもまずは冷静にこの重油雨の実態を把握しようじゃないか。……ジッケロイ、重油雨による都市への被害状況はどうなんだ?」


「ううむ。一言で言うと、《最悪》だ」


 ジッケロイは、副官アジィへ資料を投影するように命じた。床面立体スクリーンに映し出された都市機能の立体図は、外側が警告アラートの赤色で塗り潰されていた。


「高純度の生成油が染み込んで、都市の隔壁が外延部から徐々に浸食されている。まずいことに、その周辺の都市機能が次々に停止しとるのだ。……イュハン、この生成油の成分はなんなんだ?」


 イュハンは肩を竦めた。


「まだ特定できていない。分析レポートを見る限り、この油は極めて奇妙だ。良質な液体燃料の性質と汚染的な腐食液の性質を兼ね備えている。おまけに絶縁性も高いときたもんだよ。これはもはや未知の新素材だね」


「ははあ、それで合点がいったぞ」


 ジッケロイが唸って猛然と息を吐き出した。


「生成油の液体微粒子が基盤に侵入して回路を破壊したとみるべきだな。このまま状況を放置すれば、都市機能の電子系統に致命的な被害が出るのは時間の問題だ。……だが生成油の詳細が未判明である以上、対策の方向性が見つからん」


「なるほどな。──ということは、やはり問題解決の鍵は重油雨の原因であるあの雲そのものが握っているということか」


 ジッケロイの報告をうけて、トーリッジが議論を総括した。


「まさにその通りです、司令官」


 イュハンがその言葉を継ぎ、小さくにやりとしてゲンレに流し目を送った。


「軌象予報室に今一度機会をいただきたいと思います。環境局の威信にかけて、今度こそ重油雨の正体を解明します。──そうだな、ゲンレ室長?」


「ももも、もちろんです! 軌象予報室一同頑張ります!」


 飛び上がったゲンレは直立不動で敬礼した。仕切り直しのチャンスというわけだ。さすが食えない上司だ、とイムリは電脳の隅で思った。


 こうして改めて総司令官トーリッジから環境局軌象予報室へ、重油雨の再観測が命令された。しかしそこには一つの課題があった。前述のとおり、ニャプラーの《重力線拡散望遠システム》による観測は、反重力空間に対しては無力なのだ。


『問題なし、にゃーたちに策ありだニャ!』 


 けれどもイムリたちには、こんな時に備えた”奥の手”があった。


『どうやら《軌象予報士七つ道具》のひとつを使うときが来たみたいだニャ……』


「こら、こんな時にふざけないの。──えっと、《デプリビジョン弾体》を使ってみようと思う。イレギュラーだけど、今回みたいな状況だと有効な天候観測なんだ。……そのために、また治安維持局の力を貸してほしい」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る