07:セッショク
『移動都市の皆さん、こんにちは。現在ヘルニコグは《重油雨》の中を通過中です。都市総司令官権限により、今後二〇時間は放電引火の危険がある機器とシステムの使用が禁止されます。異変を感知した場合、速やかに環境局まで通報してください。──移動都市の皆さん、こんにちは……』
黒色のしとど雨に濡れ始めた移動都市ヘルニコグの中では、自動音声が繰り返し通告を報じていた。都市と外界を繋ぐ三層の与圧隔壁はいずれも堅く封じられ、各通用口の前では治安維持局の警備員たちが有事に備える。超格子建造体の内側で、都市は厳重な
金属光沢を纏った重油雨の雲は、いよいよ超八面建造体に接触した。それは生成油の液体粒子を打ち付けるように降らせながら、超八面建造体の自転に伴って各斜面を順に黒く染め上げていった。数時間のうちに、超八面建造体は上半分の
『定刻だ。これより《ブラックロータス作戦》を開始する。──《重油雨回収機構》、開き方始め!』
専用回線にジッケロイの号令が轟くと、野外で駐機状態のガタヨロイが整然と起動し始めた。都市の正面側斜面には治安維持局によって整地された水平台地が、上下左右等間隔に広がっていた。その上に陣取って六機で一組となったガタヨロイ部隊が、統率の取れた動きで、《重油雨回収機構》合計三基の展開を開始した。
『──第十二台地部隊、重油雨回収機構・《第壱柱》を展開中』
装置の折り畳まれた正三角形の撥油布が、骨組みにあたる駆動アームの動力で外側に広がる。それが完全に開くと、一辺一〇〇メートルほどの巨大な六角形の”傘”が完成した。
『同じく第三〇台地部隊、《第弐柱》展開完了。異常なし』
この回収機構がいわゆる通常の傘と異なるのは、雨を弾くのではなく集めるために、
『──第七二台地部隊、重油雨回収機構・《第参柱》の展開を完了しました。回収機構、三基すべて状況正常です』
建設局謹製の新素材には、金属繊維の複雑な煌きが織り込まれている。これが一斉に展開する様子は、まるで斜面に巨大な《蓮の花》が三輪咲いたようだった。その中心の窪みに土砂降りの黒雨が流れ込み、早速水溜りを形成し始めた。
作業野のちょうど中央には、三基の重油雨回収機構に囲まれる形で、ブラックロータス作戦の指揮所となる櫓が仮設してある。ここに今、ジッケロイおよびアジィを筆頭とする建設局特殊作業班の人員と、イムリたち軌象予報室メンバーの姿があった。
「回収機構の展開コンプリートです。すでに受け傘に相当量の生成油が貯まってきています!」
指揮所の展望窓から目視確認を行うアジィが報告した。副官の報告を聞いて、ジッケロイは大きく号令した。
「よかろう。それでは回収機構各基稼働開始、中央導管バルブを全開で開け!」
ゴウン、と流動音が一帯の空気を揺らした。重油雨回収機構の中央を支える極太の軸柱のそのまた中央には、都市内の貯蔵タンクへ直結する導管が配置されている。その根元の弁が開放され、大型ポンプの吸引力によって大量の油が導管内へ流れ込んだ音だった。
「はっはっ、出だしは上々だな。回収機構の耐荷重は問題ないかね?」
「安定しており問題ありません! さすが治安維持局ですね。連携した支柱操作でバランスを取って、うまく荷重を分散できているようです」
現場で作業を行っているのはコリノ指揮下の治安維持局ガタヨロイ部隊だ。吹き荒ぶ突風の方向に合わせて支柱を伸縮させ、巧みに傘の向きを調整していた。
指揮所の高見で四方に目を凝らす測量部隊が、風向きを測って地上の彼らへ指示を飛ばす。その奥では、建設局特殊作業班の面々が、真剣な面持ちで流入する油量をモニタリングしている。
「重油雨が都市周辺を通過する制限時間の中で、どれだけの資源を回収できるかが作戦の勘所ですね……」
アジィが眉を潜めて呟いた。
重油雨の規模と大気の動きからイムリが予測した降雨の継続時間は、およそ二〇時間だ。重油雨と超八面建造体はすれ違う針路のため、都市は雨雲の端を掠める形で通過し、二〇時間後に降雨エリアから抜け出す見立てだった。
そのまま流れるように、緊張を孕んだ数時間が過ぎた。
『──貯蔵タンク容量、三〇パーセントを突破。生成油を安定して回収しています』
作戦開始からちょうど五時間が経過したところで、都市内の資源管理施設から速報が入った。これを受けて現場ではどよめきが上がった。オペレーターの一人がうわずった声で報告した。
「予想よりも大分順調です。本当に貯蔵タンク全てを満杯にできるかもしれませんよ。そうなったら、都市の生産設備で使用する燃料資源のおよそ一年分を確保できる計算です。大収穫ですよこれは!」
それから更に数時間後、環境局の研究施設で分析された生成油のサンプルデータがイムリのもとへ届いた。そこにはおよそ工業用資源として申し分ない成分の数値が並んでいた。隣でデータを覗き込むニャプラ-が、ネコ型の顔面ディスプレイに驚きの表情を表示した。
『へぇー、びっくりだニャ。不純物がほとんど混入していない、とびきり極上の生成油だニャ。これなら精製の必要もなく、そのまま資源に転用できそうだニャ』
「そうだね、驚いた。こんなに純度が高いなんて......」
何か、変だ。
立体仮想ディスプレイを見上げるイムリの表情が一瞬険しくなった。電脳の片隅に引っかかるものを感じたからだ。それは軌象予報士としての経験が鳴らした警鐘だった。
「いや、違う──、」
しばし黙考したイムリは、大きく目を見開いて呟いた。
「純度が高すぎるんだ」
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