06:ジュンビ
長官会議を終えたイムリが軌象予報室の小部屋に直帰すると、部屋の電源に繋がったニャプラーが出迎えた。
『おかえりイムリ、会議はどうだったニャ?』
「うーん……。ゲンレに一杯食わされた」
イムリは無骨な宇宙服に似たボディスーツの留め具を乱暴にパージして脱ぎ捨てた。ボディスーツを脱ぐと、イムリの身体はさらに一回り小柄に見える。身軽な姿になったイムリは、部屋の安楽椅子に収まって、重油雨回収作戦改め《ブラックロータス作戦》の顛末についてニャプラーに話して聞かせた。
『なるほど、道理であの時の企み顔だったわけだニャ。馬鹿馬鹿しいけどゲンレにしてはよくできたハッタリなんじゃないかニャ? うまくいったらめっけもんだニャ』
「ニャプラーは楽観的だね」
『ところでイムリ。重油雨の中心にあった雲の解析だけど、やっぱりダメだったニャ……。距離が遠すぎたからだと思うニャ』
「そっか、ありがとう」
異常軌象は人智を超えた予測不能の天候だ。果たしてそれを利用しようとする試みがうまくいくのだろうか? 電脳の隅でぼんやり考えながらイムリは微睡に落ちていった。
──数日後。
移動都市第〇弐立体区画では、建設局直轄の開発工場が急ピッチで新しい素材の生産を進めていた。合成樹脂と金属の繊維を交互に織り込んだ大きな正三角形の生地に撥油コーティング加工を施した極薄の布材だ。これを無数に繋げると、更に巨大な六角形の”膜”が完成するという寸法である。
「わっはっはっ、なかなかいい出来じゃねえか。どうだアジィ、ついでにこの素材を使って新しい耐油強化防護服を誂えるってのは?」
量産直前の試作品を指で摘まんで透かしながら、建設局長官ジッケロイが豪快に尋ねた。地声にも関わらず、周囲の機械が奏でる騒音の合唱に負けない大音量だ。
「厚さ一ミリで、一平方メートルあたりの重量が、二〇キログラムぅ?! 無理ですよぅ、こんな重い素材でスーツを作ったらジッケロイ様以外は潰れてしまいますぅ!」
応じるのは、隣で同じ試作品を抱えて、肩で息をする建設局副長官 《アジィ》だ。アジィは浅黒い肌色とロングヘア、丸い目が特徴の若い女性だ。アジィも背が低いわけではないのだが、ジッケロイの隣に並ぶと親子のようなサイズ差になる。
「ぬぅ、そうかい。軟弱だなあ、もっと栄養を摂れ栄養を」
ジッケロイが自分の布材をアジィに投げて預けると、重量に耐え兼ねた副官はぐええと情けない声を上げて地面にひっくり返った。
移動都市から少し離れた超八面建造体斜面の一角には、広大な計画予定地が設置された。傾斜角度約四五度の切り立った壁面に、上下左右一〇〇メートル間隔で、均等に拓けた水平台地を整地する作業が進んでいる。現場で陣頭指揮を執るのは、不機嫌顔の治安維持局長官コリノだ。
「……なんで
「仕方ありませんよ、長官閣下」
憮然とするコリノを、彼女の右腕である副長官が窘めた。後ろ手を組んで直立する治安維持局副長官 《ヤンシ》は、眼鏡をかけたいかにも堅物という風体の男だ。
「なにせ現在一番多くの《
「ふん、そもそもあたしが気に食わないのは狸女の茶番に付き合わされてるこの状況そのものよ。……あっそこ気をつけなさい! 突風で機体を持ってかれるわよ!」
コリノが忙しく指示を飛ばす先では、巨大な人型の機械が動いていた。
ガタヨロイは、機能停止した建設用自律機械を解体して、そのパーツを人型に再構成した重機だ。全高十五メートルの機体は、全身が自律機械の部品に由来するくすんだ黒色の素材でできている。まるで巨大な骨を組み合わせて人型に形作ったかのように、細長く角張った無骨な造形だ。頭部のセンサーユニットには二対のアイライトが光り、通信用アンテナが角のように生えている。
治安維持局のガタヨロイは次々に巨大なマニュピレーターで瓦礫を押しのけ、水平となった地面を両脚で踏み締めて整地していく。そして作業が終わると、整えられた台地の奥に、駐機形態となって等間隔で並んだ。統率の取れた部下たちの動きを監督しながら、コリノは満足して頷いた。
「まさしく細工は流々、というわけですね。とはいえ小官はまだこの作戦の実効性を確信できていないのですが」
「ふん、同感。──ま、たとえ茶番でも一度やると決めたらやるだけのことよ」
そのままコリノとヤンシは束の間、重金属の塵が薄く立ち込める軌道真東方角の空を見やった。目視ではまだ重油雨の気配すら見えていなかったが、大気には微かな生成油の刺激臭が混じり始めていた。
──それから更に数日後。
都市前方の上空に巨大な黒い雲塊が現れた。
『来たニャ。にゃーたちの予測よりも少し早かったみたいだニャ』
「うん、そうだね」
超格子建造体斜面の観測台地から前方を偵察しながら、イムリとニャプラーは短く言葉を交わした。数日前から続く強風によって、イムリの液体金属の髪が忙しく揺らめいた。
はじめは薄墨色に染まる空の小さな点のようだった重油雨は、みるみるうちに鮮明な輪郭を得て、軌道真東の空間へ拡大した。その雲の表面には、金属光沢の模様が斑に浮かび上がっている。生成油の微粒子が轟々と降り注ぎ、一帯の恒久構造体平面が黒色に染色された。
こうして軌道歴七〇二年三〇四日、軌象予報士イムリの予報に先んじること一日、移動都市ヘルニコグは重油雨の豪雨の幕中へ突入した。
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