05:メイアン


「えぇー、おほん......失礼。──皆様、まずはこちらをご覧ください」


 空中に浮かび上がったのは、ミニチュア化された超八面建造体を中心とした精緻な立体ジオラマモデルだった。移動都市周辺の上空の大気状況や気流の動き、重金属雲の配置がそれぞれの詳細まで細密に記されている。イムリの観測データを元に、ゲンレが夜なべして拵えた力作の資料だった。


「これは現在の都市の周囲の状況です。ここから、続けて明日以降の天候シュミレーションをご覧ください」


 ジオラマの脇に表示された時間表示タイムログが切り替わり、立体映像が早回しになった。すると、画面の端から現れた黒い雨雲が一気に大きくなり、ミニチュアの正八面体に接触した。


 表面に奇妙な金属光沢を纏った黒雲、──重油雨だ。


「この通りおよそ五日後、都市の前方を巨大な《重油雨》が通過します」


「ほう、”油の雨”だって?」


 最初に興味を示したのは建設局長官ジッケロイだった。


 ジッケロイは顎の無精髭を擦りながら目を細め、映像に顔を近づけた。立ち上がるとジッケロイはその場の誰よりも背が高い。白い作業着のようなボディスーツを纏う彼の体格は筋骨隆々としている。白髪に老顔のジッケロイだが、その巨体が纏う覇気は老いを感じさせない。


「《重力抽出による生成油降雨》、大気中の油分が雨として降る異常軌象です。今回の重油雨は大型で、都市周辺を通過しながらおよそ二〇時間降り続く予測です」


 イムリが傍から改めて補足の解説を加えた。腕を組んだトーリッジが軽く顔をしかめた。


「それは、今の都市設備で対応できるレベルの気象現象なのかい?」


 ジッケロイが建設局の代表として知見を述べる。


「第三層までの物理的な隔壁は、油性物質あぶらを検知できん。だが大将、要は突発的な浸食液雨の場合と同じで、こっちから雨籠りしちまえばいい。二〇時間程度なら、マニュアルで全隔壁を封鎖し外出を禁止すれば事足りる。雨が止んだ後で界面活性剤を噴霧すれば、影響も残らんだろうて」


「なるほど。……であれば特に問題はなさそうだな」


 他の長官たちは、すでにこの話題に興味を失いかけているようだった。特にコリノは露骨に退屈した表情で鼻白んだ。


「わざわざ長官共あたしたちを集めた割に、全然大した影響ないじゃない。まさかこんな報告するためだけに呼んだわけじゃないでしょうね?」


 コリノが威圧的な視線でじろりとゲンレを睨めつける。


「もちろんです。──この案件に関して、一つご提案があります!」 


 その迫力に怖けず、ここでゲンレが急な一石を投じた。場の注目を再び集めたゲンレは、空中に新たなホログラム資料を投下した。


「せっかく”雨のように”資源が降るのです。これを無駄にすべきではありません!」


 その資料には、目立つ警戒色の文字で《重油雨回収作戦》と名打たれていた。もちろん表題の脇に、ちゃっかり考案者として自分の名前も表示してあった。


「重油雨の一時間当たりの降水量は五〇ミリリットル、ここから推定される総油量は一,〇〇〇,〇〇〇バレル相当と考えられます。都市の保護の問題はさておき、これだけの量の燃料資源を得る好機はめったにありません。──この重油雨から、油を回収する計画を提案します!」


 突拍子のない提案に、コリノがはぁ?! と素っ頓狂な声を上げた。寝耳に水の話に慌てたのは、イムリも同じだった。


「待って、ゲンレ。まだ観測が不十分なんだ。雲の内部構造が解析できていなから、どんな危険性があるかもわからな……んむぐっ?!」


「しーッ。せっかく大規模な資源採取計画を提案するチャンスなんだから、細かいこと言わないの!」


 抗弁を試みるイムリの口をゲンレが物理的に封じる。


「──燃料が手に入るのは、俺らとしては随分ありがたい話だなあ」


 ここで遺構開拓局副長官スイシュンが控えめに挙手した。


「ご存知の通り、遺構開拓が予定より遅れている。俺らの《長官》が、張り切って燃料を馬鹿ドカ食いするせいで、慢性的な資源不足なんだよ」


 横に大きい体躯のスイシュンは、細い目が特徴の、のんびりした印象の青年だ。遺構開拓現場の過酷な環境に適応するため、彼の全身はくまなく機械化されている。太っているように見えるのは、人工臓器に蓄えた予備栄養源のためだ。そんなスイシュンが身にまとう強化外骨格は長年の開拓活動による煤塵で黒装束に染まっている。ゲンレにとっては思わぬところからの援護射撃だった。


「なるほど。たしかにこれまで異常軌象から資源を採取するという発想はなかったな。──ジッケロイ、この計画は実行可能だと思うか?」


「ふうむ、前代未聞だわい。皆目見当も付かん」


「なら却下よ却下。ド却下よ! あたしたちに油の雨の下、バケツ持って走り回れとでもいうつもり?!」


 トーリッジの問いかけにジッケロイは頭を捻り、コリノは椅子の肘掛けをがんがん叩いて反対を唱えている。


「──イムリ。何か妙案はないかい?」


 イュハンは終始面白そうに会議を傍観していたが、ここで出し抜けにイムリへ話を投げた。イムリはさっきからゲンレに口を封じられて捕まったままだった。けれどもその拘束を解かれ、気が進まないながらも発言した。


「......重油雨といっても液体の雨だから。たとえば超大きな布とかを広げれば、水を集める要領で生成油も汲み取ることができるんじゃないかと」


 それだ! とゲンレが叫んだ。


 ここから建設局を中心として、設備技術に関するいくつかの質疑と応答が交錯した。その後、会議はトーリッジが決断を下す段取りへと進んだ。都市の行政可決権は全て最高総司令官トーリッジが握っている。五長官は最終的にそれを信任するか否かを表明するのだ。


「──よいだろう。建設局、環境局、治安維持局が主幹となり、重油雨からの資源回収を成功させてくれたまえ。だが重油雨回収作戦ではちょっと能がないな……」


 トーリッジは一瞬瞑目し、何かに頷いてから口を開いた。


「以降、これを《ブラックロータス作戦》としよう!」


 各長官がそれぞれの目の前に浮かび上がった仮想ボタンを叩くと、彼らの背後のスクリーンに合計五つの《承認》の文字が表示された。


 情報局長官ロータンシは、結局会議中一度も言葉を発することがなかった。


 さらに言えば、シリンダー状のフルフェイスマスクのためにその表情すら窺い知ることができなかったが、最後に一言だけ『興味深イ』と呟いて承認ボタンを静かに押した。




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