重力抽出による生成油降雨

01:テンコウカンソク

『疑似神経回路、接続完了。同調確認するニャ。──伝達誤差コンマ四五、問題なし。主機の稼働率は八九パーセント、観測装置の展開に障害なし。《イムリ》、にゃーは準備完了ニャ!』




「了解。ありがとう、《ニャプラー》」




 瞼を開くと大量の情報が電脳に流れ込み、無数の警告表示が視界を赤く染めた。脳内を焼くその圧迫感を、イムリは小さく首を振って追い払った。


 鮮明さを増した視界には、文字列や記号、座標の数値が重なり合うように表示されている。人工眼球の仮想網膜スクリーンに、補助情報を直接投影しているのだ。


 今日は”風”が強い。

 およそ五〇時間前、二〇〇〇キロメートル先の工業区域跡地が基盤ごと崩落し、一階層下の空間基底桁まで届く竪穴が形成された。そこへ希ガスを主成分とした比重の重い大気が流れ込み、大規模な下降気流が生じた影響だ。


 イムリは数日前の自分の”予報”が正しかったことを確認し、小さく頷いた。


『イムリ。例の如く充電器バッテリー残量がカツカツだから、あんまりゆっくり観測してる余裕がないニャ。建設局の連中、また電力をケチって渡してきたニャ』


 疑似神経接続で感覚を共有した相棒の音声が、直接イムリの電脳内に響く。


「……贅沢は言えないよニャプラー。それでも都市全体の丸一日分のエネルギーを貰ってるんだから」


『はいはい、下っ端仕事はつらいニャ。お上の仰せの通りとっとと始めるニャ』


 イムリは皮肉屋の相棒へ頷き返し、手早く立体仮想コンソールを展開した。


 人類の拠点、《移動都市ヘルニコグ》が位置する超八面建造体の最上部付近、都市の最外郭の隔壁を出て、更にしばらくガラクタだらけの遺構の斜面を下った所にある少し開けた台地に、一人の少女と一台の自律機械のシルエットがある。それがイムリとニャプラーだ。


 イムリは小柄な黒髪の少女だ。

 正確には少女の外見だ、という表現が正しい。イムリは皮膚、筋肉や骨格、臓器に至るまで全身を完全に人工の生体部品に置き換えている、いわゆるスタンダードな機械化サイバネ人類だった。義体化技術が進んだこの世界では、イムリのように生体機械で身体を改造し強化した人間が大多数派なのである。


 イムリの艶やかな黒髪のボブカットは、毛髪繊維キューティクルではなく電脳を保護する冷却材と耐衝撃材を兼ねたゲル状の流体金属だ。光を薄っすら紅色に透過するそれは、イムリの動きに合わせてプルプル細かに形を変える。黒く澄んだ機械式の人工眼球の瞳には、赤色の十字照準レティクルインプラントが埋め込まれていて、彼女の外見的特徴の一つになっていた。


 イムリは、太古の昔、宇宙開発黎明期の宇宙服に似た無骨な強化防護服ボディスーツに身を包んでいる。小柄な体形に対してサイズが大きすぎるため、あちこちをバンドで留めて無理やり装着していた。


 イムリの首元には電脳へ直接繋がるコネクタがある。そこから延びるケーブルの先に、彼女の相棒の自律機械ドローンCATPLERニャプラー》がいた。


 ニャプラーは高位自己学習型人工知能を搭載した貨物運搬用自律機械ドローンだ。その外見は、超古代文明の某飲食店〇ストに導入されていたネコ型配膳ロボットに似ている。ドラム缶のような寸胴ボディと、ネコの顔を想起させる液晶表情パネルが特徴だ。


 ニャプラーは全方位可動輪オムニホイールをゴトゴト動かして、自分の立ち位置を調整している最中だった。この足回りのお陰でニャプラーはどんな悪路も走破できる。さらに本来配膳物を格納するスペースは、頑丈な貨物コンテナに置き換えられている。先祖と比べて、その機能は大幅にアップデートしていると言えよう。


 イムリとニャプラ-。

 この一人と一台は、移動都市このルニコグまちでは少々名の知れたコンビだった。


「──つなぐよ、ニャプラ-」


 イムリは全身のコネクタに複数の端子を接続し、更にニャプラ-と回路を増設した。立体仮想コンソールを操作し、細かくリンクを調整していく。


 続けてイムリは左胸元のハッチを開き、一際太い一本のケーブルを自らに接続した。その先には、高さ五メートル程もある巨大な円筒状のコンテナが置いてあった。コンテナの側面には警戒色で《!高電圧注意! 建設局》と書いてある。


 コンテナの中身は大容量の大型充電器バッテリーだ。そこにはヘルニコグ全体の都市機能を丸一日維持できるだけの電力が圧縮充電されていた。低い駆動音でバッテリーが目覚めると、ケーブルを通じて巨大なエネルギーがイムリの体内に流入し始めた。


『電源接続オーケーだニャ。《重力線拡散望遠観測装置》、展開するニャ!』


 ニャプラ-のドラム型コンテナが箱のように割れた。自律機械の下半分が四方に分解して内側からアームを伸ばし、補助脚として本体を地面に固定する。同じく四分割した上面の外殻が折り畳まれて、コンテナに格納している内蔵機関──すなわちニャプラーの本体を露出させた。


 伸縮機構を持つその装置が展開すると、本体よりも長い強化素材製の円筒が現れた。そこだけ取り出せば砲身のようにも見える。円筒の側面には、白い塗料で《重力線拡散望遠観測装置》と刻記してある。これが装置の正式名称だ。


 ネコの顔面を模したニャプラーの液晶パネルが《完了》と表示すると、そこには四本脚に支えられて斜め上を向いた、大型天体望遠鏡のような装置が鎮座していた。


「──《重力線拡散望遠システム》、起動」


 イムリの声で、ブゥン、と振動音とともに装置が起動した。装置の円筒を起点として、一筋の赤い光線と、これと幾重にも取り囲む光輪が発生する。この発光現象を中心に、観測装置の前方の空間が”歪んだ”。


 イムリの視界の隅で、充電残量を示すゲージが急速に減り始めた。大容量バッテリーが過熱し、排熱孔から濛々と白煙が排出されて辺りを包んだ。煙の中で、装置の発光に照らされてイムリの影が大きく伸びる。巨躯のシルエットとなったイムリは装置を肩越しに構え、作業に取り掛かった。


 重力線拡散望遠観測装置、──それは読んで字のごとく、重力線の拡散による重力レンズ効果を応用して、遠距離にある対象物を精密に観測・分析する装置である。装置の核となるのは、極高度な分解能の望遠機構である重力線拡散望遠システムだ。その最大観測距離は、およそ一〇万キロメートルにまで及ぶ。


 イムリの電脳に、座標に紐づいた単位空間のスペクトラム組成情報と警告とノイズが一度に流れ込んだ。例えるならば、大洋で隔てた大陸対岸の海辺に積もる砂粒を、一つ一つ目の前で隅々まで観察しているような、不可思議な感覚だ。


 そんな膨大な情報の洪水を、イムリはニャプラーの支援を受けながら並列処理していく。フル回転するイムリの電脳が過熱し、ゲル状の頭髪が放熱の余波で激しく揺らめいた。


『……ムリ、イムリ! まもなく充電残量が三パーセントだニャ』


 集中しきっていたイムリを、ニャプラーの音声と、甲高い警告音が邪魔をした。警告音は大型バッテリーから響いていて、充電残量がもうほとんどないことを警告していた。気づけばイムリが観測を始めてからすでに三〇分近くが経過していた。


「今日はここまでかな」


 四方の空を隈なく”視”終わったイムリは一息ついて伸びをした。


 装置が停止し、周囲を包む白い煙が徐々に晴れていくと、そこには全身からケーブルを生やした小柄な少女と、観測装置を折り畳んで自身の中に格納している最中の自律機械の姿が現れた。


『観測データは目標分を取得したニャ。進捗問題なしだニャ』


 ニャプラーが報告し、イムリは頷いた。


「戻ろうニャプラ-、室長ゲンレがお待ちかねだ」


 帰路の途中、イムリが振り返ると、遥か二〇〇〇キロメートル先で生じた工業区域の崩落跡地には、早くも大型の建設用自律機械たちが群がっていた。この様子だと、穴が塞がるまでにそう長くはかからないだろう。


「──強風は、五日後には止むでしょう」


 小さく呟いて、イムリは踵を返した。そして一人と一台は超格子建造体の斜面をもと来た道で辿り、移動都市ヘルニコグへ帰還していった。




 説明しよう! この物語の主人公イムリは、移動都市ヘルニコグで唯一の《軌象予報士テレキャスター》だ。その役割とは、都市の進路上で待ち受けるこの世界の異常気象・天候・災害を観測し、予報することである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る