第4箱 煙草百合(なお自分で投書した模様)


「退屈そうな顔をしてる」


 開口一番、言葉の通りにたたずんでいる彼女を見て、私はそう声をかけた。


 昼間の屋上に、すべてがどうでもいいというように、投げやりに過ごす彼女を視界に入れる。昼間の屋上は暑いだけでしかない。日射が照る環境の中で風が吹いても、その暑さを紛らわす要因になることはない。それでもこんな場所に彼女はいる。そして、私も一緒にいる。


 馬鹿と煙は高いところを好むと言う。それなら、私は馬鹿で彼女は煙だ。


「まあ、退屈だからね」


 彼女はどうでもいいというように答えた。私が選んだ表現の通りというべきか、口から煙を吐き出して、呆然としながら空を見つめている。私はその視線に重なるように空を見上げて、千切れている雲を眺めた。


 風が強いせいで、空に浮かんでいる雲は点々としか存在しない。斑点のように存在する雲のそれぞれは、いつか人を殺すかもしれない太陽の熱を隠してはくれない。


 更に上を覗けば頭が痛くなるような眩しさ。私はため息をつきながら、空を見上げることをやめてしまった。


 煙草を吸っている彼女の見た目は、別に不良というものでもない。煙草を吸っているのならば、恐らくでもなく不良でしかないのだろうけれど、彼女が煙草を指先に、もしくは口元に運ばなければ品行方正であるように見える。


 人の印象を見た目だけで判断してはいけない。私は日ごろからそれに気を付けてはいるけれど、それでも彼女に対しての第一印象は真面目な人間だった。その印象のきっかけは、艶のある真っ黒い髪色、肩にかからないほどの長さで、藍色の縁をした眼鏡をかけていたから。どれも校則に準拠したような身なりであり、その身なりを見れば、大概の人間が真面目な人間だと信じて疑うことはない。


 そんな真面目な風体をしている彼女が咥えているのは、高校生の身分にしては重すぎるとも言える代物。大人という存在を証明するような、煙を浮かべる嗜好品。


 そんな彼女の姿を見るのは初めてではない。何度か暇に身を任せて屋上に来た時に、いつも彼女は吸っていたから、初めてであるわけがない。


「煙草って美味しいの?」


 私は彼女が吐き出す白い煙を眺めながら、羨ましいとも思えない感情をもって呟いてみる。


 昨日までは聞けなかった事柄。彼女との距離感を測りかねていたからかもしれない。くだらない雑談に時間を費やすことはあっても、それ以上のかかわりはしてこなかった。


 んー、どうだろう、と彼女は返した。それもやはり、どうでもいい、というように。


 私は煙草を吸ったことがない。当たり前だ。私はまだ高校生だし、きっとこれからも吸うことはないだろうと思う。有害さを知っているのならば尚更でしかなく、単純な疑問として彼女の振る舞いに疑問を持った。


「なんか、油性ペンみたいな味がするかな。乾いた感じの」


「……それって美味しくはないよね」


「うん、美味しくないね」


 ふっ、と彼女は口を丸く広げて、口づけをするようにとがらせて息を吐く。一瞬安形に広がる白色が彼女の口元に現れたけれど、一瞬の間もないまま、それは還元されたように風に消えていく。彼女はそれを少し残念そうに見つめた後、手持ちで持っていたらしい携帯灰皿を制服から取り出して、そっと吸殻を入れた。


「真面目だ」


「うん、真面目真面目。屋上で吸殻なんて見つかったら大変だから」


 彼女は冗談をつぶやくように笑った。私もそれに同調した。


「美味しくないなら、なんで煙草を吸ってるの?」


「今日は質問ばっかりだね。そういう日?」


 なんとなく気になったから、と返した。彼女は、ふーん、と息をつく。


「ほら、真面目ぶってると、息をつきたくなるってこと、あるじゃない?」


「……そうなの?」


「そうなの。だから、煙草を吸うんだ。息をつくって、そういうことだと思うから」


 彼女は極めて真面目そうな表情をして、私の疑問に言葉を返す。私はそれに対して、なんて物理的な息のつき方だろう、と思ってしまう。


「それなら他にもやれることはあると思う」


「まあ、あるだろうね」


「ほら、カラオケとか、ゲーセンとか」


「いいねー」


「ラウワンとかで遊ぶのも」


「悪くないねー」


「……真面目に聞いてよ」


 私が呆れたように言葉を吐くと、彼女はくすっとニヤけた表情をしながら「聞いてるよ」と言葉を吐く。


「でもさ。『今、息をつきたい』って時にカラオケとか、ゲームセンターに行くのは難しいでしょ。学校で勉強をしているとき、学校で友達と話しているとき、すべてから逃げ出したいとき、そんなときにそこに行くことってできないじゃん」


 ……確かに、彼女の言うとおりだな、と思ってしまう。


「だから、私は煙草を吸います」


 彼女はきっぱりと宣言した。悪びれる素振りもなく。そう宣言したかと思えば、用は済んだと言わんばかりに、屋上の扉のほうへと足を向けて歩き出そうとする。


「……でも」


 なんか、文句の一つも言ってやりたくなって、言葉を続けようとするけれど、なにも思いつかない。


 何か言葉を吐いても、彼女なりの道理で、論理で返されそうな気がする。それを考えると、言葉を出したところで無駄になるのではないか。そんな億劫が心に過る。


「なんか、言いたげな顔をしてるね」


 彼女は屋上へ向かう足をこちらに向けて、そうして近づいてくる。


 一歩、一歩、ゆっくりと、にじり寄るように。その歩き方はどこか挑発しているようでもあり、彼女の表情を見れば、揶揄うような笑みを浮かべているのがわかる。


「──それじゃあ、吸ってみる?」


 ──私は、その挑発に乗ることにした。



「……本当に吸うの?」


 提案したのは彼女からであるはずなのに、私がそれを行おうとすると、心配そうな顔で私のことを見つめてくる。


「……吸うもん」


「もん、って子どもかよ」


 彼女は呆れたようにクスクスと笑いながら、慣れたように制服のポケットから煙草とライターを取り出す。それを私に促すようにつきつけたので、私は渋々と言った様子でそれを受け取った。


 煙草、煙草。高校生が、というか子どもが吸ってはいけないもの。大人が吸うもの。有害なもの。中毒性が高いやつ。彼女が言うには美味しくないもの。それが、手元にある。


 私は意を決して煙草に火をつけた。ろうそくに火をつけるように、煙草の先端に火を──。


「ああ、違う違う。吸いながらじゃないと煙草に火はつかないの」


 彼女が言う通り、私のやり方では確かに煙草に火はつかなかった。だから、煙草を口にくわえて、そうして吸い込みながら火を──。


「──けほっ、けほっ」


 ほろ苦いと感じる重たい空気が、一気に口に澱んでせき込んでしまう。せきの加減がわからなくなって、いつまでも咽てしまう感覚。いつの間にか口元から離して、指先でもてあましながら、いつまでもせきを重ねる。


「あーもう駄目だなぁ。ちょっと貸して」


 私の反応を待たずに、彼女は私が咥えた指先の煙草を奪い取って、静かにそれを咥える。


「いい? こうやって吸うの」


 煙草を咥えながら発音しているせいで、少しあいまいな言葉だったけれど、きっと彼女はそう言った。そう言葉を発した後、それを合図としたように、ライターがカチッと鳴り響き、着火する。着いた火を咥えている煙草の先端に近づけて、すうっと口に空気をためていく。


 すると、当たり前だけれど、きちんと煙草に火がついていく。火がついた後、彼女はふー、とあからさまに白い息を吐き出す。……私の顔のほうに。


「……けむい」


 私がそう呟くと、彼女はニヘラと口角を緩ませて、弾むように笑みを繰り返す。


 その姿に少しムカついてしまう気持ちはあったけれど、促すように煙草を渡してくる彼女に免じて、許してやる。


 口に彼女が咥えた煙草を、同じように咥える。ひとつの口づけを頭の片隅に意識しながら。


 気だるく、重い、それでいて香りがいい、乾いた油性ペンの味がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱の中にある望み @Hisagi1037

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る