応援コメント

ファンタジーって知っていますか?」への応援コメント

  • 前回返信をくださり、ありがとうございます。
    以前、小説を書く自信を無くしたと申した者で
    す。
    あれからというもの、もう何もかもどうでも良くなってしまいました。
    生きること自体、面倒くさくなりました。
    あなたは返信のとき、小説家になるためには、相当な努力が必要だと言いました。
    でも世の中には、生きる努力すら億劫になるひともいるんです。
    もう何もしたくありません。
    なんも努力もしたくありません。
    出来ることなら死にたいです。
    へんな感じになって申し訳ないですが、これが今の僕の気持ちです。
    僕の勝手な自己満足に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません。
    さよなら。




  • コメント失礼します
    実に明快です。
    私はファンタジーが好きで実際にドイツ、フランス、イタリア、旧ユーゴスラビア、チェコスロバキアなどに実際に行き、プラハのカフカが住んでいたゲットーや錬金術の街、軍事博物館で中世の鎧などを実際に見てきました。
    騎士とは乗馬装備があるのに、馬に乗らない騎士はいませんし。
    第二次大戦の日本軍も馬を飼って伝書鳩で通信していたんですから
    ファンタジーならなおさらですね

  • コメント失礼します。
    この話を読んだ後に、私の作品を読んでみると「ファンタジー小説ではなかった」です。

    ファンタジーだと思っていたのですが、「現実をモチーフした、何処かの国の物語」

    あとは、「模倣」はあくまでも「模倣」であり、「オリジナルを越えられない」
    なのかなと、思いました。
    間違いであれば、ご指摘ください。
    まだまだ、理解できていない部分がたくさんありますので、discordで質問いたします。

    指輪物語、買って読んで見ます。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    北條院 雫玖 さま

    ローファンタジーという定義であれば正解かもしれませんね。ハイファンタジーではないですが。

    芸術は模倣から始まります。それは本質的な概念であり、零から物事を創り出せるひとはひとではありませんから。
    模倣を経て作品に投影してみてください。模倣の質が作品の質になり得ます。けれども模倣するだけではパクりになってしまいますので、好きな作品の核心を投影してみるとか、様々な方法がありますよ。

    ええ、是非一読してみてください。長いですが、得られるものは失った時間よりも大きいと思いますよ。

    ありがとうございました。


  • 編集済

     おはようございます。
     わたしが読み違えているのか、疑問をおぼえてしまったのでコメント失礼いたします。
     ファンタジーって、ほんとうにその二択しか存在しないものでしょうか?
    (サイエンスやヒロイック、ミステリーなど、そのなかの幅をおっしゃっているのではなく、本質的な部分を説いているのだと解釈しての疑問になります。勘違いしていたら申し訳ありません)

     流行るかどうかは別として、受けとめる側のニーズは多様です。
     年齢も性別も。
     読み手の多くは、ゲームや映画、漫画や動画、テレビを見て育った世代です。もちろん、文学的な要素や科学や歴史のおもしろさに魅せられて物語を求める方もおられることでしょう。
     それでも、ファンタジーは、フィクションに過ぎません。ノンフィクションだって、作品にしてしまえば、大なり小なりのごまかし・秘匿・書きあらわしきれなかった事情・不明や思い込み、時には虚構や恣意が内包されるものです。

     ジョークやリスペクト目的で、有名作品のオマージュがまかり通るように(大本や大衆の看過もしくは容認必須なのでしょうが)、既存の概念のオマージュは許容されても良いのではないかと考えてしまいます。
     根柢に、この世界と人間と文明がある上での創作文化です。
       
     このサイトを訪れる方の目的はそれぞれですし、
     みなさん、それっぽいのを書いていたとしても、ヨーロッパというより、自身が想像した〝夢〟〝空想〟〝アニメーション〟を思い描いているだけなのだと思います。

     掘り下げていなかろうと、ご都合主義に見えようと、それを受けいれるかどうかは受けとめる者次第……というのは理想論で。それだけでは、なにか光るものがあって一時期に脚光を浴びることがあったとしても、先が続かないし、行く行くはその書き手も出版する側も困る――それゆえ、プロを目指している方に対する苦言にして指針として述べているのだと思いますが、文面がかなりきついです。
     勝手ながら、お怒りのようにも、それ以上に現状を憂い悲しんでいるようにも感じてしまいました。その上で挑発しているようにも……(わざわざ表明するのは、無関心ではいられない何かしらの思いがあるからこそなので。でも、大衆に投げるには、表し方が激し過ぎるのではないかと/ヘタレなわたしが勝手にそう感じてしまっているだけなのですが……いろいろとり違えていたら、申し訳ないです)。
     
     ともあれ、話をもどして以下に意見を述べますね。

     ファンタジーの定義について。
     物語の奥行に関してはそれとしても(個人的には、何をどこまでとり入れるかは、作風のうちだと思いますが)、その振り分けについて。
     必ずしも、その二つの枠組みにおさめなければならないものとは思えなかったのです。
     ジャンルや空想科学の定義に掴みどころがないように、人が想像するものには広がりや抽象的な混ざりが生じるもの。
     がちがちに固めてしまったら、その分野の発展・進化の妨げになると思うのです。
     創作活動にかぎられたことでもなく、
     新しいもの・派生するものが生まれにくくなります。

     世の中には受けいれられ易い基準というものがあるのでしょう、けれども。
     ハイでもローでもない、混ざりあった中間があっても(生まれても)良いのではないでしょうか?

     何をふくむのであれ、ファンタジーは、ファンタジーです。
     ハイにもローにおさまらないならそれは、方向性がどちらにも固定されていない〝広義のファンタジー〟。こちらの人間が描く〝空想〟〝幻想〟であることに違いはないと思うのです。
     
     もしかしたら、ハイとかローと銘打ちながら、そうは思えない方たちを見かけてのご指摘だったのかも知れませんが……。
     中間の存在がありえないといわれているのだとしたら、創作の現場における堅苦しさ・可能性の撲滅のように思えて、その現実が悲しくなります。

     極端なことを言えば、〝色彩表現〟や〝天や地〟〝剣や騒乱〟〝国や宗教〟〝奴隷・巫覡〟〝文字・数字〟〝貨幣〟〝車輪〟〝名称〟などの概念だって、こちらからの受け売りです。神や妖精なども民話や伝承・神話などからの拝借です。
     ハイファンタジーの世界に〝馬〟が存在していたっていいと思います。
     〝馬〟と名指そうと似て非なるものとして、こちらの馬と同じに描く必要もないし、その動物にあり得ない形容や習性をもたせるのだって、ありだと思うのです。幻想なのですから。むろん、それの呼称を〝ウマ〟とする必要もないのですが……受けとる側にすれば〝そういった方向性の動物なのだな〟と予測がついて、わかりやすく覚えやすい。そこに意外性を見せつけるのも一興だと思います(そこにいるキャラの反応がどうあろうと、ハイファンタジーなら、読み手にのみ、披露することになると思いますが……)。

     そういったものを極力削りおとした世界も趣があって素敵ですが、それがローファンタジーでは可なのに、ハイファンタジーでは不可だということなのでしょうか?

     人の類が可だったりするのに、どうして他がいけないのか、わかりません。
     すみません。聞きわけのない子供のようなことを喚いています。

     とにかく、なっとくがいかないので、なかなか変えられない思考です(面倒くさい輩で申し訳ありません)。


     あと、失礼ついでに。
     ディスコードでお答えくださるということで、お言葉に甘えておたずねいたします。

     小説で亀甲・左右ブレースなどの特殊なカッコを異種族の言語指定にして用いるのは、ルール違反・反則行為になりますか?

     文字強調に二重ギュメや〝〟を使ってしまっているので、あり得そうなところの〈〉では弱い気がして……。
     『』や〝——〟は回想の他にある方面の言語などで、二重利用したりしちゃっております。❝❞は横書き専用に思えて使っておりません。

     〝絶対やってはいけません〟と言われてしまったら、言語が違うものが複数居合わせた場面などで、困窮してしまうのですが……。
     居合わせなくても、バイリンガルやトリリンガルだったりすると〝いま、どこの言語でしゃべったの?〟という疑問が生じてしまいそうです。それをいちいち描写すると、ときにはいっそう諄くなったり、リズムがくずれたりしてまいそうです(巧みな方は、そのへんも上手く捌いてみせるのでしょうけれども……)。

     亀甲カッコに関しては、実行してしまっておりますので、悩みの種のひとつです。

     ダメだと言われたら、継続して使いながら、そういった行為が不利になるはみ出しであることをどこか目につく場所に明記したいのです(捌きやすい方法なので、たまたま訪れた方が、この手段もいけるんだなと間違えてしまうと申し訳ないので……けっこう、こういった細々とした疑問を抱いている方はいると思います……たぶんですけれども)。

     ご教示のほど、よろしくお願いいたします🙏
    (長々と申し訳ありません。なかなか思考と文章を整理できなくて、やたら時間がかかってしまいました💦 無礼な乱文で失礼いたしました)。



     ——追 記――

     ☆☆ 適切なご回答・ご教示、ありがとうございました ☆☆

     納得いたしました。ジャンルと云われるなかでも、明確に区別されている部分だったのですね(そのへんをちゃんと理解できておりませんでした。はずかしいです💦)
     
     ハイファンタジー分野で用いるなら、それが存在する理由経過を説明し証明できるもの・理論として確立し、大衆を納得させられるものではなくてはいけない。

     既存のほぼ確定されている概念は別として、こちらで生れた固有名称、偉人の名前や車の名前、本の名称や地名などはアウトだということ。

     とくに時の経過で古くなるもの・時代を知らしめるようなものなどは要注意ですね(ハイではNG。ローでは使いよう)。

     ジョーク的に散りばめるのは、ありなのかな? そのあたりまでは把握できておりませんが、とにもかくにも、偶然、一致することがあったとしても、それに対する思考・疑念などをキャラクターに持たせるのはおかしいと(この後の方は、自分でいて、だいじょうぶな方だと思っているのですが……改めて心がけます)。

     カッコの件もご意見をいただき、ありがとうございました。助かりました。
     〝使い方によっては〟だいじょうぶそうなので、ほっとしました。

     うっかりしていると、やりすぎてしまいそうで、どれもこれも利用するのには注意が必要なようです。
     
     お手間をおかけいたしました。
     いろいろはき違えたことをコメントしてしまって、申し訳ありません。
     あくまでもご自身のエッセイとして一線をひくクール意見だったのですね(←このへん自明の理なのに、不心得者です。すみません)。
     こんなものに、貴重なお時間を割いていただき恐縮です💦
     
     チャット類は苦手意識が強いです💦

    作者からの返信

    ぼんびゅくすもりー さま

    質問に答えますね。

    Q.ファンタジーって、ほんとうにその二択しか存在しないものでしょうか?
    (サイエンスやヒロイック、ミステリーなど、そのなかの幅をおっしゃっているのではなく、本質的な部分を説いているのだと解釈しての疑問
    A.ふたつ以外のジャンル分けができているのであれば、既に言語化、亦は概念として確立されているはずです。中間というものは存在し得ません。現代の用語を一度でも遣えば「ローファンタジー」確立された世界で完結すれば「ハイファンタジー」です。これはゆるぎない事実であり、これを否定してしまえば先人たちの結果が無駄になってしまいます。
     では分かり易く言い換えましょうか。
     「現実用語」を遣うことが「ローファンタジー」
     「異世界用語」で完結させることが「ハイファンタジー」
     その中間とはいったいなんでしょう。現実用語を遣えばローファンタジーと定義付けられてしまいますし、用語を遣わなければハイファンタジーになります。

    Q.〝色彩表現〟や〝天や地〟〝剣や騒乱〟〝国や宗教〟〝奴隷・巫覡〟〝文字・数字〟〝貨幣〟〝車輪〟〝名称〟などの概念だって、こちらからの受け売りです。神や妖精なども民話や伝承・神話などからの拝借です。
     ハイファンタジーの世界に〝馬〟が存在していたっていいと思います。
     〝馬〟と名指そうと似て非なるものとして、こちらの馬と同じに描く必要もないし、その動物にあり得ない形容や習性をもたせるのだって、ありだと思うのです。
    A.ぼんびゅくすもりーさんが疑問に思っていることがこの質問で理解しました。
     前提条件が違います。ファンタジーありきの現実用語ではなく、現実用語ありきのファンタジーの混在が編集者としていけない、とされています。
     例に出された「馬」で例えるなら、「馬」に似ている動物は確かに存在するでしょう、けれどもその生物は我々が生きている「世界」とは違った物質(魔力、魔素)を孕む世界の理で誕生した別生物になります。従って「馬」ではなく「我々から見れば馬に似ている生物」となるわけです。仮にハイファンタジーとして、主人公がその生物を初めて知ったとき、「馬のような」という感想は抱かないはずなんですよね。世界が違い、名称が違い、原理が違う異世界の出来事に於いて、命名されたことが「偶然」合致していた、とすることは可能でしょうが、「偶然」の箇所を「ファンタジー世界だから、これくらいの幻想はいいよね」とはならないんです。編集者とは作者の構築したい世界の方向性をいち早く理解し、言語化が不鮮明な箇所にヒントを与えて答えを出してもらう、これが仕事です。
     従って「馬のような別生物」に対して、「偶然」同じ名前だった、と定義付けるのならば、その偶然には「ファンタジー」要素ではなく現実味を帯びた答えを出してもらわないといけません。
     そして私は「現実世界」の「概念的抽出」をいけないと云った覚えはありません。人間という生物の思考回路なんてものは限度が知れていますし、西ローマ帝国時代に宗教があり、邪馬台国時代に宗教があり、世界的な嫌われものの「蛇」は人類の共通認識で「悪」と定義付けられることがあります。
     私が云っているのは「現実世界」での宗教や車輪の名称が混在することがハイファンタジー、ローファンタジーと定義するのであればいけないということであり、概念的な取り出しは強くするべきとは思います。
     簡単に云うと、「現実世界で存在する名称を出すな」と云っているわけですね。異世界には車がないのに、走っている機械を見て「プリウスみたい」とはならないでしょう? という話です。

    Q. 勝手ながら、お怒りのようにも、それ以上に現状を憂い悲しんでいるようにも感じてしまいました。その上で挑発しているようにも……
    A.怒っても憂い悲しんでも挑発してもいません。
     書き方表現をきつくすることで、他の作者さんから怒られることや冷笑されることもあるでしょうが、感じていることを表現しないと、私の気が済みません、それだけでした。なので気分を害された方に対しては前もって注意喚起を作中内でしております。無理やり仲良くする必要はありません、創作とは自由意志の許、行われるべき人間賛歌です。
     
    Q.小説で亀甲・左右ブレースなどの特殊なカッコを異種族の言語指定にして用いるのは、ルール違反・反則行為になりますか?
    A.特に聞いたことはないですね。作風によりけりではないでしょうか。
     ただ無意味にたくさんの括弧を遣って読者が混乱してしまうのであればいけませんね。括弧やブレースを遣わないといけない理由があり、それは他の表現法ではいけないのか、と訊かれた際に、ご自身で訊いてきた人間を納得させるだけの明確なルールがあるのならば、いいのではないでしょうか。それを意志として作品に投影できているのであれば一次選考にはなんら響かないと思いますよ。


  • 編集済

    更新ありがとうございました。
    今回はにーどれす様の本音の部分が面白く、「だって」と書かれていたところが、わぁ、やっぱり同じ人間だぁ、とよく分からない感想を抱いてしまいました。単なるアホですね、これ。
    プロになるって、どの分野でもそういうことですよね。どの分野でもよりよい仕事をするために、そのことをずっと考えながら、仕事をし続けていくもの。それができないのなら、自分自身が自信を持って本当のプロとは言いたくありません。
    ファンタジーについてもありがとうございます。
    富士山級に大きいものをその世界にいる人が分かるように説明しなくちゃ……となるとその説明が必要になってきて……。食べものではチョコレートをどうしても出したくて、その名前を出さずに別の名前にして、どう伝えようか書き込んだことがあります……と書きながら、指輪物語は未読で映画で見た程度です。
    ファンタジーを書くなら「リリス」を読めと書かれていたことがあるので、そちらは読んだことはあるんですが……。
    「指輪物語」ですか……。有名なお話だから文庫でもありますよね。単行本、重たくて……。なかったら、諦めるかも……です。他に何かありますか? 今は時間があるので読めるかも!と。
    因みに、趣味で書こうと思い始めたきっかけがまさしく書かれてありました。私の書いているファンタジーのようなもの(かれこれ20年書き続けているんですけど……何度か頭から描き直したりしながら、ようやく最終章手前で、最後の情報収集をしようとしているところです)、どのジャンルの扉を叩けば良いのかも分からなくて、ネットの分類でさえしばらく悩んだ結果、ネットで気楽に書き始めました。なので、果物や野菜はもう気にせず同じにしました。設定上、大丈夫と自分で納得できるので。
    相変わらず温度の違うそんな奴ですが、毎回エッセイを楽しみにしておりますので、こちらこそ仲良くしていただけると嬉しいです。迷惑だったら言ってくださいね。読むだけにしますから。

    作者からの返信

    深月風花 さま

    きちんと人間ですよ、AIでも架空でもございません。なんとか生きていけている人間です。
    プロというものは過酷で逃げ出したくなり追い詰められてインスピレーションを獲得し、自己投影の許、生み出すひとたちのことです。

    エッセイが好評で嬉しい限りです。ご自身で納得の上選んだものであれば私は応援しますし、納得できているのであれば問題ありません。

    「指輪物語」こそ読んだ方が良いのではないかなと思います。巻数が多く難解ですが、それ故に落とし込むことができれば大変強力な武器になり得ます。第一に有名な作品を読んでみてはいかがでしょうか、有名になる理由が判然としますよ。

    ありがとうございました。