応援コメント

一人称、三人称、とは」への応援コメント


  • 編集済

    拝見させていただきました。 
    お陰で自信がなくなり、自分には小説家になる資格がないとわかりました。
    何も価値もない存在だと分かりました。
    他の方が書いた小説だって読みたくないし、何の努力だってしたくありません。
    だから、もう諦めようと思います。
    僕は、数ヶ月前からカクヨムで小説を書き始め、自分には才能があると何も確信もなくおもっていました。
    しかしいつからか、書くことが苦しくなり、話を途中で終わらせてしまいました。
    そんな自分に、話を書く資格なんてないですよね?
    小説家の才能があると信じていた自分を殴りたいです。
    あなたの言っていることは正しいです。
    だから、これからも自分の信念を貫いてください。
    さよなら。

    作者からの返信

    水利はる さま

    こういうコメントにはなんて返したらいいのか、言葉に詰まりますね。

    真剣に答えましょう。曖昧にしても私の気分が悪くなるだけなので。

    「何も価値もない存在だと分かりました」とある理由がどうにも「努力」したくないように見えて仕方ないですね。
    勉強は何事に於いても必要不可欠なもので、他者の作品を読まずに小説家になった人物を私は知りません。これは自分ひとりの価値観だけで形成された物事がないように、結局は誰かの模倣をベースに様々な作品を造り出します。創造とは模倣に始まり、模倣とは想像です。
    努力がしたくないのなら、どうぞお好きに諦観し絶望を勝手にしてください。
    私はエッセイを書く度に気に入らなければ読まないでくださいとたびたび書いておりますし、絶望を押しつけないでください。

    書くことが苦しいのなんてみんなそうでしょう。悲劇のヒロイン気取は気持いいかもしれませんが、それを「私って可哀想なんだ、聞いて聞いて」とされる側にとっては気分を害することこの上ないです。

    小説にはルールもなければ資格も必要ないでしょう? 私に訊かないでください。私はお母さんじゃありませんし、小説を書いているのならば、それこそ自己投影をして自己顕示欲を発散させてください。
    小説を書く才能なんてみんなありません。自惚れないでください。
    貴方の小説を軽く読みましたが、他のひとの作品を読まずして、勉強していない文体ということは理解できました。

    小説家になりたいのならば、身をすり減らしてでも勉強をする覚悟がないとなれませんよ。どの業界でも当たり前ですが、その考えを持たず挑むのは、プロへの侮辱です。


  • 編集済

    三人称で書かれた商業作品を2冊読みました。有名な作家の名前がつく賞を受賞した作品です。
    他人事のような書きぶりでした。例えて言うならテレビで放映された映像をそのまま文章にした感じでした。感情移入するどころか登場人物の言動にまったく共感できないまま物語が終わりました。
    それでも受賞作品だし、大手の出版社が金になると思ったから編集者も企画を通して出版したのでしょう。
    作者が日頃根に持っていることがそのまま小説に反映されているかのような印象も受けました。
    このエピソードを読み、思い出したのがこれでした。

    作者からの返信

    亜咲加奈 さま

    なんでしょう世の中にはそういった賞がたくさんありますから。
    他人事のような文章は悪いことばかりではないのですが。
    「感情移入」を「させたくない」といった純文学よりな作品なのかなと印象受けました。共感を「させたくない」のではないのでしょうか。読み手が「考えて」「自分なりの答え」を持ってほしいということが作者の目的だったのかなと。
    わからないなりの推論なので聞き流して下さって結構です。

    ありがとうございました。

  • 一人称とは、実は難しい書き方なんですね! とても、勉強になりました。
    また、文中の例文は、おそらく自分のかなぁと思ったりもしまして、書き直してみました。
    よかったら、チェック頂けると嬉しいです。😅

    作者からの返信

    大和タケル さま

    実はというより、やはりと云ったほうが適当かなと。
    大和タケルさんのことではありませんよ、読んだことありませんから。

    チェックは今の処しません。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    コメント失礼いたします。
    現在、一人称で書いた小説の推敲をしていることろです。
    なんか浅いなー。読んでて入り込めないなー。
    と悩んでおりました。
    今回のお話を拝読して、「主人公が知っている情報の開示で物語を進める」、というルールを守るのに精一杯で、主人公の心情をじゅうぶんに表現できていないからだと気付かされました。
    一人称の良さを全く活かせていなかったんですね。
    文章構成が下手であるなど、入り込めない原因は他にもありそうな気はしますが。

    今推敲中の作品は、日本ファンタジーノベル大賞用の勝負作でごさいまして。今の私の力で直せるのか。直し始めて間に合うのか。
    とりあえず、やれるところまでやってみます。
    勉強になりました。ありがとうございましたm(_ _)m

    作者からの返信

    みかみ さま

    一人称は一手見誤ると「日記」のような文体になってしまいがちです。
    あくまで主人公が見ている景色、感じたことを描写することが必要ですが、不必要な描写は違和を与えてしまい感情移入がしにくくなってしまいます。

    頑張って下さい。応援していますね。

    ありがとうございました。

  •  はじめまして。
     とてもためになる読み物をありがとうございます。
     突然なように思われるかも知れませんが、ログインせずに他所から購読しておりました(余所様の端末で休憩時間に。失礼をいたました)。

     一人称や三人称はそれとしても。わたし〝群像劇〟の意味をとり違えていたようです。
     一人称限定で、語り手が入れかわるものをそれと思い込んでおりました。

     主体が入れかわる書き方もありだと思うので、巧みな方は、そのへんをわかりやすく提起するものなのだろうと……(たしかにこちらでは把握するのに苦慮するもの・移り変わった後も〝あれは誰の視点だったのかなぁ〟……と思うものに出会うことが多いです。そんな時は、進むほどに混乱します)。
     
     指摘されてみると、たしかに三人称は〝群像劇〟ですね。
     一人称も好きですが、どちらかというとわたしは神視点愛好家です(まだまだ、さばききれてはおりませんが……)。読む上では、どっちでもよい方向です。
     
     主張優先のぶつぎれのコメントで、申し訳ありません。

     とにかく、今回は特に、目を通す者に、どうわかりやすいもの、好奇を誘うものを提供できるか、そのへんを問われているように思いました。
     おもしろさ、楽しさの尺度、好みはそれぞれです。
     わかりやすさのなかに、遊びやギミックを加えることもする。
     表現の世界は深く、あつかいが難しいです。

    作者からの返信

    ぼんびゅくすもりー さま

    群像劇は憧れるひとも多い視点ですが、技量が必要ですからね。変に手を出さないほうが良いかと思います。

    三人称は群像劇、本質はまったく違います。
    三人称は作者視点ですが「人間」にスポットを当てる視点。
    群像劇は作者視点は同一ですが人間ではなく「場所」や「道具」にスポットを当てる視点です。

    これについてもいずれ解説しようと思いますので、お楽しみにしてください。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    (気づくと恐ろしい長さになってしまっていました。もうしわけありません)

    主題は「物語の根幹」を。
    世界観は「物語の律」を。
    登場人物は「物語の信憑性」を。
    プロットは「物語の整合性」を。
    表現は「物語の華美」を。

    読み手としてはこの言葉がとてもよく分かりました。ただ、書き手としてはうーん、どう書くのか分からない、とにかく書いていくしかないか……と思ってしまいました。そして、この間ネットの書き友だちと頷き合ったことを思い出してしまいました。

    この間書いていたお話で、突然主人公たちがボイコットして動かなくなってしまったことがありました。その時に「あぁ、この子たちがこのお話で生きてきて来なかったなぁ」と思ったということです。過去が薄っぺらすぎて、彼らの基礎ができていなかったことが原因でした。(ここに気づくのにはネット発ではないいわゆる書籍の商業作家さんのお話を読んでやっと気づきました)(そして、これに意識的に気付いていたらいいんですが、無意識に気付いてしまっていて、しばらく後になって『あ、そっか』と気づくところが甘いなぁって自分で思います)

    おっしゃっていることと私が思い出したことはずれているかもしれないんですが、読ませていただき思ったことです。

    人称の話も「確かに……」と思いながら書けない自分を思います。
    今こちらに手直ししながら転載しているとても長いお話があって、なんか主語と動詞がおかしくないか?……と苦笑いすることも多いので。
    ただ、三人称の中に一人称『私』を意識的に出してしまうんですよね……ほぼ癖です。3人称で書き続けていると箇条書きっぽくなってきて嫌になると言いますか……。
    急に変えるのではなくて、ここは主人公の気持ちだよ、と分かるように書くのは書くんですが、ここでの原因は主人公の細やかな心情を彼らに纏わせきれていないんだろうなと、私が三人称で描ききれないことだろうなと感じました。
    これもいろいろな物語を読んで勉強していかなくちゃと思っています。

    あと、一人称の場合、名前や特徴を読者に知らせるためにいつ二人目を出すかのタイミングが難しいです。物語の切り口をどこにすれば、スムーズに情報を伝えられるかなぁといつも悩みます。書きながら、あ、この人の瞳の色は重要なのにもしや全然出してなかった??……と思って慌てます。なので、ファンタジーは三人称でしか描けません……。

    二人称って本当に難しいです。二人称で書いてみようとしても、手紙形式くらいしか思いつきません。あんまり読んだこともないです……。

    いつも感想でも質問でもない吐露を書き込んでしまってすみません。

    あ、ひとつだけ反論といいますか、擁護といいますか、言っていいですか? 気になさらないでくださいね、素人の戯言ですので。

    まれにネットでもいらっしゃいます。ふわっと物語の中に誘われてしまって、あっという間に読まされてしまうような「今すぐ紙の本で読みたいです!」と叫びたくなる方。ここで言えばランキング・レビューなんて全く関係なく自分の世界を書かれているような方が多い気がします。掘り出すのには時間がかかりますし、巡り合うのはほぼ運ですけど……(読むの遅いですし……)。

    「出過ぎた真似」ではないと思いました。にーどれす様はヒントをくださっているだけで、答えは自分で見つけるしかないんですよね。

    色々と呟くように書いてしまうんですが、次回も楽しみにしております!

    作者からの返信

    深月風花 さま

    三人称が箇条書きになってしまうのには凡そふたつのパターンがあります。
    ひとつ、作者が設定をきちんと理解できていない、亦はなんとなくで理解している。
    ひとつ、説明しようとばかりしてしまい、情景描写などに力を入れ過ぎてしまう。
    上記の二点を注意してみれば改善できるかもしれませんね。

    ファンタジーというジャンルは明確に分けられるものですが、これは次回のエッセイで語ってみることにしますね。

    意見をありがとうございます。
    えー、そうですね。自分の世界を書いているひとはランキングに乗りにくい傾向にあると思います。これは推測でありデータも一切ないのですが、全てが似ている作品で、単語や魅せ方が違うだけ、自分が考えた作品というよりは「影響を受けた作品の真似」をしているだけ、に見受けられます。
    ひとによって感性の違いがありますから、どれが面白いのかは読み手によって決まります。

    ヒント以上の解答はあまり好みません。鵜呑みにしてしまうと手痛いミスを引き起こすことにもなりかねません。

    今回もありがとうございました。またみにきてくださいね。

  •  コメント失礼します。
     この話で書かれていたこと全てが、私に当てはまります。
     
     一人称では、冒頭に「私の名前は~」の語り口調。おまけに、続きの話が書けなくなってしまい、未完結のまま。制限が多すぎて、主人公目線で書けなくなりました。

     三人称では、群像劇って面白そうだから書いてみよう。
     失敗して未完結のまま。そもそも、群像劇になっているのかすら分からない。

     私にとっては、どちらの人称でも書くことが非常に難しいです。
     なので今は、三人称を主体として物語を描くこと。
     プロットを組みストーリーを紡いで「1つの作品を最後まで完結させること」が大切なのかな、と思いました。
     私自身でも考えて理解し、面白いと思えるような作品を書いていきたいと思います。
     この度は、「本質的解答」をご用意してくださりありがとうございます。
     第七回も、楽しみにしております。

    作者からの返信

    北條院 雫玖 さま

    制限を設ける意味を用意しているのならば、語り口調は作風として取り入れることができるのですが、無意味なものは単に作品としての品を落としてしまいます。

    群像劇は大変技量の必要な視点です。初心者はまず基礎を抑えましょう。

    基礎を盤石にすることで大仰な建築物は完成します。砂上の楼閣ではなんの意味もなく、むなしい作品なだけです。

    何度も読んで、何度も考えてみてください。

    このたびはありがとうございました。