夜道
三角海域
夜道
夜の街を歩いている。
人気のない午前三時過ぎ。夜を好む人たちも、この時間にはどこかへと消えていく。
夜が終わる一歩手前。朝が来る三歩手前。そんな時間帯。
昼とは全てが違うこの時間に街を歩くのが好きだ。
同じ場所を歩いていても、空気がすんでいる。
大きなトラックが行き来しているけれど、そのガスはすぐに夜に飲み込まれて消えてしまう。この時間帯の空気には清浄作用があるんじゃないだろうか。
大通りから横にそれ、お気に入りの道へと向かう。道の途中でスマホを取り出し、僕はアプリを通して電話をかけた。
「もしもし」
コール一回で電話に出る。いつもそうだった。律儀だなと思う。
「こんばんは」
僕が言う。
「こんばんは」
彼女が返す。
こうして通話をするようになってから数週間。毎日話しているわけではないからたいした会話量ではないけれど、緊張なく話せるようになっていた。
「今日も同じ道?」
ゆっくり歩きながら僕は問う。
「うん。君も?」
「同じ。他の道も開拓したほうがいいのかな」
「そうかも。けど、決まったルートを歩くのが一番落ち着くから」
「確かに。なんでだろ」
「安心するから、とか?」
「何にたいして?」
「大きく変化してるように感じるけど、そんなことないなみたいな。そういう安心」
「おもしろいね。でも、確かにそうかもな」
同じ時間帯の夜道を歩きながら、僕らはこうして会話をする。
きっかけは、ネットでの繋がりだった。
こうして夜歩く行為をきまぐれでSNSにアップしたら、それに反応があった。
釣りかなとか、ダマそうとしてるのかなとか考えはしたけれど、僕と同じようなことをしている人がいるという喜びがそれに勝り、返事をした。
文章でのやり取りを何度かした後、通話しようという流れになった。そこではじめて、相手が女の子だということを知った。
始めは驚いたけれど、お互いそんなに意識することなく、共通の趣味をもつ同士として自然に話すことができた。
僕らは互いのことを語らない。
どこに住んでいるかとかそういうことは話さず、こうしてこの時間帯にだけ通話を繋ぎ、なんてことのない会話をするだけだ。
「何か変化はあった?」
「コンビニがなくなるみたい」
「お気に入りのジュースがあるっていうあの?」
「うん。ちょっとショック……そっちは?」
「特には。団地と小学校くらいしかないところだからね。変化もほとんどないよ」
小さい頃からここの景色は何も変わらない。なんでもいいから変わったところを教えろと言われても、月極駐車場の看板が新しくなったことくらいしか思いつかなかった。
「生活は? 変わりなし?」
今度は彼女がきいてくる。
「うん。変化のない日々」
「かっこつけた言い方」
「そっちも?」
「うん。かわりばえしない毎日」
「無理やりかっこつけようとしたでしょ。なんか片言気味だったよ」
僕らは笑いあう。
別に大きな問題を抱えているわけでもない。辛いことがないわけではないけれど、潰れてしまうようなことはない。
それでも、なんだかもやもやとしたものが大きくなって、嫌になってしまうことがある。
そういう気持ちを抱えているのは、僕や彼女だけではないんだろう。僕らがこうして夜道に発散を求めるように、人それぞれの発散がある。やり方とか、倫理だとかそういう問題はあるのかもしれないけれど、それそのものを否定することはできない。そう思う。
僕らは浅く自分や周りのことを語り合いながら歩いている。
それがとても強い繋がりのように思えた。見知らぬ二人ではあるけれど、見知らぬからこその安心があるのかもしれない。
「そろそろ帰る時間かな」
「うん。解散だね」
歩いてきた道を振り返り、僕は言う。
「ありがとう、楽しかった」
「こっちも。ありがとね」
通話を切り、僕は家へ戻るべく歩き出す。
時間は、朝が来る一歩手前ほど。
空気が淀み始めているのを感じる。
けれど、僕の身体にはたくさんのすんだ夜の空気がため込まれている。
それが薄まらないうちは、僕はこの淀みの中でも生きていけると感じていた。
夜道 三角海域 @sankakukaiiki
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