第4章

第1話 いつか戻る日を願う

 『葦翠神社に氏神様が戻られた』 という噂は、人ならざる者たちの間に瞬く間に広まった。しかし噂はそれが一つではなかった。葦翠が居祈の体で目覚めたために、『居祈様が目を覚ました』と伝え聞いた者もいれば、『葦翠様が居祈様を食った』と言う者もいて、誰が何を言い何を聞いたのかさっぱり分からなくなった。


 聞いた話をそのまま信じてやってきた者や、何が正しいのかを確かめに来た者たちで、境内は一時ごった返した。こんな小さな里の、どこにこんなに隠れていたのかと驚くような数である。澪と葉がその場を収めようとするが、なかなか収まらない。そのうちにあちこちで小競り合いが起き始めた。


「居祈様はいずこに? お元気でいらっしゃるのでしょうか」

「目覚めたのは居祈様ではない。葦翠様だ。お主そんなことも知らずにやってきたのか? だったら帰れ!」

「お主は居祈様を案じてないのか? 命を助けてもらったくせに。この恩知らず!」

「お前たち、場を弁えろ。喧嘩なら外でやれ」

「なんだと!?」


 双子の巫女は、こんなとき珠名様がおられればと思うが、珠名は限界を超える出来事が重なって、今は社務所の自室で寝込んでいる。やっと目覚めた甥が神と入れ替わりを果たし、今は鬼界にいる。その上、巫女姉妹まで人ならざるものだった。そんなことを一度に知れば、珠名のような芯の強い女性が参ってしまうのも無理はない。巫女姉妹も責任の一端を担う者として、これ以上珠名に負担はかけまいと思い、必死に「「みなさま落ち着いてください!」」と声を張った。



「騒がしいな」



 ふいに凛とした声が放たれた。鈴の音がシャンと鳴ったかのように、ただその一言で喧騒は鎮まった。皆が声の主を振り向く。多くの視線の先に、葦翠が立っていた。社務所の柱にわずかに手を触れて立っている。


 薄水色の病着は少し余り、細身の体は儚げに見えた。それでいながら、しなやかなに数歩前に歩むとその分だけ大衆が退いた。柔和な顔立ちにすっと通った鼻筋。目元までかかる黒髪がさらりと風になびき、柳眉の下に涼し気な二重瞼が見え隠れする。その顔と姿は紛れもなく居祈のものであるのに瞳は居祈のそれではなかった。透明感のある薄茶色の瞳は、陽光を受けて輝く清水の川底を思わせ、居祈の螺鈿の瞳とは異なる自然の美を湛えていた。


「葦翠様」


 そう口にしたのは、澪でも葉でもなかった。


「ただいま」


 大衆からどっと歓声が上がり、同時に悲鳴も上がった。どうやら居祈を慕う者の数は少なくないらしい。葦翠はその者たちを安心させるように一言述べた。それには自身の希望も多分に含まれていた。


「この体は居祈から譲り受けた。居祈もいずれ戻る。その日を待っていてほしい」


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