第10話 鬼火

(このエピソードには若干BL要素を含みます)


 爆音と共に蛇の血肉が飛散し、威力が余って地を削った。さすが大物の魔力――と、関心する間もなく、石礫と肉片が弾丸の速さで二人に襲いかかる。居祈の背を受け止めた豺狼が、そのまま居祈を抱きすくめ、半身を返す。次の瞬間、石礫と肉片の両方が豺狼の背中を打ち付けた。


 豺狼――っ!


 咄嗟の呼びかけは掠れてしまった。心配で頭をもたげると、すぐさま大きな手に押し込められた。上目遣いにちらと見えた魔犬の面は、どこまでも黒く、これまでと変わらない形相。本当の顔を明かさず、呻き声一つもらさず、豺狼は居祈を庇った。かつて一族を守れなかったその腕で、今度こそ大切なものを守ろうとするかのように。


「もう大丈夫だよ、豺狼。ありがとう」


 解放された居祈が、豺狼を見上げて小さく礼を言う。豺狼は何も言わなかった。漆黒の面を付けたまま無言を通す。なんだか豺狼が急に遠い存在に感じた。――畏怖。そのとき抱いた感情に名前を付けるとしたら、相応しいのは畏怖だ。まるで口を利くのも憚られる存在になってしまったかのようで、居祈は一歩退いた。


 豺狼はおもむろに大蛇の方を振り返り、敵の最後を確かめる。鬼の目を作り変えた爆弾の威力は改めて見ても凄まじかった。地面はえぐれ、崖の巣穴も木っ端微塵だ。蛇はあたりに毒々しい黒紫色の血をまき散らし、あちらこちらに落ちる肉片は、ぶつ切り状のものから細切れ状のものまで様々だった。


 豺狼が左手に灯した青い鬼火を、蛇の亡骸に向けて投げやりに放る。まるで、要らなくなった写真に火をつけるかのような、虚無な仕草だと居祈は思った。


 めらめらと青い炎が燃え広がり、蛇の皮をあぶり、肉を焦がす。豺狼にとってはこれも一つの縁切りの儀式だった。復讐の残滓が蛇の亡骸と共に焼き払われていく。


 暗闇に立ち上る煙を仰ぎ見ながら、豺狼は血管の中を猛々しく流行る鬼の気が、徐々に落ち着いていくのを待った。鬼の本性は醜い。顔も、声も。そんなものを晒したくはなかった。特にこの神様の前では。


 蛇の亡骸がすべて炭に変わる頃、ようやく面を額に押し上げた。もう大丈夫。もう元に戻った。そう思えたから豺狼は面を外した。


「お前の言う通りになったな。一瞬で片が付いた」

 そう言って、隣に歩み出た居祈を見やる。居祈がやや斜め上に顎を上げた。居祈が豺狼の本性を見ることはなかった。それで良かったのだ。居祈はふっと唇の緊張を解く。

「神様の言う通りってね」

 軽口がこぼれ、豺狼は生意気だと言わんばかりに、わしゃわしゃと居祈の髪をかき回した。


「いててっ」

 されるがままになっていた居祈が小さく呻き、顔をしかめた。

 豺狼は手に濡れた感触を得て、え、と目を見開く。

「お前、怪我を、したのか……」

 居た堪れない顔をして豺狼が言う。

 ばつの悪そうな笑みを浮かべて、居祈は親指と人差し指でちょっとを示す。

「本当にちょっとだけね。頭を上げたときに飛んできた石ころをくらったみたいだ。せっかく庇ってくれたのに怪我してごめん」 


 そう言う間にも額に赤い血が一筋垂れた。触られて創口が開いたようだ。豺狼は顔をこわばらせて小さく肩を震わせる。ちゃんと守りたかったのに怪我をさせたことが悔しいのだろう。守りたかったのは、居祈をというよりも、居祈に重ねて見ていた弟妹だろうということに、居祈は薄々気付いている。


「豺狼?」

「悪い……」

「そんなに気に病まないでよ。庇ってくれたじゃないか。豺狼こそあんなに石ころを浴びて大丈夫? 実は背中に穴開いてますとか、まさか、そんなことはないよね? ……豺狼?」


 呼びかけには答えずに、豺狼は片手を伸ばし、居祈の髪を掻き分ける。傷の具合を見てくれるのだろう。居祈が上目遣いにその手を見やり、どう? と聞こうとして、びくっと両肩を震わせた。濡れた舌が額を這う。犬が人間を舐めるのとは何かが決定的に違う。


「ちょっ……!?」


 咄嗟に離れようとするが、正面から首根っこをつかまれて動けない。手を外そうとしても力では豺狼に敵わない。


 豺狼は切なげに困ったような顔をしている。居祈の血は思った以上に甘かった。鬼の本能が疼いて仕方がない。この場で食ってしまえれば、約束を反故にできれば、どんなに楽だろう。


「お前、やっぱりうまいな」 


 滾る眼光をなるべく抑えて豺狼が言う。

 居祈は豺狼をやっとのことで引きはがし、不機嫌そうに言った。


「食わないって約束したのに」

「食わない。食わない……から……」


 豺狼は押し殺した声でそう言って、居祈の耳朶に囁いた。


「少し舐めるくらい許せよ」

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