第9話 大蛇討伐
二人は荒家を出て、豺狼が一族と暮らしていたという本家に拠点を改めた。本家は鬼の街の反対側、仙岳に近い麓にあった。どこの大明神かと思うような立派な平屋建て。こんなに広く住み心地の良さそうな家があるのに、豺狼はなぜあんな荒家に棲んでいたのだろうと、居祈は初め不思議に思ったが、その理由は数日過ごせばよくわかった。
広すぎる家は寂しい。
家族と暮らした賑やかな頃を知っていれば尚更。
目玉で繋がっていた鬼女と居祈の縁を切り、再び隠滅の術を施したのが功を奏したのか、ここ数日新たな襲撃はなかった。ひと度鬼に恨みを買えばただでは済まないだろうが、捕まらなければ問題ない。隠滅の術が効くのは半径一町〔一〇九.〇九メートル〕までという制限付きではあるものの、大蛇討伐を目的に潜伏する際、なんら支障はなかった。
豺狼と居祈は大蛇討伐の作戦を立て、出会った日から五日後、再び竹林に入った。
闇に届きそうな竹林が頭上で笹の葉を揺らしざわめく。地上は暗く陰気な霧に満ちていて、それが頬に纏わりついて気持ち悪い。豺狼は身動き重視の黒装束。居祈は淡い水色の浴衣を着流している。元々着ていた白装束は、頬に飛んだ鬼の血を拭ったために穢れてしまい、豺狼の弟妹が着るはずだった着物を何枚か譲り受けた。中でも明るい色を選んだのは、作戦の上で居祈が揺動役だからである。
蛇の巣穴に向かって豺狼が先導する。すぐ後をついて歩く居祈は、豺狼から見れば弟妹の背丈で、浴衣から覗く胸板も薄く、女のような細腕である。その背中に大きな剣を背負っているが、到底振り回せるようには見えない。居祈を知らぬ鬼が見れば、鴨が葱を背負って歩いているようにしか見えないだろう。
豺狼は居祈を肩越しにちらりと見て、ちゃんと付いて来ているかどうかを確認する。出会ったばかりの鬼のために泣く
数日手合わせをする中で豺狼が気付いたのは、居祈は相手を前に恐怖を感じないということだ。相手が何者でも、鼠を見るような目で見る。
理由を尋ねると、「恐ろしいものは人の世で見慣れている」と言い、その神秘的な輝きを秘めた螺鈿の瞳を指さした。人の世ではその瞳めあての異形に狙われる日々。にわかで身につけた武道で身を護ってきたという。
それを聞いて豺狼は眉をひそめた。たかが人が、にわか仕込みの武術で魑魅魍魎に敵うはずがない。豺狼はやはり居祈は人神になる前から純粋な人ではなかったのではないかと疑う。最初に竹林で見た神懸かり的な太刀筋。度胸。機転を利かせた危険の回避。思い返すとやはり、鬼神キヌガミの血が入っているのでは、と思わずにはいられない。
「豺狼、おれとの約束を覚えてる?」
「何の?」
「大蛇討伐に成功しても、おれを食わないって約束」
「それか。忘れてた」
お道化た口調で答え、肩越しに居祈を見てにっと牙を見せつける。
「守ってくれないと困る」
不機嫌そうにつぶやく居祈は、新しく出来た弟のようで少し歯がゆい。それでも護られるだけでないところが弟たちとは違うのだ。
「着いたぞ」
豺狼が言って立ち止まり、額に斜め付けしていた面を顔につける。蓄積されてきた鬼の
暗闇にぽっかりと開いた大きな穴。以前灯されていた赤い提灯は今はない。豺狼が左手に鬼火を灯す。手のひらに浮かんだ青い鬼火の一玉を渾身の力を込めて巣穴の中に投げ入れる。当然ながら紅い提灯のような火が二つ、穴の奥で光る。
ずるりと蛇が動く音を切っ掛けに、居祈が剣を抜いて颯の如く駆け出す。豺狼はすぐ後ろに影と化す。右手に鬼の目。いや、そうであったものを握っている。荒家で居祈から託されたものだ。
上手くいけば一瞬で片が付く――と、居祈は言った。
豺狼は、こんなもので? と最後まで半信半疑だった。
『信じないならおれが使ってもいいけど、もしそれで片がついても怒らないでよ?』と、助けられた姫のくせに生意気なことを言うので、『じゃあ俺がやる』と受け取った。
使い方は教わったが、一度切りしか使えない武器だからと、手合わせでは威力も何もわからなかった。背中の剣は保険だ。鬼の目が上手くいかなかった時は、この剣で蛇の脳天を貫いてやる。
大蛇の赤い目が、向かってくる居祈の姿を捉えて怒りを露にする。がばりと開けた真っ赤な口。酷く臭うのは膿んでいるせいもあるのだろう。喉にはまだあの矢が突き刺さったまま、矢の周りに白く
蛇の鼻先に片足をつき、居祈が蹴った反動で蛇から離れる。
華奢な背中を豺狼が受け止めた瞬間、蛇は――爆発した。
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