第7話 誤解 (工事予定)
「心配したんじゃない。ただ驚いただけ」
「いや、今更それで通そうってのは無理があるだろ神様」
豺狼の言うことはもっともだったが、居祈は取り合わずに目をつむった。傍を通り過ぎる足音。やがて洗い場に水が流れ始める。豺狼が腕に着いた血を洗い流す音を聞きながら、居祈は冷静さを取り戻そうと頭を冷やした。
(扉を開けて、豺狼の腹から突き出た腕を見たとき、本当に豺狼が殺されたと思った。でも、扉を開けて最初に気付くべきだったんだ。腹を突き破られた偽の豺狼は、手ぶらだったことに。手が塞がっていたのは本物の豺狼の方。おれの名を知っているのも本物の豺狼だけ。豺狼は自分そっくりの獲物を仕留めて『手が塞がっているから扉を開けて』とおれに頼んだんだ。でも、それならそうと、ひとこと言ってくれたら良かったのに。獲物は俺そっくりだから驚くな、と)
「このまま目をつむっているから、おれが見ていないうちにそいつを食ってよ」
居祈はぶっきらぼうに言った。
「うへ、何言うんだ。あんなもん食えるかよ。想像しただけで口の中が不味くなる。それに、さっき消し炭にしちまったから、ますます食えたもんじゃない」
居祈は驚いて目を開いた。
「なんで。あれは豺狼の獲物でしょ? あの偽物で手が塞がっていたから、おれを呼んで扉を開けさせたんじゃないの?」
確かに見ようによってはそう見えるかもしれない。豺狼は、なんだかややこしいことになっているなと思いながら、眉間に皺を寄せてガシガシ頭を掻く。居祈との距離を数歩詰め、胡坐をかいて座った。
「お前、なんか勘違いしてるな。あれは俺のメシなんかじゃないし、扉を開けろと言ったのも俺じゃない」
「そんなはずは――。だっておれは、ここへ来てから豺狼にしか名乗っていないんだ。だから、おれの名前を呼べるのは豺狼しかいない」
やっぱり面倒なことになっている。
どう説明すれば誤解が解けるのか。
そもそも豺狼は、初めから空腹を満たしに出かけたわけではなかった。外に不吉を感じて様子を見に出てみれば、縄張りの中に烏の群れが入り込んでいた。他者の縄張りを侵せばどういうことになるのか、鬼界の鬼が知らないはずはない。相手はそれを覚悟で乗り込んできているのだ。穏便に済むわけがなかった。
烏は豺狼を襲い、豺狼は鬼火と素手で向かい討つ。不可解なことに数羽は既に負傷しており、何羽かは躯を地に晒していた。それでもまだ群れと呼べるだけの数は残っていて、撃退するまでにかなりの時間を要した。やっと棲み処に戻って来てみれば、戸口に自分の偽物が立っている。
偽物の衣服は血まみれで、烏を殺ったのは恐らくこいつだろうと察しがついた。そいつが自分に化けて戸口に立つ理由。狙いが居祈だと分かった瞬間、背中を取り、渾身の力を込めて相手の肋骨の下に左腕をねじ込んだ。
『俺の客になんか用か』
偽の豺狼に、それを聞く間があったかどうかは分からない。
居祈が扉を開けるまでには、そんなことがあったのだが、流石にそこまで遡って説明する気にはなれなかった。必要なところだけで十分だ。
『豺狼にしか名乗っていないから、おれの名前を呼べるのは豺狼しかいない』
居祈はそう主張する。
だが、実はそうでもない。
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